かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

日田の学校再編

2009年01月31日 | Weblog
 1月22日に日田市小中学校教育環境整備検討委員会がこれからの小中学校の統廃合や小中一貫教育についての答申をしました。

 新年度から地元説明会が開かれていくそうです。そのことを昨日のPTA運営委員会でも校長先生が運営委員の方に話をしました。五馬校区には、現在小学校が3つ、中学校が1つあります。今回の答申では、3つの小学校の統合が望ましいということになっています。このような再編計画から、答申が通れば、小学校の数は31校ですが、18校になります。一挙に13校減ることになります。

 近い将来18校になることは間違いありません。その中には、小中一貫校も出てきます。過疎の波は深刻です。子どもたちの教育にも大きな影響を与えます。そして、地域の中から学校が消えていきます。

 同じことが校区の中でも言えます。昨日運営委員会が行われました。その中で、地区の子どもたちの数が激減をしているところがあります。お家の方から、地区割りの再編の要望が出ました。話し合いの中で論議して、再編をしました。今日は、そのお知らせのプリントを作成して保護者に配布したり、来年度のPTA役員の選出地区の変更の事務を午前中かけて行いました。

 考えてみれば、わたしの家の地区も同じです。小学生や中学生がいる家庭は、ほとんどありません。また高齢化も確実に進んでいます。

「31日にどんど焼きの話し合いを持つので、来てくださいね。」
と電話がありました。
「誰が集まるんですか。」
と聞くと、
「若い人が、今年度からするようになりました。」う~ん?「もう若くないよ。」と言うと、「十分若い。」現実的には、違うのに、でもうれしいような・・・でも違うのに・・・(気持ちの交錯)

 わたしの地区では、70代くらいまでが若い!って言われるのかも知れません。地区が崩壊していくのがなんとなく寂しい限りです。しかし、田んぼなどで子どもたちがサッカーや野球をしている姿を見ると、ほっとした感情をもちます。昨日、学校便りを配って回る途中に写真のような風景を見ました。雨に濡れた道路と道路を覆う大木が絵になる風景でした。素敵な山あいの道です。過疎の田舎のよさは失いたくないですね。

外から学ぶこと

2009年01月27日 | Weblog
 今日の新聞に特別養護老人ホームへの入所に対して、30万人の利用希望者が待機の状態ということが記事になっていました。要介護の重い人だけを待機者に数えるところもあり、待機者は、この数よりもっと多いそうです。

 先日、母が本当に何年かぶりに老人施設から帰宅をしました。冬の寒い中だったので、風邪をひかせないように、食事をどうするかなどいろいろ家族や親戚の人たちが温かく接してくれました。母も元気に過ごすことができました。その陰には、もっと大きな要因がありました。それは、母の老人施設のメモ帳です。帰る間際にメモをいただきました。

 メモを見ると、いろんなことが書き込まれていました。それは、母が家にいる間のタイムスケジュールなどを時間毎に書かれていました。A4の紙にびっちり書き込まれていました。内容は、二つありました。


「何時には、施設ではこんな感じです。」
という施設での時間毎の母の状態を書いていたものが一つです。毎日の様子をまとめて下さっていました。しっかり母のことを見てくれていて母のことを優しく包んでくれているのがわかりました。母の観察の部分です。


 もう一つには、
「何時には、こんなことをして下さい。」という内容です。「何時には、この薬を飲ませて下さい。」「何時頃に寝せるといいです。」
 

 この二つの内容を対比させながら、表にまとめてくれていました。母が帰ってきてから、施設と家とでは環境が違うのですべて書いた通りにはいきませんでしたが、ほぼスケジュールにそって母は生活をしていきました。このメモがあったから、母は、違和感なく家で生活することができました。仕事とはいえ、母に対しての心配りに心から感謝しました。

 さらに施設のまとまりを覚えたことがありました。母を連れて行ったときにお礼を言おうとしたら、メモを作成してくれていた方がいませんでした。しかし、その場に居合わせた方にとりあえず、お礼を言いました。すると、

「いいえ、わたしが作ったんじゃないですよ。○○さんが作ったので、後から伝えておきますね。」

との言葉でした。丁寧な対応でした。

 学校も同じですが、人と接する仕事には、深みがあります。どこまでするかという枠がないのです。する人の構えで守備範囲が決まってくるところがあります。働く中で嫌な部分もあると思いますが、顔に出さずにいろんなところ配慮していただいている施設の方に感謝することばかりです。自分自身がその姿を見ながら、学ぶところが多いです。

20年目の修学旅行

2009年01月26日 | Weblog
「あの時、先生は、修学旅行に行けなかったからね。」
という話もあって、みんなで旅行をする計画が出ました。それが、おととい実現をしたのです。幹事さんの二人が計画をして、ツアーに便乗して修学旅行に行くことになりました。

 小学校勤務時代、日田の病院で手術をして病室のベランダから修学旅行に行くみんなにシーツを持って手を振りました。またみんなもバスの中からそろえた赤いハンカチを一斉に振ってくれました。感動の時間でした。あれから20年が経ちました。

 今回は、すでに30歳前になって、仕事にも忙しい人が多いのでたくさんの人数ということはなかったのですが、楽しむことができました。子どもを連れて、そして、おなかに赤ちゃんがいる中で参加をした人もいます。
 
 ツアーは、「ミステリーツアー」を幹事さんがインターネットで見つけ、申し込んでいました。どこに行くかわからないツアーです。みんなで小倉まで車で行き、そこからバスに乗り込み出発。行き先はなんと鹿児島県でした。でも、着くまで分かりません。霧島、桜島、鹿児島市内・・・と観光をしました。ミステリーだけに行き先もどちらかと言うと、無名な観光地でした。鹿児島の「壷畑」「石橋記念館」・・・聞きなれないでしょう?

 季節柄、なんと幹事の一人が途中でダウン。夜ホテルで熱を測ると、39度を超えていました。クラスメートに病院関係の人がいたので、なんとか熱も下がり、最後は見学などもできました。その幹事くん、旅行当日の朝は、寝坊で遅刻。なんとか時間に間に合いました。夜は、幹事くんと一緒の部屋。突如、発熱。まったく。水分補給もしなければなりません。自販機にスポーツ飲料を。湿度が保てる持ち合わせのマスクもさせました。熱が下がると、「先生、腹が減った。」急いで、食料を買いに自販機に行きました。

「先生から、一生言われるな。」

 あたりまえ。遅刻に、発熱。30歳になるのにいつまでたっても、生徒としての(?!)幹事くんです。みんなに心配をかけました。みんなもいろいろと気を配っていました。でも旅行次の日の今日、電話をしてみると、仕事にも行き、熱は出なかったと言います。病院にも行ったそうです。安心しました。

 でも、幹事くんもいろいろと気をつかってくれたので、楽しく愉快に旅をすることができました。雪で実施が心配をした旅行でした。楽しい思い出ができました。

「未年だからみんな仲がいいのかな。」

どうして?羊は、よく群れるからだそうです。来れなかったみんなの心も通じている仲がいいクラスメートたちです。

 ひろくんからのメールです。
「今度はうちのイケメン2人を連れていきますね。」

 写真は、雪をかぶった桜島です。修学旅行のデジタルアルバムが見たい人は、ホームページのメールから連絡をくださいね。アクセス先を連絡します。

うれしい久しぶりの電話

2009年01月23日 | Weblog
かつて小学校時代教えたゆうちゃんからの突然の電話。豊前の方で働いていたのですが、転勤で三重県に行っています。久しぶりの電話です。

「先生、どうしよる。」
「おっ、ゆうちゃんか。元気にしてる?」
「27日まで休みだけど、遊びに行っていいかな。」
「今、風邪引いているので、治ってから会おう。」

ということで日田で食事をして泊まりにくる約束をしました。本当に弟?(ちょっと年が離れているかな)のような関係です。

「それでね、なんていうのかな・・・。」
「早く言えよ。」
「ぼく結婚するって知っている。」
「聞いてないから知らないよ。本当?」
「6月に結婚するよ。来てくださいね。」
えっ。ゆうちゃんが結婚。次々に質問をしました。
「どこでするん。」「どんな人。」「何歳。」「なにしてるの。」
・ ・・・・うれしそうに答えてくれました。
「先生、お母さんに変わるから。」

えっ。

「ゆうちゃんが結婚することになったんですよ。ずっと頭を痛めていました。先生、これでほっとしました。」

とお母さんもうれしそうでした。別府で式をあげるそうです。ゆうちゃんは、10月に三重県から戻ってこれそうだということです。電話を切った後、ゆうちゃんと同級生のひろきくんに電話をしました。眠たそうな声で、

「先生、おはよう。」
「ねてたん?ビッグニュース。ゆうちゃんが結婚するんだよ。」
「本当?」

一気にひろきくんも目が覚めたようでした。
「よかったなあ。」
と喜んでいました。ひろきくんももうすぐ赤ちゃんができます。おめでた続きです。みんなが幸せになっていくことがとてもうれしいですね。こちらもHAPPYな気持ちになります。

思いがけないこと

2009年01月20日 | Weblog
 昨日、知り合いの方からゆうパックが送られてきました。

「なんだろう。」

と思ってみてみると、あったかそうなマフラーが入っていました。
手紙が添えられていました。

「いろんな季節の五馬をブログで見ながら五馬観光大使のお役に立てたらと思い、寒い五馬の季節の半分は過ぎましたが、マフラーを送ります。」

思いがけないうれしい贈り物でした。

 こんなこともあるんだなあ。しかし、よ~~く考えてみると、かったかくんは、うん?たしか学校の先生だよね。五馬観光大使となっている。まっ、いいか。おもしろいネーミングです。

 自分自身が感じた五馬のすばらしさをブログを通しながら伝えたこともあります。いろんな場所やいろんな地域の行事で感動をすることが多いです。また心あたたかないろんな人との交流もあります。心に強く残ったとき、それを忘れたくないときに綴っています。時間がたてば、記憶は薄れていくでしょう。だから何かの形で残したいと感じています。

 それが、ブログなのかも知れません。五馬の思い出とは離れますが、以前学年を持っていたときは、学年通信や学校のホームページであったかもしれません。とりためた写真なのかも知れません。ときどき懐かしく学級通信や学年便りを閉じたファイルを見ます。過去にとらわれるわけではありませんが、これから先のこととともに、今までの出会いや思い出も大切にする生き方もしていきたいです。

 縁あって五馬に来ました。最初、場所さえ分かりませんでした。赴任先を聞いた時にインターネットで急いで見ました。勤務が終わり、暗くなって帰っているとたびたび道に迷ったことがありました。最初は人も土地も知らない中で期待以上に不安なことが心の中を占めていました。

 しかし、今では、五馬の自然の美しさ、生徒のすばらしさ、五馬に住む人のあたたかさに充実した日々を過ごしています。時には、五馬観光大使になってこれからもすばらしさを紹介したいと思います。まだまだ大寒。マフラーを大切にしたいです。ありがとうございました。

はやくなおさなくっちゃ

2009年01月20日 | Weblog
今日は、週末からの風邪の影響で体調もいまいち。

日曜日は咳が止まらず体を休めていました。でも熱が出らなくてよかったですね。そんな中でも今日から新しい週が始まりました。木曜日、金曜日と1年生が学年閉鎖でした。今週になって1年生も元気よく登校してきました。インフルエンザに感染したほとんどの生徒が復調してよかった。

 夜は、PTAの役員会でした。本当にいろんな面で、協力的に活動していただいた役員の方々でした。特に、今年度は、校舎移転作業、落成式もあってあわただしい一年でした。そんな年でしたが積極的に活動をしていただきました。

昨年、今年と今の勤務地でたくさんのことで役員の方に助けられています。昨年のことは、すでに書いていますが、今年も同じです。しっかりと学校に来て、コミュニケーションを図ってくれます。学校の考え方も理解してくれプラス的に考えて、活動をしてくれます。感謝することがいっぱいです。

 今日の役員会は、先週ある予定でしたが、雪のために延期になって今日に持ち越されていました。今年は、PTA規則が改正になり、来年度の役員は、4月1日からとなっています。そのために今回は、例年より早めに来年度の役員決めをしていかなければなりません。1年がたつ早さを感じます。

 今日も役員のみんなが参加をしてくれ、和気藹々の中にもしっかりと話し合いをしていただきました。この役員会の決定をへて、来週PTA運営委員会で地区に提案していきます。役員会・・・運営委員会・・・地区代表者会・・・PTA臨時総会(学年末PTA)とつながっていきます。仕事としては、年度末になるので、卒業式などもあり、これからなんとなくあわただしくなりそうです。

 しかし、これもPTA活動の充実とそれから子どもたちにしっかりと反映されていくと考え、いろんな人の助けを借りながら、一つひとつを大切にして、組織を作ったり、行事を充実させていきたいと思っています。

 そのためにも早く風邪を治さなくちゃ。

「感染列島」を鑑賞しました

2009年01月18日 | Weblog
 邦画「感染列島」の公開初日に小倉のコロナワールドに鑑賞に行きました。前回の「生存者あり」の予告編で「感染列島」を見たときにおもしろそうでした。そのときから見に行くことを楽しみにしていました。

 テレビのコマーシャルでコロナワールドのことを宣伝していました。小倉駅北側にあるできたばかりの映画館です。その映画館には、ボーリング場や温泉センターなどがあります。時間があれば一日ゆっくり過ごすことができます。きれいな映画館でした(上の写真)。そこで見ることにしました。

 この映画の監督の瀬々監督は大分県の豊後高田市の出身です。またプロデューサーも竹田市出身と大分県つながりで完成をさせています。パニックシーンだけでなく、ヒューマニズムにも目を向けた映画でした。主題が分散しているだけに予告編より緊張、恐怖感が少なかったです。そう思って行かないとちょっと物足りないかも知れません。楽しむことができました。


「たとえ明日地球が滅びようとも今日君はりんごの木を植える」危機的な状況の中で命を助けようと懸命に治療にあたる医師たち。しかし、一方では、新型ウィルス発生において、原因がはっきりしていない中で、世論は責任のなすりつけをしてしまう。養鶏場の方が自殺するシーンはなんともいえないせつないものでした。新型ウィルスの流行について、ニュースなどで話題になっていますが、実際に発生すると、映画以上にいろんなパニックが世界で起こってしまうのでしょう。組織的な冷静な判断と行動が必要になることを感じました。


 救護に当たる場面では、マスクをかけているシーンが多かったのですが、マスクを取り扱っている会社の「白元」が提供していました。先日の文章に載せたマスクも白元が製造していました。初めて知りました。この映画でマスクの売り上げがアップしているそうです。なるほど・・・いろんなところに影響があるのですね。

 主題歌のレミオロメンの「夢の蕾」の曲がなかなかいい雰囲気でした。

人と自然とのつながり

2009年01月18日 | Weblog
新春を迎えて、田舎ではいろんな行事があります。

 まず、1月1日の元旦の日です。夜中の12時になり新しい年になってから、近くのお宮に初詣に行きます。お宮の境内では焚き火が行われています。火の明るさの中でお参りをします。会った地区の方々と新年のあいさつを交わします。お参りが終わってから、お宮の社務所にいきます。そこでくじをひきます。たいがいはずれでティッシュの箱を持って家に帰ります。事前に地区でくじが売られています。元旦の地区のコミュニケーションです。

 元旦の朝は、11時から初寄りが、地区の公民館であります。以前は、いろんな料理などが出ていたのですが、今は、ちょっと決め事をして規定の量のお酒が出てから終わりです。

 先週は、大字地区の公民館の初寄りが1時からありました。これも出ないと大変です。というのは、欠席をした家は、罰則金2000円です。もちろんいろんな決めることがあるので、出ないといけないんですけどね。地区の役員の組織などが決定されます。決められるまでに時間がかかります。  

 そして、来月の14日はどんど焼きです。朝から竹を切りに行きます。夕方から火をつけて餅をやきます。そこには、地区の人たちで豚汁を作ったり、お神酒を出したりします。このように新春を迎えふるさとも動き出しています。ふだんはみんな仕事がありなかなか顔をあわせる機会が少なくなっていますが、正月ならではです。わずかな時間ですがふるさとの交流の時間です。

 昨日、家に戻っているときに、家の近くの橋を渡っていました。その見慣れた風景の美しさに目がとまりました。夕焼けの空。石橋。そこに流れる山国川。今は、河川工事などで消え去っていっている竹やぶなどの岸辺の風景。なんとなく郷愁が感じられました。

 人と人との結びつきとともにこのようなふるさとの自然の風景を大切にしたいものです。

新聞に

2009年01月17日 | Weblog
1月22日付け読売新聞の全国版に、母のことを書いた記事が掲載をされました。東京にいる母の弟になる叔父から、姉のところに記事が出ていることを伝えてくれました。また新潟にいる父の姉にあたる叔母からも手紙が届きました。小さな記事だけど、見てくれていてとてもうれしく感じました。

 もう二度と自分の名前を母から聞くことはないだろうと思っていたけれど、正月に戻ってきたときに思いがけず、母の口から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。それは、懐かしい言葉でした。

母が名前を呼んだときに、家族から「よかったね。」という言葉が返ってきました。家族も自分には、直接言いませんでしたが、いろいろと気を使ってくれていたようです。
この間、母のところに行ったときも、法要のことなどもよく覚えていました。家に帰るということは大きな影響をもたらすと思いました。しかし、家族の仕事や病状のことを考えると、そうできない現実との壁の厚さを痛感します。暖かくなれば、また日帰りなどもしてもらいながら家族の中での生活を一緒に楽しみたいと思っています。

血液の格差?

2009年01月17日 | Weblog
「20歳(はたち)の献血運動」がジャスコに行ったときに行われていました。血液でだれかの役に立てば・・・と残念ながら『20歳(はたち)』の献血ではありませんでしたが行いました。

 昨日のテレビで歌舞伎俳優の方が白血病で苦しみながらも生きるために、舞台にたつために治療を受ける・・・という番組がありました。骨髄移植、抗ガン剤治療などありとあらゆるものを行っています。壮絶な病気との闘いでした。

 しかし、最近命にも格差があるのかなって思うこともあります。地方の病院ではいろんな科が閉鎖になっています。中津市は、産婦人科などが急激に減りました。隣県に行く人もいます。病院に行くためには、時間をかけていかなければなりません。

 症状が重い友人は北九州まで行っています。また昨日の番組のように高額の所得者はいろんな治療を受けることができますが、例えば同じ治療を所得が低い人、また地方にいる人ができるのかって言えばそうとも限りません。みんなが可能な限り高度な治療を受けることができるようなシステムなどを確立させて欲しいですね。
と言いながら、献血の話をします。

 骨髄バンクに登録などもしたいのですが、まだその機会には恵まれていません。献血は15回を超えました。最近は、400ミリリットル採取されます。そして400ミリリットル血液を採った人はガラポン?!ができます。グリコの非売品というお菓子セットももらいました。血液の代償?!


 ガラポンは、なんと赤玉の一等賞でした。「あっ、すごいですね。」と係の方。血液にも格差?ラーメン一箱でした。おっ、当たった。当たるに越したことはないと思いながら、血液で収穫した大きな箱を車に詰め込みました。なぜか日田で寒波の中、重宝されています。

あったかなふとん

2009年01月14日 | Weblog
 先日の休みのことです。小学校で教えたてっちゃんがふとんなどの店で働いているので、時間の合間に行ってみることにしました。てっちゃんは家族の方が病気になって中津に戻ってきました。そんな優しい鉄ちゃんです。

 せっかく行くなら、敷き毛布を買って帰ろう思いました。2階がふとん売り場です。いた、いた・・・てっちゃんが接客をしています。しばらく見ていない間にさらに立派になっています。なんていうのかな・・・ふとんなどは清潔感が大切なものだと思いますが、その雰囲気が漂っているてっちゃんです。

 さらに好奇心。どんなことをお客に言ってんのかな。ふとんのことをお客さんに説明しているところに行きました。敷き毛布を見ながら背中でてっちゃんの言葉を聞いていました。おっ、わかりやすい説明。ふとんの性能などを説明しています。お客さんが違うふとんに興味を示しました。でもそのふとんについても具体的に話をしています。どのふとんの機能もお客さんの立場に立って理解しています。すごい。

 そのときです。「かったかちゃん。」どきっ。小学校で一緒に勤務したH先生が声をかけてきました。ばったり出会いました。「なに買ってんの。」おっ。その言葉にてっちゃんに気づかれた。
「あれ、かったか先生。」
盗み聞き?!がばれた。
「私もてっちゃんのところでふとんを買っているのよ。」
とH先生。てっちゃんの接客が終わってから、3人で楽しくいろいろ話をしました。
「H先生、てっちゃんは、しっかりふとんのセールができていたよ。お客さんが違ったふとんの説明を求めてもちゃんと分かりやすく答えていたよ。すごいよね。」
と働きぶりを説明しました。

「びっくりしたあ。」

とてっちゃん。小学校時代と変わらないにこにこ顔で話を聞いているてっちゃんです。お店の方も来ててっちゃんの小学校時代の話や今働いている話などをしました。懐かしい話がいっぱい出てきました。しばらく話をしました。

 最後に、てっちゃんに敷き毛布を選んでもらいました。「今日までこの価格だから。」ほんと?一つひとつに説明をしてくれました。1980円の安い毛布しかかえませんでしたが、家族分を買って帰りました。
 てっちゃんが車まで運んでくれました。

「先生ありがとう。」
 さすが、マナーが行き届いています。あいさつがまたさわやかでした。本当に頼もしい姿を見せてもらい感激をしました。今、寒波が来ているけれど、肌ざわりがよくそして、とってもあったかいです。それは、てっちゃんの気持ちも入っているのかもしれません。とても重宝しています。家族も大喜びです。

恐怖!車が降ってきた!

2009年01月13日 | Weblog
 一昨日からの雪。そのために昨日の夜から日田に戻りました。夜しか戻ることができなかったので、中津市と日田市の間の大石峠を越えるのがちょっと不安でした。

 その不安が的中。かったかくんの車は、スタッドレスと4輪駆動なので、坂道も結構強いです。しかし、日田に車を走らせ大石峠をのぼっていると、トンネルの前の橋のところで車が止まっているのです。車線の中で止まっていて片道車線がふさがれた状態です。離合するのが難しいです。まったく・・・こんな日に装備なしで大石峠を越えようとする勇気はすばらしいのですが。

 そして、今日の朝です。窓を開けると思ったより雪が積もっていませんでした。ちょっと安心しました。しかし、保護者から電話。

「五馬は積もっていますよ。今日のPTAの登校指導はどうしたらいいですか。先生も気をつけて来てくださいね。」

 またまた不安を感じながら、五馬に向かいました。アパートから1キロ進んだところから雪が積もっています。だんだんと深くなってきました。五馬に行くには、アップダウンがたくさんありながら上り詰めます。しかしスタッドレスアンド4輪駆動。スイスイです。

 「なんだ、たいしたことはないや。」

と思いながら、下り坂から上り坂を登っていく途中です。道に車が横になってさえぎっています。運転手は一生懸命に車の体勢を整えています。止まって整うのを待っていました。すると、なんと横向きに車が滑って落ちてきます。まさに急な坂の上から車が降ってきているのです。

 「お~~っ。ぶつかる・・・・!」
ちょっと抵抗。後ろに急いで下がりました。前いたところまで車が滑ってきました。さらにこっちに来ています。

 だめだあと思ったときに相手の車が奇跡的に止まりました。車間は5センチ。セーフ。止まった間に影響がないくらいに下がりました。車から降りて相手の方の車を立て直そうと押しました。しかし、足の踏ん張りもききません。車は滑って対向車線の端に道路にそって止まりました。まさにガードレールすれすれです。ちょうどいい形です。奇跡の連続。なんと運がいい車なんだろう。

 「そのままにして置いたほうがいいですよ。雪が解けてから取りに来たらいいですよ。」

と言いました。相手の車も自分の車も無傷でした。よかった。その坂では、事故車も止められていました。人がいなかったので、たぶん昨日の夜のことでしょう。魔の坂です。

「家まで乗せていきますよ。」

と言いましたが、タクシーを呼ぶと言うので学校へ向かうために立ち去りました。

恐怖の体験でした。明日は、日田市がマイナス5度と天気予報で言っています。と言うことは、3度から4度温度が違うので、マイナス6度、7度くらいの最低気温になりそうで明日も要注意です。

成人式、おめでとう

2009年01月12日 | Weblog
今日は、すごく素敵な日でした。

 三光中学校勤務時代に3年生を担当した時の生徒たちの成人式でした。中津文化会館で行われました。式を見ることはありませんでしたが、夜の祝賀会(同窓会)に参加をさせてもらいました。

 小学校勤務時代と違って、中学校に勤務して生徒たちが20歳になるのがとても早く感じられます。しかし、「だれだろう・・・。」って思う人がたくさんいました。名前や生徒自身は全員覚えていますが、数年を隔てて容姿に変化がある人はわかりません。まったく、困ったのは、ちょっと会わない間に変わっている人から、

「僕だれと思う?」
「先生、わたしのこと覚えている?」

って質問をされる時です。担任だった先生は、あいさつのときに、「僕だれって聞かないようにして下さい。」と先制攻撃。


 幹事さんが10月からいろいろと計画を立ててくれて8割以上の人が参加をしていました。本当にお疲れ様でした。すごい企画力でした。

 懐かしい顔がたくさん会場にありました。5年が経っていてそれぞれの進路の中でみんながんばって、まとまっている学年です。みんな仲がいいです。にぎやかな中に落ち着いた雰囲気で20歳を迎えています。写真をみてもわかるようにいい感じでしょう。

 いろんな生徒と久しぶりに話をすることができました。野球部だった生徒とは、夏冬にOB戦で会う機会はありますが、それ以外の人では、本当に卒業以来という人もいます。また同学年だった先生ともかったかくんが日田に行ってから会う機会がなく本当に久しぶりに会いました。

 生徒たちは、学生の人もいます。社会人としてこの不況の中活躍をしています。地元に残っている人もいます。また故郷を離れている人もいます。

「今、看護師になるために大学に通っています。地元の病院で働きたいです。やっぱり家から通いたい。」
「消防士として昨日も山林火災の消火に行ってきました。」
「CGなどを扱う研究をしています。」
「博多で歴史を研究しています。博物館などで働きたいですね。」
「高校でパソコン検定などをとったので、今、ダイハツで事務の仕事に頑張っています。先生が中津で教えた生徒もいますよ。」
「自衛隊で看護の勉強をしているけれど、助産師などの資格もとりたいですね。」
他にも、管理栄養士になりたい、歯科衛生士になりたい・・・などと夢を持って努力していることにうれしさがありました。

 また会える日を楽しみにしています。体を大切に過ごして下さいね。それから、同級会の写真集を見たい人は、アクセス先を教えるので、かったかくんのホームページからメールをして下さいね。

温かい心で

2009年01月10日 | Weblog
今日は、昨日の夜からの寒波で雪が舞う一日でした。でも昨年もそうでしたが、雪が降るときは、休みのときが多く、まだ五馬に来てからはスタットレスタイヤが有効だった日はありません。4輪駆動車にしたのですが活用はされていません。でもそれの方がいいですね。


 ところで、今日はあるご夫婦の話を。先日、久しぶりに何かにつけお世話になっている方のところに新年のあいさつに行きました。すでにご夫婦ともに80歳近くになります。会社員を辞めてからは、本当に自分の人生を楽しんでいます。いろいろとドラマはあるのでしょうが、外から見ていると、ご夫妻の人生を本当に楽しんでいます。

だから行って話をするとほっとします。こんな生き方をしたいものだとつくづく感じます。そこには、利害関係や欲や複雑な人間関係もありません。森、竹細工、家庭菜園・・・まさに自然との共存と周囲の人に温かい心で包む、そんな生き方です。

そして、行ってから必ずご夫婦で作ったちょっとした竹の作品などをいただきます。たぶん、それは、自分だけにしてくれているのではなくて、来た方々にそんな気配りをしているのだと思います。心が洗われるような気がします。この日行ったときも庭先で竹細工をしていました。

「よお、おいでましたなあ。」

と笑顔で迎えてくれました。新年のあいさつをすませて、帰るときに写真のような字を書いた竹をいただきました。

『衆心成城  衆口鑠金』

 ご夫婦の説明によれば、「心をひとつに合わせれば、城をもつくることができる。しかし、お互い口で言い合ってばかりでは何もできない。」という意味だそうです。奥様が字を書かれてご主人が彫った竹です。二人で一生懸命に作られた竹をいただきすごく感激をしました。

ご夫婦のあったかい心の大切な宝物です。

薬物乱用防止教室

2009年01月10日 | Weblog
 1月9日(金曜日)に薬物乱用防止教室が行われました。生徒たちがこれから生活していく中で、出あうかも知れない恐ろしい違法なドラッグ。しっかりと知識として身につけさせておきたいと企画をしていきました。日田市は、違法薬物使用者の逮捕者数が大分県でも多いそうです。いつか、夜回り先生の水谷先生がパトリア日田での講演会で語っていましたが、

「違法ドラッグは他人事ではないのです。」

 西部保健所の薬剤師さん2名、そして、日田警察署の生活安全課の方が来られて話をして下さいました。またDVDを視聴したりしながらいろんな角度から薬物乱用の恐ろしさを学んでいきました。


 乱用とは、社会のルールから外れた方法で薬物を使用することだそうです。乱用される薬物は中枢神経を破壊します。一度破壊された脳は元には戻りません。興奮作用、幻覚作用、抑制作用などが発生し、中毒症になってしまいます。また依存性が出てくるので、人格さえ失ってしまいます。心と体がめちゃくちゃになってしまいます。そのことを薬剤師さんが詳しく話してくれました。専門家だけあって話もわかりやすかったですね。

 また事前に学校に来て準備万端な中での話でした。二人とも専門知識はもちろんでしたが、すごく親近感を持たせる雰囲気がありました。話を聞いた生徒の中には薬剤師さんになりたいと言う人も出ているかも。事前の来校のときからいろいろと話をすることができました。一人の方は、中津の方でした。


 一方警察の方は、社会的見地から話をしてくれました。違法薬物を使用すれば中学生でも逮捕されるそうです。油断していると、自分から手に入れようとしなくても入る場面に遭遇する可能性があるのです。出会い系サイトから薬物に手を染まっていった例もあげられました。変わり果てたわが子を見て、両親は泣き崩れたそうです。現実的なちょっと迫力ある話に生徒たちは聞き入っていました。

 薬物乱用に対しての知識ときっぱりと断る勇気がこれから生きていく中で重要なことです。この日の話が必ず、生徒たちに役に立つときがやってくると思います。先日の親子講演会、今回の教室から生徒たちは、『命』『生き方』について大切なことを学んでいきました。