かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「九九にがんばれ!」

2024年10月31日 | 大分県
今週末は3連休となります。
楽しみにしながらあと1日、仕事にも頑張りたいです。

が・・・。
温帯低気圧の接近。

心地よい秋風を浴びてという感じにはならないのかも知れません。
3連休は、地元のことや野球といろんな取り組みがあります。あれやこれやの秋です。
 
今、小学校2年生は、かけ算の九九の勉強中です。
全国多くの学校の2年生は、一生けんめいに覚えていることでしょう。

「三一が3,三二が6・・・。」
あの手この手を使いながら、覚えているところです。
 
これが算数の基本の一つとなるので、2年生にはしっかりと覚えていって欲しいです。

「いろんな先生に聞いてもらって、合格したら印をもらって。」
というカードがあります。
休み時間などにも子どもたちがやってきます。

「6の段をいいます。」
「4の段をいいます。」
言えなかったとき、悲しそうな顔をしながら、戻っていく子どももいます。
その背中に情をかけたいところですが、
「いつでもまた言いにおいで。」
とエールを送ります。
できたときはハイタッチ。
 
家に帰っても、家族の2年生。
「宿題は?」
と聞くと、
「3の段を10回言う。」
一緒に言ったり、聞いたりしながら10回をこなします。

学校でも家でも、九九です。
夢に出てきそうです。
全国の小学校の2年生、頑張って!
 
帰りに学校近くの干潮気味の海辺に立ち寄りました。
ちょっと青と茶色がまじった低気圧接近前の海の色でした。

その写真です。



「過去のあの日パート2 10年前・・武将の来校」

2024年10月30日 | 大分県
昨日、「過去のあの日」で、修学旅行の様子を掲載しました。
その当時の三光中学校のPTA会長さんから、「懐かしい。」という連絡をもらいました。

会長さんとの楽しかったエピソードがあります。
そのエピソードにもふれていました。
今から10年ほど前のその時のブログです。

懐かしい大切な思い出です。

『「突然の三光で天下の夢を見た
              雄たけびあげて武将を歓迎」
今日は、13日の金曜日。
「今日は、13日の金曜日だね。」
と朝、生徒に言うと、「何か行事があるんですか。」
知らない。

世代が違うのか。世代の感覚が違ってきたからこそなのか・・・そんな中、今日は面白いドラマがありました。
 
昼休み、ちょっと仕事をしていると、会長のEさんから(誰だか知らないほうがミステリーなのかも知れない。)から電話がかかってきました。

「先生、今日は、ニュージーランドから来ている生徒の最後の日ですよね。」

よく知っている。
「そうですよ。」
と返事をすると、
「お願いを聞いてもらっていいですか。」
と言うので、いつもお世話になっている方なので、即
「いいですよ。」
の返事をしました。
 
内容は次の通りでした。

「今日が生徒の最後の日なので、何か日本での思い出を作ってもらいたいのです。
今、中津が黒田官兵衛ブームとなっているので、ゆるキャラをかぶって学校に行っていいですか。
そして、離れていく生徒の前に立ちたいのです。」
 
すごい。

最後、思い出づくりとシールのプレゼント。

来る時間の日課表を見ると、社会になっていたので、社会の担当にちょっとだけおじゃまします…という了解を取っておきました。

しばらくして、3つの大きな袋を持ってやってきました。

Eさんが着替え始めました。

ゆるキャラは、さすが大きすぎて教室の入口から入りにくくなっていました。
 
でっかい。他の先生たちも校長室に集まってきました。

頑丈なゆるキャラです。

打ち合わせは、最初は、黒田官兵衛のシールを配りに来たと教室にかったかくんが入って、そのあと、急に官兵衛がくるという演出です。
 
教室がある3階まで歩いて上がるのも大変。教頭先生が手を引いて上って行きました。

かったかくんが最初に教室に入ると、生徒が、
「なんでやってきたの?」
という顔をしていたので、
「官兵衛のシールを配りに来ました。」
という返事をしました。

社会の先生が
「かんべい(かんべん)してね。」
と一発ギャグ。
 
そこで、突然、でっかい本物の官兵衛が教室に顔を出しました。

芸能人が来たかのように、「キャー。」の生徒たちの大歓声。

一気に教室が沸きました。

官兵衛も今日学校を離れている生徒のところに行って、あいさつをしています。
「この人・・・侍」 
「これ、刀」と社会の先生が英語的な日本語で説明をしています。
爆笑続きでした。
 
官兵衛を入れてみんなで写真を撮りました。

日本での思い出の一枚の写真になったことでしょう。

時には遊び心も大切だと思いました?

官兵衛になっていただいた「ななしの権兵衛さん」汗びっしょりでお疲れ様でした。

わずかな時間でしたが、生徒たちがとてもうれしそうで、ときめいていたのが何よりでした。
そして、ニュージーランドに帰るいいお土産ができたと思います。
 
三光で天下の夢を見ましたぞ☆』

10年前の画像。
さすが、かったかくんも若い。



「年月を刻みながら・・・過去のあの日」

2024年10月29日 | 大分県
書き綴ったSNSの一つに、「思い出」「過去のこの日」があります。辿っていくと、10数年前のことまでさかのぼっていきます。

「あー、あの時こんなことをしていたんだ。」
と懐かしく思い出されます。

ちなみに過去の10月29日は、中学校勤務時代に、何度か修学旅行に行っていたり、進路PTA、県の新人戦が開催されていました。
 
今、市内の中学校では、修学旅行シーズンとなっています。
古都の秋の空気を堪能しています。
 
生まれて初めて大阪の地を踏んだのは、中学生の修学旅行の時でした。

当時山あいの学校でも1学年が200人いました。
超団体旅行です。

行きも帰りもフェリーで、5泊6日の旅でした。
今は、交通機関の発達などにより、2泊3日に短縮されています。
2泊3日になっても行く場所は変わりません。
 
関西への修学旅行の引率では、通常と学校独自の行程の中で、建仁寺で座禅体験をしました。
舞妓さんの宿舎への来訪など、こちらも貴重な経験をさせてもらいました。
修学旅行では法隆寺・薬師寺・清水寺などお寺に行くこともあるので、御朱印帳も持参していました。
 
一生に一度の中学校の修学旅行シーズンです。
中学生には、貴重な経験と楽しい思い出を胸に刻んで欲しいです。
 
またこれから中学3年生にとっては、入試の取り組みの終盤にさしかかってきます。

2者面談・3者面談を繰り返しながら、進路を決定していきます。
試練の冬を迎えますが、いい春を創っていって欲しいと思います。
 
また1年1年が「過去のあの日」になっていきます。
何年か経って、「今日」が懐かしく思い出される時もくるでしょう。


「秋晴れの中での野球」

2024年10月27日 | 大分県
今日は、衆議院議員選挙です。この選挙などをいい機会にしながら、疲弊感のない社会にしていって欲しいと願っています。
 
今日は、中津市軟連の一般の「王座決定戦」のダイハツスタジアムで行われました。

地元のチームで出場しました。

相手は強豪のチームです。

こちらも受け持ったり、野球部で教えたりした子どもたちが多くいる若いチームです。

今日は、参加できない選手が多くいました。
そんな中ですが、それぞれのメンバーが自分の力を出していきました。
 
相手は、20代の選手が多く、足がとにかく速い。
またしっかりボールをミートしてきます。
先制され、相手のペースで試合が進められました。
 
こちらも点を重ねましたが、相手に押し切られました。

このチームは、今シーズン最後の大会でした。

これから、シーズンオフとなります。
なかなか練習には参加することはできません。

しかし、そう長い期間ではないと思いますが、こうして、かつての生徒たちと野球ができることは、幸せなことだと思っています。
 
今日は、1打席回ってきましたが、左中間の奇跡のタイムリーの2塁打を打ちました。

年齢を半分で割ってさらに10個くらい引いたピッチャーから打てて、気持ちよかった。
 
試合後のミーティングで、話を聞くふりもしながら・・・「こうちゃんにだめだよ。」と言いながら?こうちゃんとのツーショットの写真も撮りました。
 
昨日は、シルバーの試合、今日は一般の試合と連戦でさすが、ちょっと疲れました。
 
また明日から始まる一週間の生活に頑張ろうか。



「いろんな秋の混在」

2024年10月26日 | 大分県
先日来から書いていますが、秋が深まってきています。
そんな中でいろんな秋がまじっています。

文化の秋、食欲の秋、スポーツの秋、実りの秋・・・。
 
数年前、柿の木を植えて、先日初めての2個実りました。
桃栗3年、柿8年と言われますが、ついに2個だけの柿がなりました。

もっと実っていたと思うのですが、鳥などが食べにきているのでしょうか。なくなっていました。
 
小学生の家族が植えたので、一緒にとりました。そしてむいてあげました。
鳥に食べられたら悪いので、少し早めにとったので、甘みにかけていましたが、それでも自分たちが植えた柿の木なので、美味しく食べていました。 
 
そして、今日は、野球の練習試合が行われました。
朝は雨が降っていたので、実施ができるかどうか心配でした。朝早くグランドの下見に。
 
雨は降ってはいるものの、グランドの状態はばっちりです。
いろんな準備をしながら、試合に臨みました。
 
11月中旬から今シーズン最後の大会があります。
お互いにその試合に備えての練習試合です。

調整をしながら、試合が展開されました。
この時だけは雨も降らずに試合ができました。
 
ショートと最後は投手でしたが、いい経験と練習になりました。
ちょっとけがをしたので、早く治そう。

明日もイベントと野球の試合があります。
写真は、昨日の新吉富のコスモスです。
新吉富のコスモスも終わり近くなっています。
 
いろんな秋が交わりながら、「秋」が進んでいきます。


「秋空の下で」

2024年10月24日 | 大分県
今日の朝は、うろこ雲に覆われていましたが、風はさわやかでした。

気持ちよい風に当たりながら、起床して家の周りをちょっと歩いてみました。
 
学校でも中休みや昼休みは、中庭やグランドから子どもたちの歓声が聞こえてきます。

夏の間は、多くの日が、気温などの関係で、
「今日は、外で遊ぶことはできません。室内で過ごしましょう。」
の放送がある中での学校生活でした。
 
外から聞こえてくる子どもたちの声が、こちらの気持ちも盛り上げてくれます。

「今日はクラスで鬼ごっこをするので、先生も来て下さい。」
そうやな・・・。
 
鬼ごっこの子どもたちのスピードはすごい。
これにはついていけそうもない。
サーキット用のタイヤに座って、鬼ごっこの応援??をしていました。
 
すると、鬼ごっこをしている隣りのクラスの子どもがやってきて、
「せんせい、なんで座っているん。バナナするよ。」
うむ?バナナって?
 
鬼ごっこの一つです。
しっかり説明をしてもらい、しっかり鬼になりました。
 
グランドまでが遠い。
歩道橋を越えてのグランド。
グランドが広い。
その中で、追いかけて回りました。
 
暑さがやわらいできた中での休み時間。体を動かすのも心地よいです。

今日は、1年生の社会見学でした。
到津の森に行っています。

いろんな活動が展開されています。

「逗子の慰霊碑」

2024年10月23日 | 大分県
今日の朝は、濃い色の虹が架かっていました。
「今日はよいことがありますように・・・」
と思いながらの通勤でした。
 
台風の影響なのか、すっきりしない天気でしたが、1日がスタートしました。
 
昨日は、中津市出身の神奈川県の方でいろいろとお世話になっている人から連絡がありました。

いつかも書きましたが、逗子市の慰霊碑の建設についてです。
 
1945年10月20日。1945年は終戦の年です。
その終戦から2か月後におこった事故です。

小坪小学校では、その日、運動会の予行練習がありました。

それが終わり、砲台のトンネルで遊んでいる子どもたちがいました。トンネルには、使われなくなった多くの火薬が置かれていました。
 
何かそのトンネルに用事があったのでしょう。

大人の方が、ろうそくをともして、トンネルの中に入りました。
危険なことです。

なんと、さらに燃えて短くなったろうそくをその場に捨ててしまいました
結果として、その火が火薬に引火して大爆発をおこしました。

その爆風によって、トンネルの入り口近くにいた15名の小学生の尊い命が失われました。
 
この事故の情報は、当時、報道管制をされ、世の中に広がることはありませんでした。

事故の少ない情報は、時の流れの中で、消えつつありました。

そこで、中津市出身の方も含めて、地元の方たちを中心に事故の事実をまとめ、発信をしていきました。
その活動が、多くの人の心を動かしました。
 
そして、なんと、きのう、平和への祈りを込めた「砲台に消えた子どもたち」の「慰霊碑」があらためて建立されました。
民・官が一体となっています。
 
歴史が明らかになり、これから後世にもこの事実が伝えられていきます。
 
戦争は、戦争時も戦後も人の命や心を奪っていきます。
戦争で得られるものはありません。

戦争で解決するものはありません。

世界に目を向けても、今、多くの国で戦いが繰り広げられています。温暖化による地球の危機、数年来のウィルスの拡大・・・私たちが国境を越えて解決していかなければならないものがたくさんあります。
 
逗子市の取り組みが、平和のシンボルの一つになって欲しいと思います。
 
空に架かる虹が、世界のだれもの心の底からきれいだと思えるような世の中になって欲しいと思います。


「雨の学校」

2024年10月22日 | 大分県
今日の雨量はすごかった。
「先生、校庭のあそこ見て。水がいっぱい。」
と子どもが教えてくれました。

激しく雨が降ったことがあり、校庭の一部分に水があふれていました。
 
ひと雨ごとに気温も下がっていきます。
 
そんな学校生活も、子どもたちは、外で遊ぶことができずに、校舎内での生活。

元気のよい子どもたちだけに、少しだけストレスがたまり気味。

気候が良くなってきているので、思いっきりグランドで遊びたいところです。

夏もほとんどが、熱中症指数の高さから外で遊ぶことができませんでした。

夏休みも外でしっかり遊んだという子どもたちは少ないです。
やっと体を動かすことができる秋がやってきました。
 
秋晴れになる日を待ち望むところです。
 
今、2年生の算数では、九九の学習をしています。

積み重ね的な構成の算数では、この九九をマスターしていないと、これから先の学習がつまずいてしまいます。
 
今日は、6の段、明日は7の段です。
 
6の段の意味を考え、あとは、カードも使ったりしながら、6の段を読んでいきます。

今は、「数」にたくさんふれて欲しいと思います。
 
いろんな秋であることをこれまで書いてきましたが、「学びの秋」でもあります。

明日は、7の段に頑張りましょう。 
 
明日は晴れるかな。
写真は、今日の夕方の山あいの様子です。

「秋のイベントのシーズン」

2024年10月21日 | 大分県
別府に行った時に、交通渋滞がおこっていました。
どうしたんだろうと思いながら、車をゆっくりと走らせていると、看板などから「大分県農林水産祭おおいたみのりフェスタ」の開催ということがわかりました。

別府公園周辺は、たくさんの人の動きがありました。
 
渋滞をかいくぐって、目的の用事の場所に向かいました。
帰りに駐車場を探しながら、別府公園に立ち寄ってみました。
 
天気がぐずつき気味でした、
会場にはにぎわいがありました。

人気のある飲食のブースには、行列ができています。
中にはすでに、「売り切れ」の紙が貼られていました。

こうして、大分県や街全体が盛り上がることは、気持ちも高まります。
 
国東の「タコ飯」を買って、テントの中の椅子に座って食べました。美味しい☆
 
昨日は行くことができませんでしたが、ふるさとでも「アンファンマルシェ」という子どもたちを中心としたイベントが行われました。

また「三光コスモス園」が開園されました。

今日のニュースを見ると、今の開花状況は、7・8分だと言っていました。
今度の土日ごろに満開になるということでした。
 
今日、夕方、立ち寄ってみました。

平日の夕方なので、人出も多くはなく、ゆっくりとコスモスの美しさを堪能することができました。
 
今週末は、勤務校の校区内で「築上まつり」が開催されます。
お家の方や子どもたちに、ブースの手伝いをお願いするプリントが配布されていました。
 
気候も過ごしやすくなっています。
各地でたくさんのイベントが行われます。

地域の賑わう声がヒートアップされていきます。

写真は、別府のイベントと今日の夕方の三光コスモス園の様子です。


「変化の対応は難しい」

2024年10月20日 | 大分県
今日は、少し冷えた一日でした。
ついこの間まで、猛暑、猛暑の連続でしたが、一気に気温が変化しています。

日中、半そでで活動していましたが、肌寒さを感じました。
2時過ぎの道路の気温計を見ると14度となっていました。
あの長い間の35度超えが懐かしい?
 
しばらくは、夏にも秋にも対応できる服装をしなければならないのでしょうか。
季節の変化に対応するのは難しいです。
 
最近、変化に対応するのが難しいと思うことが多いです。
今日、ガソリンスタンドに行きました。
今は、スマホのアプリでガソリンを入れることがあります。

同じガソリン会社のスタンドだったので、そのアプリを使おうと思いました。
 
ちょっと急いでいたので、携帯を出して、アプリのQRコードにかざしました。
「対応できません」のメッセージ。
やり方が間違ったかなと思って、もう一度やり直してかざしました。「対応できません」
もう・・・。

店員さんに聞くと、「ここではそのアプリは使えないんですよ。」
あら。
 
先日、スマホの店に設定の変更に行きました。
ギガ数を少し上げました。

それが終わってから、
「こういう特典があるので、このアプリを入れてみませんか。」
と言われました。
リスクも質問しました。

それで、結局入れることに。
なんでもアプリの時代です。
「機種変更したときに大変ですね。」
と言うと、
「今、持っているスマホの機種は、すべてではありませんが、移動させていくソフトもあるんですよ。」

なるほど。
いろいろと勉強になります。
時代の変化の対応も、大変です。
 

授業も、今の勤務校の黒板の半分が常時スクリーンです。
そこにデジタル教科書を映し出します。
黒板にチョークで書いたり、スクリーンには、電子ペンで書き込んで授業をします。

あっちに書き、こっちに書き。
子どもたちのタブレットの中にもデジタル教科書が入っています。
 
明日から一つの学級で算数の授業が入ります。

どう使うのか、どう展開するのか悪戦苦闘です。
県をまたいだり、地域が変わると、授業のやり方が違ってきます。
 
長年のやり方や今までのやり方からのチェンジです。
「変える」「変わる」ことのエネルギーが半端ではありません。

分からないことが多いので、いろんな先生が頼りです。

変化、変化についていくのが難しいです。変かな?
また明日から新しい週の活動が始まります。

「西田敏行さんを想いながら」

2024年10月19日 | 大分県
今日は、久しぶりの雨でした。
一時は屋根を叩きつけるように激しく降りました。
これから、また気温も下がっていくのでしょう。
 
そんな中で、「西田敏行」さんの訃報が報道されました。
いつもテレビのドラマで見てきていたので、寂しさを感じました。
 
今、1枚の写真を大切に持っています。

今から20年ほど前でしょうか。

大分に出張した時に、友達から、
「今日、別府のホテルに西田敏行さんが来て、講演会があるよ。」
そう言われて、おいと一緒に教育の実践研究会の中での講演会に行きました。

そんなに広くない畳の部屋に、小さな演台が置かれていました。
 「ここに本当に、西田敏行さんが来るのかなあ。」
と思いましたが、ハットをかぶって、おしゃれな格好でさっそうと登場しました。

オーラがあります。
もったいない&フレンドリーな講演会です。

奥さまが大分の方で、奥さまと教員の方が知り合いで、帰省時に一緒に来たということでした。

畳の間なので、どこにいようが、いる位置が指定席です。

一番前の演台の下近くで話を聞きました。
大切な1枚の写真を今でも持っています。
 
記憶は薄れてきていますが、話は、映画「学校Ⅱ」のことや「釣りバカ日誌」の撮影の秘話、また三國連太郎さんのプロとしての役者ぶりなどを楽しくも真剣に話をしてくれました。
 
昔から、毎週日曜日のNHKの大河ドラマを楽しみに見ています。

覚えているところでは、「翔ぶが如く」の西郷隆盛役、「八代将軍吉宗」の徳川吉宗役、「葵 徳川三代」の徳川秀忠役などで主役を演じています。

独特の演技は、見る人を惹きつけてきました。

今、再放送されている「坂の上の雲」や「鎌倉殿の13人」にも出演。

面白いのは、「西郷どん」です。

語り担当でしたが、終わり近く、出演もしています。

西郷隆盛と奄美大島で出会った、二階堂ふみさんが演じた隆盛と愛加那の子ども「菊次郎」を演じています。

語りと出演です。
「菊次郎」は、外務省での仕事、その後、京都市長になっています。
 
数多くの大河ドラマに出演しています。
たくさんの時間を楽しませてもらいました。

秋が深まっていく中、旅立っていきました。
大河ドラマの一ファンとしては、存在感のある方がいなくなるのは悲しい限りです。
 
西田さんのご冥福をお祈りいたします。

「プロ野球の日本一争い」

2024年10月18日 | 大分県
アメリカ大リーグでは、ナリーグ・アリーグの優勝決定戦が行われています。

大谷選手が今日もホームランを放ち、10対2で大勝。
ワールドシリーズ進出まであと1勝と迫りました。

すごいです。
盛り上がっています。

そして、日本では、プロ野球のクライマックスシリーズが行われています。

今は、クライマックスシリーズのファイナルステージです。
今日は、ソフトバンクホークスがアドバンテージの1勝を含めた3勝で、リーグ優勝に王手をかけていました。

接戦のゲーム。ソフトバンクホークスは、投打のバランスがよくいい形でゲームを作り上げていました。
そして、4年ぶりの日本シリーズ進出となりました。

ペイペイドームは、歓喜の渦となっていました。

学校でも2年生の子どもが、
「山川が良く打つね。」
とか
「川瀬のプレーがすごかった。」
など、動作つきで解説をするために、話しかけてくれます。

「今日は、スチュワートが先発だ。」
詳しい。
完璧。

今年は1度だけ、毎年行く仲間たちと、友人のお世話で観戦に行くことができました。

ソフトバンクホークス対ロッテ戦でした。
その1度でしたが、試合は残念ながら敗戦。

夏の試合だっただけに、負けても花火は上がりましたが、負けての花火は何となくむなしい。

今日はファイナルシリーズ優勝です。
20発の花火が打ちあがりました。
テレビで見ていても、勝ってのそして優勝の花火は盛り上がります。

パリーグファイナルシリーズで日本ハムは負けましたが、それは、それで、新庄監督の去就で違った意味で盛り上がります。 

プロ野球のペナントレースは終わりましたが、ファイナルシリーズ、日本シリーズ、ドラフト会議、選手たちの去就などで、話題はしばらくつきそうもありません。

2年生の詳しい子どもとの会話のためにも、情報のチェック・収集です。

写真は、夏のペイペイドームです。

「時代の流れ」

2024年10月16日 | 大分県
この間の日曜日、お宮のお祭りが終わったので、旗を降ろしに行きました。
それと3カ所のしめ縄を道路の上に横切らせたものも整理しました。
 
今年のその役目は、自分が住んでいる班です。
その作業をするのは、男手です。

かつては、たくさんの方がいましたが、
「俺とかったかちゃんの2人になってしまったなあ。」
と先輩の言葉。
 
2人での作業となったので、意外と時間がかかりました。
雨が降りそうな感じだったので、作業を急ぎました。

「前はいっぱいおっちょたんにな。」
昔を懐かしみながら、体を動かしました。

多くの地域も同じような課題を持っていることでしょう。
これから、地域の組織の編成や行事の在り方なども、今の時代に対応させていかなければなりません。
過疎化が急速に進んでいくことに寂しさも感じます。
 
そんな中で、ちょうどその日、ご近所の方がなくなりました。
建具店を営んでいました。
 
両親が、依頼して食事をするテーブルや本棚を作ってもらっていました。
手作りなので、何十年も経つのですが、ヒノキなどを使っていて今もがんじょうです。
思い出の家具となっています。

少ない地域の中で、それぞれの人がお世話になっています。 
 
時代とともに、ふるさとの在り方などの課題も深さを増し、一つひとつを改善・解決していかなければなりません。


「福沢諭吉翁のミュージカル」

2024年10月15日 | 大分県
一昨日、中津文化会館に市民ミュージカル「人誰か故郷を思わざらんー福澤諭吉翁物語―」の観劇に行きました。

昼の部と夜の部がありましたが、昼の部のチケットは取れなかったので、夜の部での観劇です。
 
知り合いの方も出ていました。
休憩を含めて3時間のミュージカルとなりました。

「練習の時に、セリフが飛んでいく時があるんよ。」
と言っていましたが、そんなことは、感じさせないプロが演じているようなステージでした。

オーディションからこれまでの練習は大変だったと思います。

歌、セリフ、表現を体に入れていくのは、並大抵の努力ではなかったことでしょう。
温かさの中にも迫力があるミュージカルとなっていました。

 「少年期」から「熟年期」まで、福澤諭吉翁の配役を変えながら、諭吉翁が辿ってきた道をミュージカルとして、演出していました。

学問をしたい、学問を伝えていきたいという強い意志を持ち、人生を歩んでいきます。
 
その歴史の一部でしかないと思いますが、ミュージカルを通して、諭吉翁の偉大さを感じました。

義塾学校の創立・北里柴三郎をはじめとする人の支援・青の洞門をはじめとするふるさとを大切にする心など諭吉翁の足跡は語り尽くせないものがあるでしょう。

福澤諭吉翁を見つめ直すいい機会となりました。
 
演出家のもとでの出演者の一体感がある熱演が、感動の渦を巻き起こしました。
 
会場に詰め掛けた人は、会館を出ると、ステージについての会話です。
話が弾んでいました。

余韻たっぷりの夜となりました。


「野球シーズンもあとわずか」

2024年10月14日 | 大分県
あっという間に3連休が終わろうとしています。
あっという間に10月も中旬を迎えました。
あっという間に、今年もあと2か月ちょっととなりました。
 
10歳の子どもは、この1年間は、生きてきた中の10分の1。
50歳の人は、50分の1。
60歳の人は60分の1。

つまり、1年の感じ方として、年齢がいけばいくほど、早くなる・・・とよく言われます。

その考え方が正しいかどうかは分かりませんが、私自身、確かに年をとるほど、1年が過ぎていくのが早く感じます。
 
2つの野球のチームに所属していますが、それぞれ、残すところ大会もあと1つずつとなりました。

そして2024年の野球シーズンが終わります。

シニアの野球は、来月、西日本大会の予選が県南であります。

今日は、最後の大会に向けての練習でした。
いろんな用事があって、参加する人は、いつもより少なかったのですが、バッティング練習を中心に練習が進められました。
 
福島での全日本の大会が終わってから、初めて練習が行われました。メンバーも休養十分です。

ウォーミングアップしながら、体ならしからのスタートです
ふだんから動いている人は、体も軽そうです。
こちらは重い。
 
日本の野球は、クライマックスシリーズが始まっています。
ファーストステージが終わりました。
日ハムすごい。
勝利とは、なにか持っている・・・。

大リーグもリーグ優勝決定シリーズで大谷選手がタイムリーヒットを打って、勝利を呼び込んでいます。

最後の盛り上がりを楽しみましょう。