かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

命日のお墓参り

2013年05月30日 | Weblog
高台の墓から臨む清流の       
         懐かしき日々が脳裏を巡る





先日の土曜日は、かつて勤務した小学校の当時の校長先生の命日でした。亡くなってからどのくらい経つでしょう。毎年、命日にはお墓参りと校長先生の家に行って、仏壇にお参りをしています。




この日は、次の日が運動会という学校があって、来ることができない先生がいました。しかし、毎年のようにお墓と先生の家を訪れることができました。




当時の小学校の駐車場に集合しました。駐車場の横にあるグランドは、たくさんのテントが張られていました。





風が強かったので、その小学校の先生が来て、風で影響を受けていたくさんの運動会の飾りなどを直したりしていました。よく見ると、校長先生が退職してから赴任してきたせんせいです。昨年度から再びその小学校に赴任してきています。




当時が再現されたような思いがしました。





校長先生の現職最後の年、小学校が改築され、グランドができました。落成式をしたのが、年度末でしたので、新しい校舎に校長先生が過ごしたのは、ほんのわずかな期間です。改築のために奔走したのですが、多くの時間、新しい校舎で過ごすことはありませんでした。





しかし、校長先生の家が学校の近くにあるので、退職後、お孫さんを連れて学校に遊びに来てくれました。楽しい思い出が詰まっている学校での勤務でした。
 



「毎年、こうしてきてくれるのが、申し訳なくてね。でも主人も喜んでいることでしょう。」


と仏壇の前で校長先生の奥さまと話をしました。仏壇で当時の校長先生の写真と再会をし、その当時の先生たちと話をするとき、自分がその当時に戻ったような不思議な錯覚に陥ります。





お墓参りのあと、校長先生とも何度か食事をした「山水」に蕎を食べに行きました。



「先生も喜んでいるでしょうね。」と言いながら、そこの女将さんとも話を弾ませました。





前回の北部九州豪雨で店が2回もつかり、「心が折れました。」という言葉を片付けの中で話し、それを話している様子が何度もニュースに出て多くの人たちの心を打った女将さんです。




店の場所は変わりましたが、ゆかりのある人たちで短い時間の中、命日のひとときを過ごしました。

爽やかな感動

2013年05月29日 | Weblog
梅雨空を青色染める色彩具       
          出会いが創る爽やかドラマ





梅雨に入り、じめじめとした何となく気候が重苦しくなっています。昨年のこの時期、北部九州豪雨が発生しました。今年は、あのような惨状にならないことを強く願っています。





そうは言っても、日々の生活の中には、今の気候に反発するようにいろんなほのぼのとしたドラマがあることを感じます。昨日から感動や感激を胸にすることがありました。



今日の午前中、学校の便りをもって、校区の後半の半分を回りました。なかなか学校を出ることができなかったので、ちょっと遅れ気味になっています。Mさんの家に寄りました。きはちろうさんは、いつもの納屋にいました。



「また何かしていますか。」
と聞くと、
「よお、来てくれた。まあ見ちょくれ。」
といつものように、いろんな竹で作った昆虫などの作品を見せてくれました。




Mさんの心のこもった手づくり感がなんとも言えないあたたかみがあります。ニューバージョンの作品です。木にカブト虫やちょうが止まっています。学校と家用に2ついただきました。


さっそく学校に戻ってから玄関に飾りました。




「すごい、素敵ですね。」
と事務の方。学校に来たときには、みて下さいね。





次にNせんせいの家に行きました。以前、三光村時代には要職に就かれていた方です。とても優しい先生です。家に行くと、毎年恒例のぶらさげものが玄関にありました。




つばめの巣が玄関の上にあるので、それをからすなどに荒らされないようにいろんなものが玄関からつるされています。通行する人に申し訳ないというような短冊もつるされています。からすが来ないように網で周りを囲っています。Nせんせいの優しさを感じます。
「せんせい、いいですね。」
と言うと、「ちょっとの間ですけどね。」と笑顔で答えてくれました。




人には、こんな気持ちになれる広さと優しさが必要なことを、つばめを守るための防御策から思いました。






 最後にいろんな郵便局に違う用事で行きました。「せんせい、最近、新聞がやってきませんよ。」と郵便局にいる保護者の方。いつも生徒たちを温かく見てくれています。


あれ、行っていなかった・・・。



急いでカラー刷りでない新聞を車から出しました。でも気にしてくれていたことがとてもうれしく思いました。明日、ニューバージョンを持っていこうと思います。





「小学校の校長先生が・・・三光中のはないねえ。と言っていましたよ。」いつもジョークを交えて言い合える素敵な先生です。「そう言っていましたか。やられましたね。」と言いながら、明日は、絶対に・・・と強く?心に誓いました。



でもそんな風に地域の方、小学校の先生も温かく見てくれていることは力強いです。
いろんなことに感謝をしながら学校に戻りました。

幼友達

2013年05月28日 | Weblog
安らぎの空気のようなその存在       
           気心わかる幼友だち







縁は不思議なことが多いです。いろんな出会いの中で、いろんな形の縁を持つことがあります。最近、いろんな場面でそのことを感じます。日曜日の夕方、同じ学校に勤務したことのある先生の家にご不幸があり、そのお参りに友だちと行きました。





友だち・・・。とても縁がある人です。黙っていてもだいたい何を考えているかわかります。その友だちとの結び付きからです。




友だちとは幼なじみです。保育園からずっと一緒です。もう何年たつでしょうか。その頃から仲がよく、一緒に遊んでいました。エピソードも一冊の本になるくらいあります。小学校も当然同じです。




小学校は、木造の校舎でした。今は、一部残されて喫茶店となっています。お参りに向かう時、違う方の葬儀の案内の看板が出ていました。それは、偶然にも小学校の時の先生でした。ちょっとびっくり。会話は、当時の懐かしい先生の話題になりました。






中学校へ進学。1学年40人の5クラスありました。で、同じクラスになりました。




今でも覚えているのが、入学式が終わってから、歩いて学校から家まで帰ったことです。途中、昨年の水害で破壊された鉄橋を渡りながら、戻って行きました。鉄橋を渡ることがちょっとした勲章みたいなものがありました。




またまた同じ高校に進学。3年生では、同じクラスになりました。




違う大学に進学したものの、休みには、キャンプをしたりドライブに行ったりと、遊んで回りました。




就職。なんと同じ学校の勤務となりました。またまたです。保育園から一緒で就職場所まで一緒。「悪縁契り深し」です。こうなると腐れ縁です。それぞれの子どもまでが同級生です。




まだまだこれからも、近所にいたり同じ職業なので、たくさんの関わりが何かとあると思います。この不思議な縁も大切にしていきたいと思います。幼なじみとのつながりが深いのも仕事をしていても心強いものがあります。




あと2人、同じ小学校で学んだ友だちが教員として勤務をしています。以心伝心のところがあります。みんなが元気で勤務そして、いつか迎える退任するとき健康であることを願っています。絆はしっかりと心の中に暖めています。

いざ、検診へ!

2013年05月27日 | Weblog
再検査あなたに体を預けます       
        ベッドに乗って意識も遠のく





昨年度末のこと。節目ドッグに行っていなかったので、年度末ぎりぎりになってから行きました。そして、1通だけ要検査をもらいました。




そんなこんなで、それから検査予約をしました。年度初めで、なんとなくあわただしく、延ばして、延ばして・・・で次に延ばすと、他の日は予約でいっぱいなので、検査がいつになるかわからないので、ついに年貢の納めどき。金曜日、土曜日に実行しました。





大腸検査です。しかし、昨年度初めにしたときは、異常がなかったので、ちょっと強気で行きました。学校に寄ってから行ったので、同じ学校の先生から、
「先生、もみじがきれいなころに会いましょうね。」
・・・・・・・・・むむ。




この日の予約人数8人も満員御礼です。着いてから、早速、2リットル近くの水?を飲み、トイレに通って、なんとか準備への道OK。点滴をつけられました。





こういう場合、たいがいは、胃カメラもするようで、一緒にお願いをしました。
いざ、検査室です。ベッドに寝てから、




「3本注射をしますね。痛み止め、腸の働きを弱める、そしてリラックスする注射です。人によって眠ってしまう方もいるし、最後まで起きている方もいます。」
と言われて、どこまで起きていることができるかチャレンジです。点滴の途中から、液を入れられました。




確実にそこまでは覚えています。あとは・・・記憶にまったくありません。これが、最後まで起ききれている人はたぶんないと思います。



気がついたら、病室のベッドに寝ていました。だから、胃カメラをしたのかどうか、気づかないままでした。



同じ部屋の人も「よく寝たなあ。」の言葉。みんな大腸検査、胃カメラをしていました。




 夕方、先生から、画像を見ながら「異常はないなあ。」で検査結果の終わり。窓から見えるPM2.5でかすんでいる鶴見岳を見ながら、起きたり寝たり・・・退屈な時間を送りました。



あとは特別することもないので、夕飯を食べて、次の日の朝、朝食を取ってから無事帰ることができました。
もみじがきれいに染まるころまでに帰還できてよかった。しっかり休養もできました。

君は主人公・・・鍛錬の成果

2013年05月26日 | Weblog
素晴らしき舞台で演じる時は今       
            溌剌とした君は主人公





昨日の土曜日の朝、中津で中学生の野球の大会が行われました。一回戦、優勝候補の筆頭の中学校のチームとの対戦です。このところ、この中学校は、常勝のチームとなっています。




別府で検診があったので、急いで中津に戻りましたが、着いたときは試合が始まっていました。スコアボードを見ると、大量失点のイニングがあり、点差がついていました。ほとんどの生徒が中学校から野球を始めた生徒です。しかし、生徒たちは3年生を中心に一生懸命に頑張っています。




 以前、練習を見たときよりはるかに個々の力は上がっています。前は、投手が三振を取らない限り、なかなかアウトができないようなチームでした。しかし、しっかり守っています。




 毎日毎日の努力が大きな力をつけます。「継続は力なり」と言いますが、それを実感できました。かつて、野球部を担当していた時に生徒によく言いました。一日一日の練習の成果は少しだけど、それが積もれば、大きな力となると。効果的に積もっていくともっともっとの力となると。





自分が担当したチームもほとんどが中学校から野球を始めた選手たちばかりです。つまりスタート時点は、他の部活の選手と野球の技術は変わりません。しかし、半年練習を重ねると、他の部のスポーツマンがかかってきても負けることはありません。




毎日の練習が体に染みついています。逆に、野球部の生徒がサッカー部に試合を申し込んでも勝つことはありません。練習時間、つまり経験の量が違うのです。




小学校に勤務しているとき、百人一首に取り組んでいました。


なぜ、百人一首?



それは、百人一首を上の句から下の句を覚えきる、下の句から、上の句が言えるということをクラスみんなで協力しながら、クラスの子どもたちの一部でなくて、全員が覚えてしまうという達成感・感動を味わってもらいたかったことがありました。



一カ月、二か月と取り組んでいくと、百人一首に取り組んでいないクラスの子どもたち、またお家の方も歯がたちません。優越感を味わうのではなく、努力の継続の大切さを体感してほしいと言うのが願いでした。




そしてみんなが覚えて、大分県、宇佐神宮全国大会・・・などいろんな大会にみんなで行ける思い出づくりをしたいと考えました。





学習も一緒です。「数学ができない。」「英語ができない。」「社会ができない。」などとよく生徒が言いますが、自分自身、できないのではなく、「経験の量、つまり、その教科の学習の量、効果的な学習法」が身についていないからです。




天才でないかぎり、できる人は、小さいころから、その感覚を身につけてきた体験、しっかり学習してきた経験があるのがほとんどでしょう。それを学習量が少ない人は、できる人に対して「あの人は頭がいい。」という言葉で片付けてしまいます。





苦手教科ではなく、経験が少ない教科とでも言えるでしょうか。



ある教えた子どもは、他の教科は全く違うのですが。社会の偏差値だけは、東大級でした。日本史などは完璧です。確かに。大河ドラマは欠かさず、まんが日本史のDVDは舐めるように見る、歴史ものの本は大好き。




好きだから経験が増える、経験が増えるからさらに好きになる・・・。他の子どもと経験の量がはるかに違います。好きにさせる環境も大切でしょう。




部活も最終章。練習量と効率を考えて、最後までしっかり力を蓄えて大会に臨んでほしいと願います。がんばれ!生徒たち。

個展、詩の朗読ライブへ

2013年05月25日 | Weblog
風に揺れ詩の朗読のひびく声       
           土曜の午後のやわらかな時





以前、一緒に勤務したことのある友人の「Four Seasons 写真展」が別府市の「カレーやmomo」で開催されているので、出かけていきました。



「カレーやmomo」ってどこだ?迷いながらもたどり着きました。朝早く行ったときは、まだ店も開いていなかったので、一度中津まで戻ってから出直しました。先生から、以前特別支援学級を担当した時に、子どもに教える絵の描き方を教えてもらいました。


何事にも前向きな理論・実践的な先生です。どんな個展を開いているのか楽しみにして「カレーやmomo」に向かいました。



カレー店は開いていました。お店の方に「個展開いていますか。」と聞くと、「裏口から入って下さい。」と言われ、「本当にあるのかなあ。」と思いながら、狭い背戸の方に行きました。



裏口からまたまた狭い階段を上がって行きました。昔の大学の下宿に住んでいる友だちに会いに行くような雰囲気の家でした。しかし、その階段から先生の写真や絵画が飾られていました。



先生らしい個展です。作品を見ながら部屋の方に向かいました。左の部屋に行こうとすると、「そこは、タイ古式マッサージ・・・。」おうおう、布団が敷かれている・・・じぇじぇ・・・。部屋は2つあって、個展は右の部屋でした。



狭い下宿的な部屋に入ろうとすると、来室した人たちが畳に座って会話を弾ませているのが見えました。ちょ、ちょっと、場違い?その部屋に勇気をもって?入りました。しかし、いったん部屋に入ると・・・壁などには、春、夏、秋、冬と分けて写真が展示されています。



風景、人物と先生ならではの角度からの写真が所狭しと飾られていました。どの写真もそして松永先生が描いた絵もあたたかみがあります。ちょっと感激です。




しばらく先生と話をしながら、写真を眺めていました。外は暑かったのですが、窓から入る風が心地よく感じられました。




そして間もなくこの日は、先生の友人の「安岡カズミさん」の詩の朗読ライブでした。「詩の朗読ライブ」というこの年にして初めての貴重な体験。



激しくも優しくもやわらかくといろんな表現の言葉の世界でした。パソコンで映し出されているわけでもなく、紙に詩が書かれているわけではなく言葉の旋律が風に乗って体に舞いこんでくるような世界、時間でした。



息づかいも伝わってきました。アナログに発するたくさんの言葉に共感を覚えました。朗読をBGMに写真に目をやりました。




朗読ライブが終わってから、「カレーやmomo」でカレーを食べました。先生や安岡さんそして、鑑賞に来た方たちも一緒でした。



まだまだ話をして、いろんな世界を知りたかったのですが、夕方からの用事があって、「momo」をあとにしなければならなかったのが、残念でした。



自分も先生にサポートしてもらいながら、来年くらい写真展と○○○ライブをしてみたいとちょっとだけ内に秘めた夢があります。撮りためたもの、そして、ちょっと企画案ぽいものを今まで考えていました。



刺激を受けて、帰途に着きました。思いがけない素敵な時間を過ごさせてもらいました。

安物買いの・・・

2013年05月23日 | Weblog
ショッピングわくわく気分はそこまでと       
           安価なリスクにとまどう自分





今、ディスカウントショップが至る所にあります。先日、大分に行ったときに、新しくできたディスカウントショップに行きました。




今どき、ただ、電化製品や台所用品などを置いていたディスカウントショップも食料品などを置くようになってきたところが多くなっています。


以前、ほかの先生からある飲料水があれば・・・と言われていたので、ここなら安くあるのではと思い、立ち寄りました。確かにありました。コンビニだったら、140円くらいするのですが、冷やしたものなら85円。さらに常温にして陳列しているものは、75円。こんなに値段が違うのです。


75円でも利益がある・・・140円でも利益がある・・・。一体原価はいくら?とついつい思ってしまいます。




そういう安さに惹き付けられて、店を回っていました。すると、ちょっと心を揺さぶられるものを発見。家族は無類のテレビ好きです。電化製品も日進月歩。テレビのリモコンに番組表のボタンがあり、それをただ押すだけで、外付けのハードディスクに予約録画をしてくれます。




その便利さでどんどんと予約をしています。時間がゆっくりとあるときは、それもOK!。でも疲れているときは、テレビの音は、刺激あり。




最近、音楽を聴く機会も増えてきています。と言う理由付けをしましたが、何千円かの安いコンポがありました。見かけがすごく重厚で、展示されているコンポからはいい音が出ています。それに、なんと、DVDまで見れるのです。どんなコンポ?



何人かの人たちが、寄って見ています。ついつい買ってしまいました。



しかし・・・。




帰って箱からコンポを出そうとすると、あの展示されていた重厚なコンポのイメージとはちょっとかけ離れた違和感。軽い。軽すぎる。




まあ、それでも一緒に梱包されていたスピーカーと接続。それでもわくわく。延長コードにつなげて、電源をON。



電源が入らない。うんもすんも言わない。コンセントが悪い?延長コードのせい?説明書も読んで、(電源くらい説明書はいらないか)これってただの箱?



「安物買いの銭失い」ってこのことなのでしょうか。大手のディスカウントショップなので、最初から使用できないものを売るはずもないでしょうが、やられました。大分に行く機会があったので、一生懸命に説明して代えてもらいました。


でも、なんとなくまた壊れそうです。



飲料水を買ったときまではよかった。しかし必要な時に、必要な物を。衝動買いには、注意をしなければと少しだけ反省をしました。

あの日の出来事

2013年05月21日 | Weblog
仏壇の前の写真に手を合わせ       
        笑顔の父母に寂しさ募る






日曜の午後、知り合いの先生の御実父様の葬儀に参列をしました。葬儀の会場が半年前の母の時と同じ場所だったので、いろいろ思い出すこともありました。




夏休みが終わり、3年生の進路の関係で同じ学校の先生と出張に行った帰りのことです。思いがけない言葉を電話で聞きました。
「お母さんの意識がない。」
 駆けつけると、すでに母は息をひきとっていました。



明後日が葬儀をするには日が悪いということで、亡くなったのは昼ごろですが、その日に、通夜、次の日に葬儀ということになりました。




しかし、次の日の葬儀場所がない。どこもいっぱいです。突然の母の死。そして、悲しむ間もなく、母を送る準備。家に母を連れて帰って納棺師がやってきました。母も闘病中よりずっと若返りました。




と同時に弔問客・・・と続きました。母が亡くなった実感は、葬儀が終わり最後母の遺影をもって出棺する車の中だったのかも知れません。見送りを受けて、数十メートル先でほかの車を待ちました。


運転手も降りて一人になったときです。突然の母との別れ。わずかな時間ですが、後ろにいる棺の中で眠っている母との静寂な時間を持ちました。こらえていた感情が一気に湧いてきました。
 


母の死から時が経ちました。悲しむ時間も持てなかった死の直後でしたが、ふと、自分に親がいなくなったこと、先日もかつていた母の施設のところを子どもたちと車で通っていたときに、
「おばあちゃんはいないんだよね。」
とぽつりとつぶやいていた言葉。





ちょっと慌ただしく過ぎた日のスピードが落ちてきた今、何となく、母のそして父の存在感の大きさを感じます。さらに、幼い頃から慕っていた近くの叔母が亡くなりました。



一緒に連れ添った主人にあたるおじ、弟になる父、そして母とみんなを見送って最後に叔母は逝ってしまいました。4人で連れ添ってよく出かけていたことが懐かしく思い出されます。



日曜日の葬儀での知り合いの先生のお父様に対しての温かい思いもあるのでしょう。ぐっとこみ上げてくる感情をこらえながらあいさつする姿に共感するものがありました。




この土日に、以前見舞いに行った時に携帯電話で撮った母の写真を、パソコンに取り込みました。携帯のハードしかないので、一枚一枚をメールでパソコンに送って保存したので時間もかかりました。

両親はいなくなり、ふと寂しさが募ることがありますが、さまざまな感謝の思いと、両親との思い出も大切に持ち続けたいと思います。

楽しく過ごした懇親会

2013年05月20日 | Weblog
蛍舞い懇親会の時訪れて        
         時間忘れて会話弾ませ





恒例の中学校PTA懇親会が開催されました。かつては、懇親会はなかったのですが、今回で6回目となります。




回数を重ねるごとに参加するお家の方も増えていきました。今回は70名を越える方の参加です。盛り上げる陰には、PTA役員さんたちの力が大きいものを感じます。「縁の下の力持ち」とはこのようなことを言うのでしょう。




またお家の方も積極的にPTAの活動に関わろうとしてくれています。懇親会だけでなくいろんな機会にそんな姿を見ることができます。こんな環境の中で、学校が存在していることがとてもうれしく思います。




新年度になってから、懇親会の準備を進めてきました。人数が確定してから役員さんたちは、酒屋に行って、注文したり氷の準備をしたりと会場の外ではいろんな用意をしています。大きいクーラーボックスがたくさんあり、それぞれに飲み物や氷が詰まっています。また弁当や刺身の注文。




楽しい懇親会の時間を過ごすために、過去の懇親会をリサーチして楽しく準備も進めてくれていました。名札も手作りです。名前、子どもの名前を書いて、ラミネートをかけていました。ちょっとしたことですが、どのくらい時間がかかっていたことでしょう。





見えないところでたくさんの力が動いているのを感じました。懇親会が始まり、お家の方、教職員と会話が楽しく弾みました。周りを田んぼで囲まれている会場も70人の話の賑やかな華が咲きました。





顔と名前が一致できていないお家の方もいましたが、懇親会の中でしっかりと覚えることができました。子どものことも違った側面からの話も聞くことができました。




PTA活動はスタートしていますが、さらに絆を深める時間となりました。参加されたお家の方々ありがとうございました。また準備を手際よく進めてくれた役員の皆さま、お疲れ様でした。

ぐるりと三光半周

2013年05月19日 | Weblog
ふるさとの風景が変わるとまどいに        
          夏呼ぶ風が体を吹き抜け





現在、三光中学校の校区の中は、東九州自動車道、中津・日田高規格道路の工事が活発に行われています。ふるさとの風景が大きく変化するのを感じます。


その姿を見ながら、木曜日は、学校便りを持って地区の半分を回りました。



地区を回るのは今年度初めてです。半分回っても2~3時間かかります。何かとあり、なかなか時間がとれないままに、1か月がゆうに過ぎていきました。あいさつを兼ねて、昨日は時間をつくって午後から回りました。



いろんな話を聞くことができました。

子どもたちの仕事の話を聞かせてもらう家もありました。親の職場見学もあったそうで、写真を見せてもらいました。離れて暮らしているだけに、そんな機会があることがうれしいですよね。写真をていねいにアルバムなどに撮っていました。




先日、結婚した卒業生の家では、新しい家庭をもった二人が双方の家のお母さんたちに、母の日にお祝いをしたと言います。成長した子どもたちからお祝いしてもらって、どのくらいお母さんも喜んだことでしょう。


そんないい話も聞かせてもらいました。




ある家では、4月になってから子どもたちが成長してみんな家を離れていきました。寂しくもちょっと余裕ができたお父さんとお母さん。なんと趣味でバラを育てていました。




鉢や庭の空いた所にバラを植えていました。すでにバラの花もきれいに咲いていました。よくまあ、こんな趣味を見つけてくるものです。バラの花を見ていると、さすが、そこはアウトドアの方です。



「先生、きじの親子が道路にいるよ。」きじの親子が道路を横断して田んぼに降りています。「写真が撮れるかなあ。」と言うと、「そっと行けばね。」と一緒に行ってみました。するとどうでしょう。飛び立った様子はないのですが、田んぼの草の中に紛れ込んでいます。「この間、他のひなは、カラスに食べられたからね。」すごい。

よく観察をしています。田んぼの中の草の中にいれば、ちょっと安心でしょう。子どもたちの様子も聞かせてもらいました。




評議員さんの家に行きました。忙しそうでしたが、家に上がって少し話をしました。



お父さんと同じ職業になるために、進学をしていった子どもさん。お父さんも子どもさんが戻ってきたときに一緒に仕事をするイメージもしっかり持っているようで、「お互い頑固だから・・・仕事では折れないかも。」などと話をしていましたが、でもとてもうれしいようです。きっと親子で話をしながら、いい仕事をしていくのでしょう。



午後のひとときでしたが、久しぶりに三光の空気を吸いながら、いろんな方と話す時間を持つことができました。

朝の時間

2013年05月17日 | Weblog
何気なく子どもたちを見つめると        
          成長感じるこころと体





昨日は暑くもなく紫外線の強くなくなんとなく爽やかな朝となっていました。いつものように、朝のあいさつ運動に出ました。




この何日間、出張や学校での仕事があったのであいさつ運動に出ることができなかったり、遅れて出たりしていたので、今日は久しぶりのフルタイムでのあいさつ運動です。




生徒会執行部の生徒も、あいさつ運動の旗を持って出ていました。一緒に学校にやってくる生徒たちに、「おはようございます。」の声をかけていきました。




小学生、中学生が通過していきます。声をかけてもあいさつの声が小さい生徒や小学生には、
「あらためまして~~、おはようございます~。」
そうなると、こどもたちもしっかりとした声で返してきます。





小学生や中学生を見ると、背丈が高くなっていたり、体が成長している姿を見ます。生徒会役員も後輩の小学生を見て、
「○○ちゃん、背が高くなったね。」
とか、
「○○ちゃん、体が引き締まったね。」
など、自分たちと接したころとは違う後輩の姿を見つめます。





ある小学生。
「ずいぶん、背が伸びたね。」
と言うと、
「せんせい、太ったね。べえ。」
という言葉。「こらっ~~。」と追いかけると、わ~~と校門の中に入っていきました。数年見続けてきて子どもたちの変化を感じます。




小学校には、車椅子で登校する子どももいます。お母さんが坂の下で車から降ろして、急坂を上らせます。お母さんの愛情の中で、厳しくしつけている姿に感動します。20~30メートルある坂を上る力も日に日にたくましくなっています。これも成長です。




子どもたちの成長を発見できるとき、うれしさを感じます。

大切にしたいもの

2013年05月16日 | Weblog
問いかける教師になった訳は何?        
        今でも言いたい「子どもが好き」だと





生活スタイルが時代と共にどんどんと変化していくのを感じます。学校も同じなのかも知れません。




今、暑くなってきています。夏日になる地域も出てきています。夏が来ると、かつては中学校でもキャンプを行っていました。飯ごう炊さんをしたり海で泳いだりしていました。生徒と時が経つのも忘れて活動を行いました。


思い出もたくさんできています。



しかし、多くの中学校では、今では自然の家を利用してそこで活動を行い、自然の家の食堂で食べるというパターンになっています。


それは、授業時数の確保、いろんな教育変わっていく時代のせい?教師の労力の軽減?教師の高齢化?けがをさせたらいけないという時代の背景?目標の相違?

活動がスマート化されています。



学校の中での教員と活動の中での教員の姿が生徒にとっては同じにうつるのかも知れません。火がおこらなくて、必死に汗びっしょになって生徒と格闘している人間・人柄が生徒には見えにくくなっているのは、事実でしょう。



今、組織とかチームとかいう言葉が学校現場の中でよく出てきます。組織で対応しなければ、解決できないことが多くあるのも現実です。

しかし一方では、「わたしの学級の子どもたち」という認識を持つ大事さも感じます。子どもたちとの関わり。



例えば宿題をして来ない生徒がいたら、帰るときに違う用事をつくって、「ちゃんと宿題をやっている?」と家庭を訪れたり、電話で「忘れないようにね。先生、明日がんばってきたのをしっかり見るよ。」という子どもとの信頼関係のある指導を楽しみたいものです。



日記でのコミュニケーション、学級通信。学級通信も一学年複数学級でもある時、最近は、学年通信でまかなうことが多くなっているような気がします。



組織を意識する故に一番大切にしなければならない学級、個人の関わりが薄くなっているような思いがあります。つまり組織の上にのっかってしまって、他人依存や自分のカラーを出していない、失っているのではないかという傾向もあります。



確かに数年前と違って、授業形態も「少人数指導」「習熟度授業」「TT授業」「学びあい」などと教師も学んでいかなければ対応できないことが多くあります。各種テストの調査と効果と結果と改善を求められることがあります。責任の重さが出てきます。



いろんな評価もあり、先生たちも守備範囲を広くとらなければなりません。型にはまらなければならない窮屈な生活になっているのかも知れません。


思いっきり子どもと向き合っていた頃とは確実に違うのかも知れません。



しかし、どんなに時代が変わろうと大切な生徒が目の前にいることには変わりがありません。学力の定着、いじめ問題などの解消・・・チームで対応しなければならないことがたくさんあります。



しかし、一人ひとりに優しく関わりながら、育てていく教育の基本は、チームの中の個人だということを忘れてはいけないと自分自身にも問いかけてみたいです。

チームそして一人の教師としての融合的な取り組みの大切さを痛感します。もう一度・・・どんなに時代が変わろうとも。

卒業生の戴帽式

2013年05月15日 | Weblog
ろうそくの炎が照らすナースキャップ
         ナイチンゲールの精神忘れず





卒業生の戴帽式がはるちゃんの通っている高校で行われました。「3年生になってから戴帽式があるよ。」と生徒から聞いていたので、その日が来るのを楽しみにしていました。




そして、今日がその戴帽式。厳かな中で開催されました。静かな雰囲気でした。そしてライトが暗くなり、入場。生徒の姿を探しました。暗くなっている体育館。そして、同じ服装と髪型・・・なかなか見つけることができませんでした。


すぐに戴帽の式が始まりました。点呼されるのを待ちました。名前をよばれました。
「はいっ。」
としっかり返事をしていました。




中学校時代とはまた一回り、落ち着いた雰囲気そして、頑張っていることを感じさせ成長していることを実感しました。ステージの上で、校長先生からキャップを頭に載せてもらい、ろうそくに火を灯して周回します。



ろうそくに照らされて、卒業生をはじめ生徒たちは、緊張感の中でもキャップを載せられた責任と重みを感じたことでしょう。




生徒たちは、これから50日の看護実習に出かけていくそうです。人の命を預かる最前線に出ていきます。



自分自身が20数年前に大きな手術をしました。病院の先生や看護師さんにどれくらい勇気づけられたことでしょう。




またその姿から多くのことを学びました。入院していたときはもちろんのこと、退院してから、今度は父が入院をしました。見舞いに行ったときに、すれ違う看護師さんから、
「お元気ですか。」
と声をかけてくれました。




今でも覚えているのですが、主治医だった先生は、とても優しく廊下ですれ違ったときに、「ちょっと目をみせて。」と状態を見てくれました。「大丈夫、よくなっているね。」という言葉。ちょっとしたことだけど、ささやかな優しさが自分が弱いときに、心強さがあります。




病気・けがなどで苦しんでいる人たちと接していきます。




言葉一つで勇気づけられたり、生きる希望を持つことだってあるでしょう。学校で実習先で多くのことを学んで、すてきなナースになってもらいたいです。戴帽式が終わってから、少しだけ話す機会がありました。キャップをつけたいい笑顔を見せてくれました。素敵な時間を過ごすことができました。

GWに角島から萩の街へ

2013年05月14日 | Weblog
萩の街幕末明治の兵どもが
        疾風の如く駆け抜ける





角島まで書いていましたが萩までの旅行のことが延び延びになっていたので、最後にまとめを。 萩市へは、幾度となく行っています。それは、以前小学校に勤務したとき、広島、萩への修学旅行のコースだったからです。



今は、完全に長崎の方へ変わっていますが、広島平和公園を見学したり、広島球場で野球を見たりするなどそんな修学旅行の時代がありました。




野球の応援は盛り上がりました。一日目は国東からフェリーに乗って錦帯橋、広島。2日目は宮島、萩。3日目は、萩市内見学、秋吉台がコースでした。




萩は、長州藩のお膝元です。今、NHK大河ドラマで「八重の桜」が放映されていますが、長州藩の桂小五郎などがよく登場してきます。また以前放映された「新撰組」も同様です。幕末から明治維新にかけての中心地です。 




まず、萩の自然、歴史、文化を学べる萩の歴史文化の発信拠点の萩博物館を訪れました。洋行者たちの異国体験をありのままに紹介する「幕末明治の洋行者たち」の企画展が行われていました。ちょっと難しかった。




しかし企画展以外の展示を見ていると、今「八重の桜」で鉄砲のことが話題になっていますが、ゲベール銃、マンソー銃、エンフィールド銃、スナイドル銃が展示されていました。




スペンサー銃28両 ミニエー銃18両 ゲーベル銃4両・・・先週、ドラマの中で銃を売っているシーンが出てきていましたが、安く買える銃は、精度が悪いのです。時代が深まるごとにより精度のいいスペンサー銃を使用した戦いとなります。値段が違う。

博物館の人が言っていましたが、元込式と先込式などで値段も違ってきます。いろいろ興味深く話をしてくれました。




ここまではOKです。しかし、ちょっと思うのですが、長州藩のことを描いたドラマであります。しかし街並みもほとんど手をいれておらず、もう少し歴史的に整備ができないかと思うのです。



時代を代表する高杉晋作、桂小五郎の家も古びて朽ちているような気がしました。中津は舞台になるかどうかもわからないけど、ドラマ「黒田官兵衛」で整備を進めています。




日田天領も豆田が地域で街づくり、街並みづくりを行っています。名称からも「萩博物館」ではなく、「幕末の志士館」「志士たちの館(館)」などの命名だけでも入場者数は増えるかも。




歩くところは石畳にするとか通りは幕末を思わせるBGMをうっすら流すなどすれば、さらに観光客アップ?確かに入場料が100円なので、せめて200~300円にあげても旧家の整備は必要かも。




中心から少し離れたスーパーやディスカウントショップは、店を歴史の街として茶色にしています。でもしているところとそうでないところがあり街全体で統一性を出したら・・・でも観光協会の者ではないので、歴史が好きな者の構想だけど。





地サイダーなどを購入。街並みに販売している萩焼の見学をして帰りました。いろいろ言っても、でも、幕末・明治の歴史にふれ楽しく過ごしました。