かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

市民の守護神

2009年10月31日 | Weblog
家族から、
「○○くんが市報の表紙に載っているよ。」
という言葉。



「○○くんが・・・。どんな姿で市報に載っているんだろう。」と思いながら、先日市報を手にしました。


見た瞬間に感激しました。さわやかな温かな笑顔で、子どもに接している姿でした。写真をみただけで、責任をもって、人を大切にして誠実に仕事に頑張っていることがわかります。とてもうれしく感じました。




 中学校時代、野球部でした。その野球部の監督をしていました。そしてやっくんの学年を3年間担当しました。何かと縁があります。いろんな懐かしい思い出が浮かんできます。中学校時代の職場体験のときのこと。


「どこに行こうと思う?」



と聞くと、すかさず、
「ぼくは、将来は、消防士になりたいので、消防署に行きたいです。」
という返事。



その学年では、自分が将来なりたい職業、体験してみたい職業での職場体験を行いました。だから、生徒たちが出かけていく職場も幅が広かったです。そういう取り組みをしたので、そのときの学年の生徒は、職場体験した職業についている生徒が多いです。




 今でも、暗い部屋の中を、消防服を着て、人を助けるという活動を体験しているやっくんの姿を思い出します。



 やっくんは、高校時代もその夢は、消えることはありませんでした。そして、公務員専門学校などに通いながら、ついにその夢を実現。




 初めての給料で、ネクタイを買ってくれました。



 これからも市民の守護神として活躍していくことを願っています。

「たいせつなもの」発刊

2009年10月30日 | Weblog
 昨年の思いや出来事をまとめた冊子、「たいせつもの」第3集が完成をしました。印刷屋さんにまとめていただきました。


「まあ、先生、毎年、よく書くね。」


と印刷屋のおばさん。夕方、製本された本を取りに行ったときに、
「ほうれん草があるので、食べて下さいね。」
と取れたてのほうれん草をプレゼントしてくれました。また、余った紙で作った製本された小さなメモ用紙もくれました。ほうれん草を食べて、またこれからもいろんなことを発見していきたいと思います。今回も昨年のブログに書いたものがほとんどです。




 今回は、題字と表紙のイラストは、思い出のために、生徒に描いてもらいました。これで、3集目になりました。



 綴ることは、内容は別にしてあまり苦にはなりません。流れていく思い出をちょっと立ち止まって書き留めておきたいと思っています。いろんな出来事、思い出、人との出会い・・・大切にしていきたいと思っています。



 できるだけ、うれしいことやよかったなあ・・・と思ったことを書いています。だから、書き留めておいたり、写真を撮ったりしていると、何かものの見方が違ってくるような気がします。何気ない出来事や風景に気をとめがちになります。
人の思いを綴った冊子を読んでもおもしろくないかもしれませんが、もし本を希望する方がおりましたら、送りますね。



 題字は、高校で書道部に入っている生徒、イラストは、釣り好きの生徒がかいてくれました。ありがとうございました。また印刷を手伝って下さった方々ありがとうございました。



 かったかくんにとっては、この本が「たいせつなもの」の一つです。

ピンクの地平線

2009年10月29日 | Weblog
昨日の朝のこと。

 
家から車で学校に向かっているときです。三光に小袋という地区があります。小袋の直線道路を通っていると、ずっと遠くの方の田んぼと空の境目にピンクの空間が正面に見え始めます。地平線がピンクなのです。



 それがとてもきれいなのですが、昨日は、もやがぼんやりとかかっています。さらに幻想的な世界でした。日が上りかけています。コスモスのピンク。もやの白。そして朝日の橙がからみあって絵をみているようでした。




 遠くに見えるその風景に趣があるのですが、でも何となく近くに行ってみたくなって、遠回りしてコスモス園に行ってみました。



 早朝にも関わらず、写真をとっている方が何人かいました。写真家にとっては、絶好のスポットです。




 三光のコスモス園は、田んぼにコスモスが咲いているので、自然的でとても素敵な光景です。休みのときなどは、人でいっぱいです。



 今日、ある先生が、
「今日、朝来るとき、もやがコスモス園にかかっていてきれいだったあ。」
といっていました。



 「昨日、自分もそう感じたんですよ。」



 そう話しました。五馬中学校の2階から見える、田畑にかかったもやもきれいでしたが、三光のこの風景もなかなかのものです。



 耶馬溪の山々も色づき始めました。



 いろんなところに秋の雰囲気をしっかりと感じることができます。

いつの間にか夜は更けて

2009年10月27日 | Weblog
 先週の土曜日の夕方、なんだかかんだかわからない懐かしい会がありました。昔一緒に野球をしていた仲間たちです。

 「日田から異動してきたんやな。一回飲まんとな。」

と言われ、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ・・・結局なんだかかんだかわからない会になりました。

 いざ、中津の街へ。おすし屋さんでありました。また幹事さんがすごいのか、おすし屋さんがすごいのか・・・メタボではない?!けれど、それに近く、結構食べる方ですが、食べきれないほどのごちでした。

 笑い転げながら、時間が過ぎていきました。盛り上がっていき、料理もテーブルから少なくなったとき、

「あっ。」
と幹事さん。

みんなは「どうしたんだ。」

と幹事を見ました。

「あれれ、Aさんを呼ぶのを忘れていた。」

「・・・・・・」
「じゃあ、今から呼ぼうか。」

こんなとき、携帯があるのが便利。

「今な、ばったり日ノ出町で偶然にもみんなにあったんだよ。すぐにでておいで。」

そこは、Aさんののりと人柄?風呂上り、それに10時近くなっているのにも関わらず、20キロの道のりをこどもさんの運転でやってきます。

そこから忙し。テーブルを拭いて、「おばちゃん、みずたきの皿に何もないので、野菜を下さい。」来てまだ間もないテーブルに変身しました。

すぐにやってきました。またさらににぎやかになりました。

「すみません。もう時間ですが・・・。」

なんとあっという間に11時を過ぎています。次のお店です。まあ、一波乱あって、「うっ、気分わるい~~。」とトイレに入っていたAさんが帰って行きました。

11時が、12時。12時が次の日に。1時が2時に。

あっ。12時に駅に迎えに来てもらっていた・・・。家族が迎えに来ていたのですが、2時間待たせていました。申し訳ない。駅もしまっています。みんなでなんのかんの謝りながら、乗せて帰ってもらいました。

 いつまでも続く友だちです。少年に戻ったような時間をすごさせてもらいました。少年よりたち悪い?

 

ショッピングセンターに音色響く

2009年10月26日 | Weblog
土曜日のこと。

 今年、中津市内の東九州龍谷高校バレー部が全国制覇3冠を達成しました。 その記念式典がイオン三光ショッピングセンターの中で行われました。
 3冠・・・。春高バレー、インターハイ、国体です。
今年負けなしということです。すごい。



 部員たちをイオン三光ショッピングまで車に乗せていきました。記念式典では、三光中学校吹奏楽部が選手の入場のときなどに演奏をしました。通路のところなどは、人でいっぱいでした。



 選手たちが入場をしてきました。さわやかな雰囲気があたりを包みました。全国制覇をするところなのですから、ちょっとしたしぐさなどに風格やマナーなどのすばらしさを感じました。礼などをするとき、胸に手をあてます。相手を敬うということなのでしょう。



 来賓の方たちがあいさつをしたあと、部員一人ひとりがあいさつをしました。その中で、共通していたのは、昨年のおおいた国体で優勝できなかった悔しさを話していたことです。女子バレーは優勝候補にあげられていました。地元開催ということで優勝という期待はなおさらです。期待がプレッシャーになったのか、敗戦。

「あのとき、バレーを辞めたいと思った。」
という生徒の言葉も。


 優勝に向けての猛練習。期待。敗戦。批判・・・。
でも一丸となって、その苦しみを乗り越え、今年になって3冠を達成しました。
 国体が終わって、時間が経過しているのにも関わらず、監督は、涙を流しながらのあいさつでした。胸の中には、いろんな思いがよみがえっていったのでしょう。



 吹奏楽部員もそんな思いを察したような力強い演奏を繰り広げました。三光中学校吹奏楽部も、コスモス祭りの開園式などにも参加して、新チームになってから、人数は少ないもののしっかりと力をつけてきています。



 ショッピングセンターに素晴らしい音色が響き渡りました。

みんなの桜の花が咲け

2009年10月25日 | Weblog
 先日も書きましたが、この季節になって、高校生たちは、進路が決定をしていきます。今の高校3年生は、最後に担当をした学年です。


 就職をしていく生徒たちは、すでに決まっていっています。また推薦入試で、短大や大学をめざす生徒たちは、試験や合格発表が少しずつ行われています。一方では、センター試験を受けていく生徒たちは、これからが追い込みの季節となっていきます。ちょうど苦しいときかもしれません。


学校にも決定をした生徒たちが、
「○○工業に就職が決まりました。」
「○○短大に進学が決まりました。」
など報告をするために来校をしてくれる生徒たちがいます。



中学生を卒業し、高校に進学をして行ったのですが、その間があっという間のような気がします。この間まで中学生だったのに・・・と思うのですが、もう社会人となって来春から社会の一線で活躍をしていきます。時が過ぎていく早さを感じるとともに、姿や言動から頼もしさを覚えます。



まだまだセンターに向けて、がんばっている生徒がいます。きついこともあると思いますが、自分の夢を実現させて欲しいと思います。



今日は、何人かの生徒たちと、合格祝いということで、夕方焼肉食べ放題に行きました。このところ、いろんな会があって、食べ過ぎていますが、ややメタボにも気をつけながら?!楽しく食事をすることができました。
学校の話や、試験の話なども聞かせてもらいました。
生徒たちの元気な話を聞くと、こちらもエネルギーをもらうことができます。



卒業してもこうやって、一緒に話せるのもうれしく思います。



これから試験という生徒もたくさんいます。3年前と同じようにみんながいい春を迎えて欲しいと心から願っています。

先生の誕生日

2009年10月21日 | Weblog
 以前小学校で4年間一緒に勤務した先生の誕生日会が今日の夜、行われました。10月21日が誕生日です。いざ、仕事が終わってから先生の家に直行です。先生もいろいろ食事の準備をして待っていてくれていました。またみんながそれぞれ食材などを持ち寄ってきました。



 でも・・・かったかくんは、学校から直接行ったので、何も持たず・・・いってしまいました。次回はこの反省をもとに・・・。



 このように毎年、この日は、先生のところに行ってお祝いをしています。こうやっていつまでもつきあえることがとてもうれしく感じます。


 早いもので、先生も退職をされて3年がたちました。先生もいろんな付き合いがあると思うのですが、時間を割いてこの会に参加してくれます。




 みんなが一緒に勤務したときは、いろんなところに行ったり、またいろんな企画をして楽しんでいました。先生たちのまとまりのもとに生徒たちに全力で接していました。



 みんなが離れ離れになっても「かんちゃん会」ということで、年に何回か食事会をしていました。校長先生が亡くなってから、先生の下に集まって、当時のままに楽しんでいます。20年以上経つのにこの会が続くのは、いろんな理由があります。



 その年が充実していた、楽しかったということです。また利害関係もなく、気兼ねなく会を持つことができます。それから、幹事の先生が細かくこの会の世話をしてくれます。すべての心遣いをしてくれます。
 いろんな要因の中で、ずっと会が続いています。




 今日は、今の様子や昔話に夜遅くまで、話に花を咲かせました。また、お孫さんや子どもさんから送られてきたプレゼントなども見せてもらいました。



 今日くらいはたくさん食べていいよね・・・といいながらおいしい料理を食べさせてもらいました。今日くらい?う~~ん。メタボに気をつけなくっちゃ。



 体を大切にいつまでもこの会のリーダーでいて、あたたかい雰囲気を作って欲しいと思います。今日は、おめでとうございました。そして、遅くまでありがとうございました。

中学校駅伝大会男女県大会へ

2009年10月20日 | Weblog
夏から、中津市駅伝大会に向けて、希望者を募って練習を重ねてきました。夏の暑い時のトレーニングにも耐えながら、力を蓄えていきました。


 そして、今日、ついに大会の時がやってきました。


 絶対的なエースがいません。その分、チームワークで走り抜くスタイルの三光中学校です。




 女子のスタート。1区から、快調にとばしていきました。1区がわずかの差で区間賞。それで波にのりました。全員が自己の記録を更新するような走りでした。そして、夢にまで見た優勝を手にしました。


「先生、わたし、今日だいぶ記録が伸びたよ。」
とアンカーで優勝のゴールを切った生徒。



 走ることを希望したものの、なかなか思うような走りができなかった生徒。しかし、練習を休まず、努力を重ねてきました。昨日、選手として登録されました。そして、今日。
「負けん気が強いですからね。」
とお母さんの言葉。粘り強い走りをしました。2位に詰められた距離を一気に引き離しました。素晴らしい走りでした。




 男子は、いつも夕方、部活が終わってから、また休みの時にも自ら道路で走り込みをしている生徒。1区を担当します。お母さんの心配をよそに見事な走りで区間賞。全員がしっかりとこの勢いでたすきをつないでいきました。

 惜しくも優勝は逃したものの準V。2位まで県大会に出場できる権利を得ました。



 男女アベック出場です。

 先日は、新人相撲大会で、優勝。そして、それに続いての快挙。
 
 辞めたいと思ったこともあったでしょう。しかし、お家の方やコーチの方々、友だちの励ましでここまでやってきました。たすきとともに、生徒たちの心もつないでいきました。三光中学校のエネルギーを感じました。


 詳しい様子は、三光中学校のホームページに載せています。

明日は駅伝大会

2009年10月19日 | Weblog
 明日は、中津市駅伝競技大会(大分県駅伝大会予選)です。


 夏から、今まで生徒たちは、2人のコーチの指導のもとに練習を重ねてきました。


 昨年、出場をしていませんでした。だから、選手たちが練習に出てくるシステムを確立するのが大変だったと思います。

 それぞれに部活、クラブチームの所属をしている選手たちです。それぞれのチームの練習や大会がありました。なかなか全員がそろうことは難しいものでした。


 また9月になってから、体育大会の準備や応援の練習が放課後遅くまで行われていました。平行して、中津市新人戦に向けての取り組みも強化されていました。生徒たちが最大公約数できる練習時間を見つけていかなければなりませでした。


 最近では、県の新人戦が行われています。サッカー部は、この間の土日は、連戦ながら、戦いに挑んでいきました。


 コーチをしていただいた方々には、全部の生徒たちが参加できずに、申し訳ないことが多かったです。



 しかし、生徒たちは、3年生を中心にまとまって頑張ってきました。時には、脱落しそうになったこともあったと思いますが、今日まで気持ちを一つにして、苦しいことも乗り越えながら、取り組みをみせました。


 コーチの方々も、生徒一人ひとりを大切に、指導をしてくれました。勝つこと以上に、
 ・苦しいことを乗り越えきった自信
 ・仲間を大切にする心
 ・物事に真剣に取り組む立ち向かっていく心(チャレンジ精神)
など学んだことは、これからの大きな財産です。


 今日は、区間で走る選手が発表になりました。でも惜しくも出ることができなかった選手も、悔しいことを心に秘めて、ゼッケンを配布するなど出場する選手の世話をしていました。


 明日は、これまでの練習の成果を発揮して欲しいです。それが、結果につながればすばらしいことです。


 選手たちの活躍を期待しています。

いつまでも元気で

2009年10月17日 | Weblog
朝、出張に行く前に、学校に立ち寄りました。駐車場に着いたときに、電話がかかってきました。東京にいる母の弟であるおじからの電話でした。

「6月に病気をして、一時は危ないときもあったんだよ。でもね、もう人生も終わったよ。だめだなあ・・・。」


いつもの元気のよいおじの声でなく、たどたどしい声でした。


病気だったということを知りませんでした。驚きました。


「リハビリにもがんばって、なんとか後遺症もなく、回復しているよ。」


 おじは、大学で教鞭をとっています。今は、まだ休職中ですが、教育についての調査のアンケートの依頼をしてきました。エネルギーは、回復をしてきているようです。病気になる前は、研究者として犯罪や犯罪心理などの研究をしていました。本もたくさん出しています。何か、事件などがあれば、テレビでもコメントを出していました。



 駐車場だったので、学校に行き、調査のアンケートの送り先は学校であるので、住所を教えるために電話をかけなおしました。


「かったかくんは、三光の学校にいるんだね。おやじが住んでいたところだ。秣に住んでいて、そこの学校に行ったんだよ。懐かしいねえ。」



 母たちが幼いとき、一家は三光の秣というところに住んでいました。母もよく、今はないとわかっていても、「秣の家は今はどうなっているのかね。」と昔に戻ったように話をします。
 ゆっくりとして声で、昔をしみじみと思い出すように話をしてくれました。



「早く元気になって下さいね。」と話しました。


 ちょっと弱気になっているおじでした。しかし、仕事の依頼の話になると、また気持ちを取り戻してきました。


 母には、二人の弟がいます。幼いときから、おじたちが来るのを楽しみにしていました。陽気で優しいおじたちです。
 東京にいるおじには、3月に会うことができました。ちょっと疲れたのか、電話はおばに代わりました。


「病気をするという予感があったのですかね。3月に突然、お姉さんの(母)のところにお見舞いに行きたいといって、東京からお姉さんのところに行ったんですよね。3月からは、常勤ではないけれど、職場にも復帰ができるんですよ。」


 回復の様子を聞いてほっとしました。きっとこの何ヶ月か、苦しみながらご夫婦でしっかりと病気と闘ってきたのでしょう。

 3月に母のところにお見舞いに来てくれました。母との何年ぶりの対面だったでしょう。当時は、日田に赴任していたので、かったかくんは、ゆっくりと話す時間はありませんでしたが、元気なおじやおばに会うことができました。すぐに新刊の本を送ってくれました。




 さらに回復したおじとゆっくりと話ができる日を、楽しみにしています。

楽しいクリーン活動でした

2009年10月16日 | Weblog
秋風が頬に気持ちよくあたる昨日の午後、三光クリーン作戦という学校周辺の清掃活動が行われました。


 生徒たちは、体操服姿で軍手をもち、学年に割り当てられた地区に出かけていきました。道路の両側を中心に、無造作に捨てられたごみを集めていきました。



 生徒のしている活動は、本当にすばらしいことですが、空き缶やビニール袋などをたくさん集めたということは、そのくらい捨てるという人も多いということにもつながり、ちょっと残念かなあ。


 今、コスモス園祭りが開催をされています。歩いているとたくさんの観光客が来ていました。道を聞かれたのですが、

「今日の朝のニュースでコスモス園のことを知ったのですよ。それで、姉と一緒に来てみました。でも姉は、リューマチで歩くことはできないので、車で周辺を回っているんですよ。」

と北九州から来ている人も。




 生徒たちも、ごみを集めながら、「きれいやなあ。」と感嘆の声。生徒たちとコスモスをバックに記念写真も撮りました。



 帰っていると、「おっ、かったかくん。」と小学校4年生の時の担任の先生。先生のお宅の前を通っていた時のことでした。

「三光に戻ってきたってね。まあ、ちょっと寄りなさい。」

先生は、奥さまと一緒に仲良く庭の掃除をしていました。小学校時代、とても優しい先生でした。奥さまは、庭先に縁台を出してくれました。そこに一緒に座って話を弾ませました。



 小学校4年生の時、話し方大会で下毛郡代表として大分県大会に出たとき、母と一緒に、耶馬溪鉄道で諌山の駅で降りて、歩いて先生の家まで行ったことを今でも覚えています。そこから先生に大分まで車に乗せていってもらいました。奥さまも一緒でした。

理科の授業の時に、木の下に行って、「木はね、夏は、葉をつけ木陰を作ってくれるんだ。冬は、葉を落として、太陽の光を通してくれる優しさを持っているんだよ。」と話してくれたことを何故か鮮明に覚えています。そんなことを先生に話しました。

あれから40年以上が過ぎました。先生が元気でおられるのがとてもうれしく思います。




わずか2時間足らずでしたが、いろんなことがあったクリーン活動でした。

こくぞうくんとの対決

2009年10月15日 | Weblog
 先日、米の収納庫をあけて、下から二つ目の袋を精米しようとしました。すると、なんと一番下の袋から、出てくる出てくる・・・。


 一番下に置かれていた袋。ちょっとだけ、やぶれていたのでしょう。そこからこくぞうむしの大軍が出てきました。その数は半端なものではありません。


 袋をのぞくとほぼ、こくぞうむしが袋を占領していました。あらら・・・。


 どうしたらいいのかわからなかったので、知り合いの人に聞いてみました。


「ふつうはね、収納庫に入れておくと、こくぞうむしはでないんだけどね。」


う~~ん、そりゃそうだ。今まで収納庫の中で見たことがない。



「袋が破れていたら、発生はするよね。」
そうか、それには、気付かなかった。



「米を干すと、こくぞうむしは逃げていくよ。でもこくぞうむしに食べられた米はおいしくないよ。だから、新米と混ぜて食べたらいいよ。」
でもね・・・。



 袋の中の米は、形が崩れ、粉になっているのが半分くらい。逃げていっても、すでに手遅れかも。


今後の対策をインターネットで調べました。
「成虫の寿命は180日 から長くは1年以上も生きるものもある。繁殖力も旺盛で、気温30度・湿度70%の"好"条件では、 雌雄一対のコクゾウムシは3ヵ月で1300匹余り、4ヵ月たつと6000匹以上にも殖えるという。」





とうがらしやわさびでできている、防虫剤があることが判明。早速、ナフコに買いに行きました。



 収納庫にかける防虫剤、袋の上にかけておくシートなど購入。湿気もとるらしい。これで完璧かな。開けている袋には、よくホームセンターなどで見かける米当番というものを突きさしました。



天地人・・・こくぞうむしとの戦いがこれで終結できることを祈っています?!



「この袋 わしの陣だと こくぞう軍
                大群率いて 城立てこもる」

秋の季節の変化

2009年10月14日 | Weblog
秋が深まってきています。そんな季節の中、生徒たちも生活の変化を感じています。


「先生、まだ大学からの推薦合格の返事が来ませんでした。」
と昨日のKくんからの電話。


 しかし、今日の夕方、「先生、合格しました。」という弾んだ声の電話。念願かなって自分の希望する学校への進学が決定しました。


「よかったね。やっと気持ちが落ち着くね。」面接はうまく話せたけれども、教科の点が心配といっていたKくん。もう気持ちは晴ればれです。



 昨日の夕方、「先生、今から学校に行っていいですか。」とかつての教えたじゅんくん。「どうしたの。」と聞くと、「転勤で、中津に帰ってきました。」という言葉。就職して2年近く、大阪勤務でした。

 いずれは、中津に・・・ということでしたが、想いがかないました。ちょうど、話し合いが行われていたので、夜勤がない来週会うということになりました。きっとお家の方も喜んでいることでしょう。

 先日、おばあちゃんの葬儀に戻っていて会いましたが、本当に頼もしくなっているじゅんくんです。2年間のクラス担任、野球部の主将と何かにつけてかかわりを持つことが多かったです。またいつか一緒に野球ができることを願っています。




 小学校勤務時代に教えたしほちゃんから、家を建てたという葉書がきました。すごい。もう家だ。看護師をしていましたが、育児もあって、ちょっと看護の世界から、離れていました。

 しかし、子どもさんが少し大きくなったので、再び病院勤務をしています。お母さんとして、看護師として両立は、大変ですが、奮闘をしているようです。そのエネルギーに元気をもらうこともあります。

 仕事や家庭の様子をまめにブログに書いていて、読ませてもらっています。夏に家に遊びに来ました。そのときの写真も同封されていました。ありがとうございます。



 充実の秋となっていることにうれしさを感じます。

「志望校 合格したよと 弾む声  
                色づく木々に 春風が吹く」

冬支度~こたつ布団を干す~

2009年10月13日 | Weblog
このところ寒い朝、寒い夜を迎えることもありました。


ちょっと早いかなあと思ったけれど、ついについに休みの時に、こたつ布団を出しました。
もう北海道では積雪があったというところも出てきました。次第に北から、少しずつ冬が近づいています。



 敷く前に、天気がよかったので、まず布団を干すところをつくり、しばらく秋の日差しにこたつ布団を当てていました。連れ合いは、


「ふとん乾燥機では、こんなにおいがしないのに、どうして、太陽に当てたときに独特のにおいがするのかなあ。」



なんていいながら、干していきました。



 いろんな部屋にこたつ布団を敷くので、ふとんを干す場所は、ふとんでいっぱいになりました。季節感のある風景でした。



 部屋を掃除して、敷き布団、掛け布団をかけていきました。ついこの間まで、扇風機やクーラーをかけていたのに、一ヶ月足らずで、こたつ布団です。季節の変化を感じます。



 今日、用事があって、日田の五馬の方と電話で話しました。
「もうまもなく霜の降りる季節ですよ。」
と言っていました。


確かに。霜が降りるのが、日田市内よりずっと早いです。12月になると、朝、マイナス4~5度になることが多かったです。
でも霜の降りた風景がすごく新鮮で、きれいです。その風景をいろんな角度から写真に撮っています。大切な宝物です。



 
 こたつ布団のことを生徒に話すと、

「ぼくのところも、こたつ布団を出したよ。電気を入れたら熱かった。」


 そうかもしれない・・・。電気はまだ早いかも。


でもある先生は、
「この間の夜寒かったので、ストーブをつけたよ。」
 いつ、冬が来てもOKですね。




「ひさかたの 光やわらぐ 秋の日に
               こたつ布団の 干す香りかぐ」

ひいばあちゃんの誕生

2009年10月12日 | Weblog
 この連休に、おいとめいたちが耶馬溪の母のところにやってきました。
 
  おいは、結納の報告に、そして、めいは子どもを連れてきました。母は、めいの赤ちゃんの誕生でひいばあちゃんということになります。


 晩ご飯を食べたあと、そして、薬も飲んだ後だったので、眠たかったのでしょうか。眠たそうな顔で、みんなを迎えました。


母の手を握りながら、それぞれが話しかけました。

「おばあちゃん、こんにちは。○○ですよ。」

「△△ですよ。ゆなちゃんを連れてきたよ。」



それぞれが目は瞑ったままですが、みんなが集まってうれしいのか、表情は緩んでいました。


ゆなちゃんは生まれてから三ヶ月たちました。初めての遠出です。千葉県からパパとママと一緒にやってきました。


ぐずりもせずにひいばあちゃんとの初対面です。母にとっては、初めてのひ孫です。ひいばあちゃんの誕生です。



「ゆなですよ。抱いてくださいね。」とゆなちゃんのパパが母のひざの上に優しくのせてくれました。




 お菓子を食べたりしながら、時間が過ぎていきました。



 目を閉じ、言葉はしゃべらなくても、母は状況をよく飲み込んでいるのでしょう。

「遠くからよくきてくれたね。」

という思いがけない言葉。母の最高のお礼の言葉だったのかもしれません。




 おいの婚約者も来てくれていました。母に一生懸命に紹介をしていました。
母にとっては、幸せな時間を過ごしました。


 
「ひ孫抱く  ひいばあちゃんの誕生に
             目は閉じながらも  笑顔がうかぶ」