かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「新しい年に向けての取り組み」

2024年11月30日 | 大分県
あっという間に、11月が過ぎようとしています。

明日からは12月。
師走がやってきます。

紅葉もとてもきれいになっています。


師走と紅葉。

例年と比較すると、ちょっと季節のバランスが違っているような気がしますが、とても美しいのでそれはそれでいいのかなと思います。
 
だんだんと2024年が終わろうとする中で、2025年の準備もしなければなりません。
 
昨日の夜は、来年度の野球の申請用紙を作成しました。

県・九州・全国の事務局に発送します。
メンバーの間違いがあると、出場することが出来ないので、一つひとつの書き込みを慎重にしなければなりません。

 
今まで、先輩の事務局の方々がしてくれていたあたりまえのようことの大変さを感じました。
 
平日ではなく、なかなか、週末にしかできないので、チェックしながら作成していると、夜がふけていきました。


あとは、コンビニなどでコピーするのもあり、そして郵送して終わりです。
 
もうちょっと。がんばろう。

 
そして、今日は、夏祭りの臨時総会と懇親会でした。

コロナの影響もあり、開催できない時もありましたが、4年間、実行委員長をしてきました。


他にもいろんな役も引き受けているので、今回、ひかせてもらいました。
 
この年齢になると、いろんな役が回ってきます。
それプラス仕事もあるので、いっぱいいっぱいになってしまいます。年齢のせいか・・・。

 
役をおりようとしても、過疎化の中で、役をする人がいません。

多くの人が地域や仕事の役を重複しながら、生活をしています。それでも地域の事を考えてくれています。

さらにこんなことが進んで、組織を変えていかないと前に進まない時代も近いうちにやってくると思います。 
 
そんな中でも、次の方が、無理をしながらも引き受けてくれたのでとても感謝です。

 
夏祭りの運営も簡素化するところはしていく方向性が出て来ました。地域の行事を継続していくために、総会の中で、みんなが考えていきました。
 
2025年の活動が始まっています。




「遅ればせながらの紅葉」

2024年11月28日 | 大分県
今日の渓石園のもみじの風景などの画像を載せながらのブログです。


今日の朝も昨日の美しい夜空の続きで、夜明けの空がとてもきれいでした。


おまけに虹も架かっていました。

車を走らせていると、何日か前にも、ブログに載せましたが、朝陽が山すそから見え始めようとしていました。


空の色、オレンジがかった雲が日の出を演出しているような感じがしました。

 
昨日のネットを見ていると、
「今、渓石園のもみじが美しい」
という記事が掲載されていました。



今日の夕方、幼い家族を連れて、渓石園に行ってみました。


家をちょっと通り越していくと、いたるところのもみじが鮮やかに夕陽に染まりながら輝きを放っています。


 
やっとふるさとにも紅葉の季節がやってきました。

遅ればせながらの短い本格的な秋の訪れでしょうか。

 
渓石園に着くと、陽が落ちる直前でしたが、まだ10人近くの観光客がもみじの美しさを堪能していました。



池の周りや小高い丘の上には、いろんなところにもみじが色づいています。


ぜひ、週末には、渓石園に行ってみて下さい。



夜のライトアップは終わったようですが、ライトアップしなくても十分、もみじを楽しむことが出来ると思います。


今週末を過ぎると、ピークは終わっているかも知れません。

 
どっぷりの仕事で、疲れた体が色づいたもみじ、水面に映るもみじと青空に癒されました。




「ふるさとの変化」

2024年11月27日 | 大分県
昨年のふるさとの紅葉の画像を載せながらのブログです。


今日も空が雲に覆われていました。
時折冷たい雨が降ってきました。
外で体育をしていた学年が小走りで校舎に戻ってきていました。
 
それでも夜は、雲が切れていきました。


夜外に出て、空を見上げると、きれいな星が輝いていました。
雨があがってすぐのことなので、空気も澄み切っています。 

 
きっと多く人が、星の美しさを感じたのではないでしょうか。
カシオペア座などはっきりと見えます。
またいろんなところに星雲があるのに気づきます。

 
そんな夜空の美しさでした。
♪あれがカシオペア、こちらは白鳥座・・・♬
<center>ふるさとの紅葉 </center>
しかし、橋の方まで行ってみると、家に灯りがともっていないところが多くなっているのを改めて感じました。

いろんな地域もそうと思いますが、年々、空き家が多くなってきています。 

 
いつかも書いたことがあるのですが、家の通りは、今では考えられませんが、それぞれに呼び名がありました。

「とうふや」「あめや」「かさや」「よろづや」「しおや」「しょうゆや」・・・などです。


わたしが生まれた時は、「あめや」や「かさや」はなかったのですが、それでも、
「今から、あめやに回覧板を回しておいて。」
などかつての店の名前で呼んでいました。

だんだんとその呼び方は、消えていって、もう若い世代の人は、そう呼んでいたことさえ、知らないかもしれません。

 
父の代は、よろづやです。おちゃわんから、布やきれ、下着、電気製品、くぎ、タイル、砂にバラスにセメントに・・・。家の中のいたるところの部屋が足元が見えないくらいに、品物だらけでした。

田舎の民家の「Loft」でしょうか。
 
テレビに馬が出ていたので、幼い家族に、
「うちは、昔は、馬具を売っていたんだよ。」 
ひづめや鞍が置いてありました。

その頃は、馬が道路で、伐採した木を材木を置くところまで引っ張っていました。


だから馬具を買いに来る人もいました。
そう書くと、懐かしい時代を思い出す人もいるかも知れません。
 
かけがえのないふるさとが、これから、10年後、20年後どのように変化していくことでしょうか。





「師走が近づくにつれて」

2024年11月26日 | 大分県
今日は朝から冷たい雨。
まだ、半そでやノースリーブを着て登校していた子どももさすがの今日は、長そでを着ています。
やっと服装も秋らしく、冬らしくなったような気がします。

 
そんな中、学校生活は、2学期末を迎えています。
「通知表の締め切りが〇〇日までです。」
などの連絡が入っています。


どの学校も通知表を子どもたちに手渡す前に、学校に提出をします。締め切りに合わせて、これから先生方も本格的に動いていきます。

 
今は、校務のパソコンでの作業です。
そのために、子どもたちが帰ってからの作業となります。


人数が多い学校の先生方は、放課後はパソコンとにらめっこです。
万が一、印刷機などが故障すれば、あたふたです。


昔は通知表を家に持って帰って、こたつに入り、一人一人に手書きのコメントを書き、数値の印鑑などを押していました。


最後に通知表を折っておしまいという作業でした。
お茶などをこぼしたりしたら大変なことです。

アナログの良さはありますが、それぞれに時間がかかりました。


提出締め切り前は、あっという間に夜も更けていきました。
それも懐かしい思い出です。

 
学校では、なおかつ、授業進度も2学期分は終わらせておかなければなりません。

授業内容も濃いものがあるので、子どもの理解と進度のバランスを取っていくのもエネルギーが要ります。


テストもたんまりとあります。
子どもたちはテスト、そのあと、先生たちは採点と通知表作成で師走の前半は超ハードです。


それに加えて年末に近づくにつれての行事も増えています。
何か変えていくことも大切なのかなと感じます。


時はどんどんと進んでいきます。
写真は2年前に行った英彦山の風景です。




「気合いの一日」

2024年11月25日 | 大分県
今日の朝は、気温がぐっと下がりました。
屋根や田畑を見ると、白くなっています。


初霜です。
霜がおりていました。
それをみただけでも寒くなります。

 
学校で、
「霜が降りていたんですよ。」
と言うと、
「さすが耶馬溪ですね。」
という言葉とともに、
「うちのところもですよ。」
よかった。
ちょっと安心感です。
なんの安心?市街地に住む人のところもきちんと、寒さはやってきています。

 
その放射冷却とともに、青空が広がりました。


校庭を見ると、青空のもとでの銀杏の木が映えていました。

 
昨日の夜は、地元の野球チームの懇親会でした。
昼間は、ゴルフで夜は懇親会です。
昼間は、参加はできませんでした。


「かったか、今日は、仕方ないけど、こん次は、ちゃんとゴルフも出らんとしらんきのう。」
 
おっと先輩からすごみのにらみが来た。
やばい、目をそらさねば。

「そうです。
旅行でしたから・・・。」
こん次も旅行とぶち当たりますように?!

 
クラスや部活の野球部で受け持ったりした生徒たちもいるので、こうして、一緒に過ごせる時間も楽しく感じます。

いろいろとその頃を懐かしく思いださせてくれます。
 
で、今日は、やや疲れていましたが、気合いで乗り切れました。




「別府・湯布院への旅行」

2024年11月24日 | 大分県
12月の足音が大きくなってきています。
そんな中で、先生方と別府・湯布院への旅行が行われました。
20人の方々が参加をしました。

 
企画していただいた先生たちのおかげで、楽しい時間を過ごすことができました。

こちらの勤務時間の関係で、なかなか先生方とゆっくりと話をする時間がありません。
とてもいい機会をもち、ふだん話せない方々と話をすることができました。

 
企画がすごい。
 
昨日は別府で砂湯を楽しむ・地獄を楽しむ・うみたまごを楽しむという3つの選択がありました。
ふだんの疲れをいやすのに、砂湯を選びました。

 
砂湯は、砂の上に寝てから、砂をかけてもらうというイメージがありましたが、自分で掘って、じぶんで砂をかけるという労働?です。


「もうちょっと足まで・・・」
などお互いに砂をかけあいながら、30分くらい寝てしまいました。気持ちがよかった。
夜は、懇親です。

 
今日は、いざ湯布院へ。
ここも選択です。

アロマづくり・陶芸づくり・ステンドグラスづくり・トリックアート見学・・・の4つの選択です。

トリックアートを楽しみました。

それぞれの見学も楽しかったようです。


昼ご飯は、うなぎです。
湯布院の景色も秋の風景です。
きれいな由布岳を見ることができました。 

 
人と人とのつながりが希薄になっていく傾向がある中で、とても素敵な時間を創ってもらいました。
バスで帰途につきました。
よし、また明日から頑張りましょう。

 
夜は、地元の野球仲間の懇親会でした。
懇親会三昧の土曜日、日曜日でした。




「PTA授業参観日」

2024年11月22日 | 大分県
午後からPTA授業参観日でした。

算数の授業を行いました。
たくさんのお家の方が詰めかけた中で、久しぶりに緊張した中での授業を行いました。

今日は、天気も良かったので、いい秋の空気を吸いながら、お家の方も学校にやってきました。 
 
明日は航空祭の前夜、そして明後日は航空祭です。

基地に近い学校です。
航空祭の練習のためか、戦闘機も低空を飛んでいます。


子どもたちは、もうなれているのか、まったく気にしない様子。

こちらは、今までにそのような経験が少ないので、音にびっくり。
環境の違いを感じます。

よく家に来た人が、
「川の音がよく聞こえますね。雨の音かと思った。」
と言いますが、こちらには、川の音が聞こえません。
それと同じようなものなのでしょうか。

 
そんな中での授業。
 
子どもたちも、お家の方が気になりながらも、最後まで頑張って授業に臨んでいました。

出逢った頃から比べて、成長していることを改めて感じました。

 
こういう行事の時などは、特に子どもたちのチェックが厳しいです。
「せんせい、きょう、なんで背広きてるん。そんな服持っていたんやな。」
なるほど。

「ネクタイ似合わんよ。」
はい。

「なんか今日、匂いが違う。」
えっ。

「せんせい、鼻毛がでているよ。きになるぅ。」

「あっ、頭の毛、固めてる。ねえみんな。」
別にほかの人には、言わなくてもいいやろ。

 
そんなこんなで1日が終わりました。
ちょっと風邪気味。週末は、体調を整えながら、新しい週を迎えましょう。

 
写真は、今日の朝の様子と季節外れの庭に咲いている花と秋のもみじです。


「紅葉の季節」

2024年11月21日 | 大分県
大学時代の後輩から電話の着信がありました。
気がつかなかったので、
「何かあったのかなあ。」
と思いながら、あとからかけ直しました。


「今日、耶馬渓の方に、もみじを見に行ったんですよ。」
おしい。
会うことが出来なかった。

声を聴くことはあっても、もう10何年か再会ができていません。


今日の、地方紙の朝刊には、もみじの写真が満載でした。
県内にもいろんなスポットがあります。

 
後輩は、青の洞門、羅漢寺、そして渓石園に行ったということでした。

 
今日、学校の帰りに「御霊もみじ」に立ち寄りました。

ピークまでもう少しというところでした。
しかし、枯れていっているもみじもあって、鮮やかさは、例年よりも薄くなるのかと感じました。

 
だから後輩には、
「もみじの美しさはそこまでなかったんじゃない。」
と言うと、
「そんなことはないですよ。きれいだったです。」
とうれしい返しの言葉。

 
スポットによっては、気温などの関係もあり、ピークになっているところもあるのでしょう。


よかった。
わざわざ耶馬溪を訪れているので、安心しました。

 
期間が短くなっている秋を、残り少ない秋をしっかりと堪能したいと思います。

 
写真は、今日の夕方の「御霊もみじ」付近の様子です。
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「太陽からのパワー・・・」

2024年11月20日 | 大分県
朝は冷え込んでいます。家を出る時は4度でした。
しかし、寒くなっているので、空気は澄んでいます。
 
先日も、載せたのですが、朝陽です。

 
通気をしている時に、八面山の横から太陽が昇ってきます。

その風景がとてもきれいです。
何となく1日頑張ろうというような気持ちになります。


太陽が昇ってくる時のオレンジ色、太陽から離れたところの青空、清々しい空気・・・パワーをもらえます。

 
今、30数年ぶりくらいに、低学年に関わっています。

算数では、直角、長方形、正方形、直角三角形・・・などを教えています。

分度器で覇かって90度ということではないので、直角という見た目の感覚を教えるのが四苦八苦です。


一方では、算数のかけ算九九の復習も行っています。
 
子どもたちとこのように関わっていけるのに、充実を感じます。
 
今日は1年生や5年生の教室にも行く機会がありました。

当初は、子どもたちの顔も分からなかったのですが、だんだんと知る機会もでき、学校にいる時間を楽しむことができています。

 
1年ずつを突っ走っています。
たくさんの子どもたちと出逢えます。

この1年もあと4か月近くになっています。

どこまでいけるかわかりませんが、決して、長くはないであろう教員の生活の1日、1日を、太陽からもパワーをもらいながら、大切に過ごしていきたいと思います。
 
写真は、今朝の八面山の朝陽です。そして、校庭からの青空です。
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「防災・避難訓練実施」

2024年11月18日 | 大分県
私自身が小学生の頃など「避難訓練」といえば、火災時の避難の訓練が主流だったと思います。

しかし、今は、火災、地震、水害、不審者などの避難訓練など、多岐にわたって、年間を通じて計画的に実施をしていきます。
 
それだけ、いろんな事件や災害が発生しているということです。


思えば、大地震は何年かに一度、発生しています。
住んでいる地域も2016年、熊本大地震の時は、本震、余震としばらくの期間、揺れ続けました。
 
2011年の東日本大地震の時くらいから、地震、洪水と続いているような気がします。

2012年には、九州北部豪雨が発生しました。
まさかと思うところから、濁流が押し寄せてきて、ふるさとに甚大な被害をもたらしました。
 
当時、勤務する学校では、PTA会長さんをはじめ、PTAの方々、そして先生方と連携しながら、安全を確認したのちに、子どもたちを帰宅させていきました。


自宅までの帰り道、荒れ果てたふるさとを見て、愕然としました。
 
それ以降も、洪水が発生して、帰宅困難者となった生徒と、避難所で一夜を過ごした経験も持ちました。

 
梅雨時の大雨、夏の台風、災害級の猛暑、秋の台風、雪や凍結などの冬の冷害・・・いろんな自然災害がかつて私たちが過ごしてきた以上に激しく待ち構えています。

ふるさとの風景が変わってきました。
またふるさとから災害で離れていく人も出てきました。
 
季節がずれてきたり、季節の長さが変わったり、以前のように四季折々といった趣が薄くなっている季節もあります。

 
だからこそ、今、防災について関心を持つ事は、命を守るために大切なものとなります。
 
今日は、学校で、地震発生時の避難訓練を実施しました。
地震発生時、机の下に机の脚をもって、身をもぐりこむ、海辺の学校なので、津波襲来の対応をするという学びをしました。


今の災害は、想定をはるかに超えるものが多いです。
 
避難したグランドでは、看護師として能登半島地震・東日本大震災・熊本地震などに派遣された防災士の方の話がありました。


話一つひとつに重みを感じました。
子どもたちも真剣に防災士の方の話に食い入って聞いていました。
 
今、ふるさとの河川では昨年の水害の修復工事をいたるところで行っています。

しかし、もし、今年、昨年と同じような洪水が発生していたとしたら、工事が終わってなかっただけに、甚大な被害が発生したのではないかと予想されます。

 
計画的な防災学習の中で、「命を守る」訓練を計画的に実施していくことの大切さを感じます。
その意味で、今日の訓練は意義深いものがありました。
 
写真は、昨年の洪水の様子です。


「嬉しいだいちゃんの訪問」

2024年11月17日 | 大分県
今日は、午前中、会合がありました。

すでに来年のことについての話でした。
まだまだ秋なのに、時は年末に近づいて、もう来年のことについての話がありました。

 
それが終わり、秋の果物を購入するお店に。ひと袋に柿の詰め放題というのがあったので、ビニール袋が破れそうになるまで、富有柿を詰め込みました。

家の柿は、先日も書いたように、今年2個の収穫でした。

来年は、購入しなくてもすむ収穫を期待しています。

 
帰って、お昼寝です。目覚めた時、
「ピンポーン」
夕方、地区のことで家に寄ってくる方がいたので、その人かなと思って出ました。


すると、かつての生徒(もうすでに44歳ということです。早いものです。)が親子で訪問してくれていました。

「おっ、だいちゃん。上がって。」
と言うと、今は、サイクリングの帰りで、5時までに自転車を返却しなくてはいけないと言うので、外で話しました。


親子4人でのサイクリングです。
今日は、暑くもなく寒くもなく、青空はありませんでしたが、気持ちよく秋の風を浴びながら、サイクリングロードを走ったことでしょう。
 
お子さんのお兄ちゃんの方は、今年高校への受験生ということです。受験先もしっかり決まっています。

おにいちゃんが小学生時代、一度、キャッチボールをしたことがありますが、背もすらっとしていて、陸上のアスリートとして活躍をしています。

今年は、福岡県の地区代表として、中体連の全国大会にも出場したことを聞きました。
すごい。
「かったか先生はどこの学校に勤めているんですか。」
おっ、生徒のお子さんから「かったか先生」という言葉もうれしいです。


「俺とせんせいは、ずんぐりしているけど、この子はすらっとしているんよね。」
とだいちゃん。
・・・・・・・。

 
妹のおねえちゃんも豊前の小学校に通っています。
自転車に乗り始めたばかりで、話をしている間もうれしそうに道路をあっち行ったりこっち行ったりしていました。


ほんのわずかでしたが、楽しい時間を過ごしました。
「帰りは、少し坂になっているので、きついので、お父さんやお母さんが倒れないように、見ておくんよ。」
とお兄ちゃんに言いながら、別れました。

 
今は、河川の工事をしているところが多いので、サイクリングロ―ドがう回路になっているところもあります。
帰る姿を見送りました。

う回路の坂をお父さんもお母さんも懸命に上っていました。
4台の自転車の姿が、ほのぼのとしたものを感じました。
 
これから受験のシーズンが始まります。
お兄ちゃんにはいい春を迎えて欲しいと願います。
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「冬支度」

2024年11月16日 | 大分県
なんとなく寒くなってきて、なんとなく衣替えも終わっていました。

日中はちょっと暑いと感じる時もありますが、冬の準備も進めています。 

先日、こたつを入れました。
夜は、やっぱり冷えます。

ストーブとまではいきませんが、ちょっと暖房を入れるといい時もあります。
来週は、忘年会などがあります。

しっかり年末の感じがし始めています。 
 
毎年、大河ドラマを見ています。大河ドラマの最終回を見たときは、
「あー、1年が終わったなあ。」
という感じです。


今年は、「光る君」をしっかり見ることができています。

戦国時代などのストーリーではなく、平安時代の話なので、最初は、「今年はあまり・・・」と思っていましたが、見続けていると、今まで知らなかった、平安時代の歴史や貴族文化をあらためて知ることができ、毎週日曜日が楽しみでした。

またどこまでが史実かは分かりませんが、藤原道長と紫式部の恋物語も興味深いものがありました。

しかし、12月15日が全48回の最終回です。
「あー、1年が終わります。」

とはいえ、まだ紅葉のピークがやってきていません。
早く来ないと、クリスマスの花・冬の花に負けてしまいます。
 
今日は、シクラメンの花が店先にあったので買いました。
ポインセチアなど、クリスマスの花が埋め尽くされていました。
 
冬がやってきます。
夏の暑さにも耐えたので、冬の寒さもしっかり凌ぎましょう。


「九州地方更生保護大会へ~いざ佐賀へ~」

2024年11月15日 | 大分県
なんとなくどんよりとした雲に覆われた一日でした。
昨日も書いたように、来週からは気温もぐっと下がってくるということです。
スタッドレスタイヤなどもぼちぼち準備もしておかなければなりません。

 
そんな中、今日は、佐賀市文化会館で「九州地方更生保護大会」が開催されました。

参加する方々といざ佐賀市へ。
同じ九州でもなかなか佐賀に行く機会はありません。


以前は、高校野球の応援で佐賀の球場に行きました。
そして中体連の柔道の応援で佐賀の武道場に行って以来です。

しかし文化会館の前に球場があるのですが、また新しくなっています。
文化会館周辺にはいろいと新しい施設ができています。
 
この大会は、5年に1度の開催ということです。
そういう発想と設定もいいのかなと思います。

九州各県から参加者が集まっていたので、1000人近くの人が文化会館の大ホールに集まりました。


佐賀のお弁当も美味しかった。
開会行事からのスタートです。

 
特に関心があったのは、講演会でした。
「西鉄バスジャック事件の被害者になって考えたこと~加害者も以前は被害者だった~」
という演題の講演でした。
 
この事件は、2000年に発生しています。

ということは、24年前ということになります。


もうそんなに時間がたっているのかと思いました。
事件の日は、震撼させられ、テレビのニュースに釘付けになったのを覚えています。
 

佐賀駅から福岡天神行きの高速バスが17歳の少年にバスジャックされました。

多くの人は覚えていることでしょう。
そのうちの1人が死亡、2人が重傷を負っています。

その重傷だった1人の方の講演でした。
 
生々しい事件の様子、事件から今に至るまでの気持ちの移り変わりなどを話していきました。

 
とまどいながらも加害者の家族と面会をしています。
小さな環境、少年の基となる家族の親からきちんと謝罪をして欲しいという強い願いを持っていました。

その後、少年院で少年とも面会をしています。
事件から5年経過しています。

ここでも少年からの「すみません。」という言葉があったそうです。いろんな思いはあったでしょうが、少年の生育等のことも考慮しながら、
「これまで誰にも理解されずにつらかったね。」
「これからのあなたの生き方を見ているから。」
というメッセージを送ったそうです。
 それから「あの子にも居場所があったら。」という思いがあり、
大学などでも学び、不登校支援の親の会を開き、その後、心のバランスが保つことができない子どもたちの居場所づくりに始めています。

 
「失敗してもおわりではない。」
ということ。
「おこったことは変わらないけど、向き合い方は変えられる。」
「自分を投げ出さないこと。」
を軸に子どもたちに訴えながら、活躍している講師の方の素晴らしさを感じました。


「秋の朝の空」

2024年11月14日 | 大分県
今日の朝の空はオレンジ色に染まっていました。

明け方の空は、うろこ雲そしてすじ雲が占領していました。


それに太陽があたっています。


今日の明け方の空がきれいだと思った人も多かったのではないかと思います。

 
家を出てから木ノ子岳を見ると、木ノ子岳と茜色の空と空の色に染まった山国川。

まるで、絵の具で描いたようです。
幻想的な風景でした。


遠くに見える鹿嵐岳、八面山と車窓から堪能することができました。運転に集中しながらも流れていく景色を眺めました。

 
学校に着くと、子どもたちがやってきています。


教室の窓の外を通っていると、教室の中からの窓ガラスにペタ。
窓ガラス越しにお絵かき帳にたくさん描いたシマエナガなどの鳥の絵を見せてくれました。


すごい上手です。
「うまいねえ。」
と言うと、にっこりして、お絵かき帳を持って、どこかに行ってしまいました。


でもとてもほっこりするような一瞬でした。
 
来週からは、気温もぐっと下がるということが、天気予報で伝えられています。

 
秋の深まりから、だんだんと冬にも近づいていっています。

写真は、今日の朝の風景と鳥のイラストです。
秋の朝の空に癒されて下さい。




「白米城址からの景色」

2024年11月13日 | 大分県
秋の紅葉の季節。今日の夕方、白米城址に行ってみました。

どんな色づきなのかを見たかったのですが、温暖化の影響でしょうか、紅葉のシーズンになっても鮮やかに色づく・・・というほどまでいかないような気がします。

今日の白米城址の景色です。

 
子どもたちに、白米城の説明をしました。

半分聞いて、半分、ジュースの美味しさを感じていたようです。

秋の鮮やかさはなかったのですが、やっぱり、城跡から見える景色はとてもきれいでした。


夕方だったので、夕陽のオレンジ色が、風景をさらにグレードアップしています。
 
鎌倉時代に城が築かれ、戦国時代には、黒田官兵衛の家臣の栗山大善が生まれ育った城でもあります。

そういうことをイメージすると、栗山大善や黒田官兵衛たちがどういう気持ちで、木ノ子岳・立ち留まりの景、山国川などを見たのかなと思います。

史料などには、次のように書かれています。


『本耶馬渓多志田から大きく蛇行する山国川に沿って、国道212号線を「立留の岩」のあたりにさしかかると、川向こうに山国谷にはめずらしい広々とした田園風景が見えます。

平田の里です。
 
集落のうしろに、方形の盛り上がりを見せる小さい丘が目に入ります。

平田の古城址です。

800年ほど昔の建久9年(1198年)豊前の守護として入国した、源頼朝の御家人で、宇都宮信房の弟野仲重房が、この谷のおさえとして築いた城の一つで、平田掃部介が最初の城番をつとめたといいます。 
 
この城の名前は、白米城(まつたけじょう)といいます。

これは、城の所在地での字名を、町丈(まつたけ)というところからきたものと思われます。

もう一説は、平田(町丈)が山国谷では米の多産地であることから、

白米と書いて「まつたけ」と呼んだともいわれます。



現在、城址は公園になっており、忠魂碑などが建ち、「城山」とも呼んで親しんでいます。

この城は、有名な黒田騒動の立役者、「栗山大膳」が生まれ育った城でもあるのです。

天正15年(1587年)天下統一をめざす秀吉の命をうけて、豊前中津に入国した黒田孝高(如水)は鎌倉時代からこの地に根をはった、名族宇都宮一門の討伐に手をやきます。


上毛(福岡県築上町)の山中に、鬼ガ城をかまえた本家直系宇都宮鎮房と、下毛(大分県中津市)山国谷の奥地、長岩城にこもる分家の野仲鎮兼が、もっとも手ごわい相手でした。

天正15年10月、宇都宮鎮房を攻めた黒田長政は、縦深24キロのウナギの寝床のような城井谷に誘い込まれて大敗。

攻撃目標を鎮兼に向けかえ、天正16年4月5日、長岩城を攻めたて、3日間の激戦のすえ、野仲氏をほろぼします。


このいくさで、抜群の手柄をたてた栗山利安に、黒田孝高は野仲氏の領地を与え、残党の蜂起にそなえて、この白米城を居城とさせたのです。

天正19年、のちの栗山大膳利則はこの城で生まれ、慶長5年(1600年)、黒田長政が筑前に転封するまでの10年間、つまり、10歳までの幼年時代を、山国川畔のこの城で育ちます。』
 
癒された夕方の白米城跡からの景色でした。