かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

春・・・4月も終わり

2012年04月30日 | Weblog
日々の時間(とき)つれづれなるまま 刻みこむ
               思い出のシーン残せるように




日々の時間は流れていきます。しかし、何か文章や写真にその時間や思いを刻んでおくと、忘れ去っていくようなものでも、いつか蘇らせることができるような気がします。


月ごとにまとめています。
もしよかったら、冊子にして送ります。そして、4月は今日で終わりです。

近郊大会応援に

2012年04月30日 | Weblog
緊張感あふれる中で熱く燃ゆ
               叶える夢の青春の汗
 



練習の苦しさ乗り越え力つけ
               歓喜の勝利友と喜ぶ




昨日は、近郊女子球技大会が市内の会場で行われました。勤務している中学校が出場している種目の会場に応援に行きました。練習試合と違って、さすが、どの会場にも熱気が漂っていました。



あと1カ月足らずで、総体予選が開催されます。どこの学校のどの部もこの大会に照準を合わせて練習や練習試合を積み重ねています。本番1か月前と迫る中、力が高まってきている過程でのこの球技大会です。



勝ちたいと思う気持ちはどのチームも同じです。そのための練習がしっかりと伴っているかどうかが勝負の分かれ道なのかも知れません。




かつては野球部を担当していました。勝つための戦略を考えます。もちろん、礼儀、マナーが前提での技術です。厳しい練習だけでは生徒たちはついてきません。実践と息を抜く場が大切だと思います。


練習そして、成果を試す実践(練習試合など)を交互に織り交ぜていく必要があると思うんです。悔しさに耐え、苦しさに耐えることも大事でしょう。また課題を見つけ、課題を乗り越え、できるようになったことの実感と喜びを感じることが自信につながります。




何といっても土台となるチームワーク。そのためには、どの選手にも、特に3年生には、充実した練習の機会を作り、出番を与えることだと思います。


どの生徒もいてもいなくてもいいチームではなく、レギュラーはもちろんのこと、レギュラーではない生徒も、いなければならない、チームにいたいと思うチーム作りをどのように仕掛けていくかがポイントだと思います。



練習で自分は、レギュラーだけのノックや打撃などをすることができませんでした。試合前でも3年生は全員守備につかせました。チームワークがないチームはモチベーションが低くなりますよね。よりベターな方法を求めて模索していました。




テニス、卓球、バスケットの会場に行きました。それぞれのチームの選手、応援のお家の方たちなどが詰めかけていました。コートごとに声を合わせた応援が響いていました。熱気ムンムンでした。生徒たちは、真剣にボールを追いかけていました。




何か、難しいようなことを書きましたが、要は、市総体まであと1カ月足らず。3年生には、しっかりと目標を持って、部活動の思い出を創ってほしいと願っています。一生の財産となると思うのです。

懐かしい生徒の同級会

2012年04月29日 | Weblog
あの頃の笑顔が似合う生徒たち
                  時が経っても 私の誇り


けんちゃんやじゅんいちろうくんたちのお世話でかつて勤務した中学校の同級会が行われました。



成人式の時以来の集まりでした。卒業してから13年が過ぎていきます。地元に残る人、故郷を離れて頑張っている人と様々ですが、GWに集える人が集まって楽しく同級会をすることができました。




当時は、生徒の数もまだまだ多かった中学校でした。学習や部活などにも生徒たちはまとまって一生懸命に頑張りました。


月日が経っても残るものは、やっぱり友だちを思う心とか、心配りなのでしょうか。その時の絆の深さがその仲間意識を強くさせ、今もなお、こうしてたくさんの人たちが集える大きな要因となっているのでしょう。



自分自身にとっても、1年生と3年生の時にクラス担任をした最後の学年でもあります。



当時の担任であった先生も来ていました。羽野先生や生徒たちと話したことがあります。それは、会ったときに「誰だろう。」と思うことがあります。それは、その生徒のことを忘れているのではなく、容姿が変化しているからです。



しかし話をしていると、懐かしく時間が止まったままで、中学校時代に戻ったのではないかというような錯覚に陥りました。自分がそう言うと、「僕もそう思った。」と当時の生徒たちの声が返ってきました。



今日は、中学校の部活の大会の応援に行くので、途中で帰りましたが、それでも帰り着いたときは、夜中の2時近くでした。話が尽きない夜となりました。



また再会できる日を楽しみにしています。残念ながら今回来ることができなかった人たちにも次回は会いたいですね。それぞれの生徒たちが体に気を送ってほしいと祈っています

まもなく5月

2012年04月26日 | Weblog
日差し浴び 季節は色を変えていく
              緑のカーテン くぐって登校





季節は確実に移り変わっています。2週間前は、桜が美しく辺りをピンク色に変えていたのですが、すっかり校庭の桜の木々も若葉がしげっています。桜色の学校の坂道も、緑色に染められ、春色から初夏の色になった中を生徒たちが登校してきています。





みずみずしい若葉は、気持ちをリラックスさせるとともに、前向きにさせてくれる力を持っています。



今日、生徒たちが若葉の下をくぐって登校してきていました。ほんのわずか前なのに、風景ががらっと変わっています。朝外に出ていると、季節を感じさせてくれます。またそれが新鮮な気持ちにさせてくれます。 



学校では、担任の先生たちは、生徒たちの登校を教室で待っています。それ以外の先生は、玄関や校門であいさつ運動に加わっています。8時10分の登校も8時5分には、生徒たちが登校し終わります。



4月も終わり。入学してきた生徒たちも学校に慣れてきました。




今日は、学校では生徒会専門部会が行われていました。その中に1年生も初めて交じりました。全然違和感がありません。学校にすっかり溶け込んでいます。



授業にも1年生は頑張っています。教科担当制となっている中学校の授業にも真剣にのぞんでいます。いい感じです。フレッシュな1年生の姿を見るのが楽しみで、授業を覗かせてもらっています。



家庭訪問の真っ最中で、春の恒例の行事がどんどんと進んでいます。明日は、PTA総会となっています。授業参観、PTA総会など一日PTA関連の行事が行われます。


こうして、学校の1年がスタートしました。いいスタートダッシュです。


昨日は、市の先生たちの研究大会で、市のすべての小中学校の先生たちが、中学校に来ました。若葉とつつじが咲く初夏の学校の校庭を見て、「きれいですね。」と会話をすることが多かったです。



その初夏の自然が美しい中で、生徒たちは活動を展開しています。

Aちゃんの来校

2012年04月26日 | Weblog
時が過ぎ 面影残し 母になり
                学生時代へタイムスリップ 




昨日のことです。
「先生、中学校に行っていいですか。今、実家に帰っているんです。」
というAちゃんからの電話。久しぶりです。ひょっとして結婚式以来です。お互いに利害関係のない中で、時が経ち思い出してもらえることはとても嬉しく感じます。


あかちゃんを抱いて学校に来てくれました。



中学校時代は、本当にいろんな事がありました。いろんな話をしながら、楽しませてくれたこと、またまた当時の先生を心配させたこと・・・そんなことにしばらく話を弾ませました。




卒業アルバムを見ながら、お母さんになってもたっぷりと面影が残っていますが、赤ちゃんを抱く姿などを見ると、しっかりママぶりを発揮しています。当時の先生もまだいるので、いっしょに話をしました。




あかちゃんを抱かしてもらうと、ちょっと人見知りして、泣き始めます。
「あやし方、先生、下手やね。」
たしかに、否定はしません。



他の先生もやってきて、
「あやすのは、少し体を立てた方がいいですよ。」
なるほど・・・。
こうして、こうして、こう抱くんだ・・・と説明をしてくれました。確かに泣かない。「ほら、その通りでしょう。」




Aちゃんは、美容師になるために、高校を卒業してから専門学校に通いました。美容師、そして、高齢者の施設を訪問して高齢者をきれいにしてあげたいとその道に進んでいました。とてもやさしいAちゃんです。



中学校当時もよかったのですが、美容師としての道を歩く中で、あいさつなどのマナーもすがすがしさがありました。



「先生、美容師の国家試験を受けたけれど、相当緊張したよ。真っ白な服を着て、マナーや技術などをしっかりと見られた。いろんな意味で勉強になったよ。」


と今まで歩いてきた道も話をしてくれました。幸せそうな表情でした。たくさんの元気をもらうことができました。

同級会

2012年04月24日 | Weblog
成人式以来の集まり楽しみに
             再会の時を今待ち望む




ちょうど今年で、小学校と中学校の勤務年数が同じになります。昨年までは小学校勤務年数の方が多かったのです。小学校で採用されて4校勤務しました。いろんなドラマがありました。 



最初の採用は、豊田小学校。当時1500人近くの生徒がいました。正確に言うと、1445人です。各学年ともに6学級でした。ちなみにその時の三光中学校は218人(現在161人)、本耶馬溪中学校は253人(現在79人)です。


子どもたちが多い時代でした。職員の数ももちろん多く55人の職員室でした。会議があるときは、広い職員室、マイクを使うこともありました。




次の赴任先が西谷小学校です。自然豊かで温かい地域でした。児童数は、55名で、職員の数が9名。1400人越えのところから55人という小規模校。


赴任した直後は豊田小学校のイメージしか持っていませんでした。最初に担当したのが、複式学級。すべてにとまどいました。でもたくさんの素敵な思い出を創ることができました。



樋田小学校、上津小学校と経験をしました。「中学校に勤務して欲しい。」と言われました。その時は、生活が大きく変わることに躊躇しました。今考えると、それはそれで、いろんなことを経験し、意味と意義があったように思います。



最初に勤務した中学校である本耶馬溪中学校の学年の同級会がゴールデンウィークに行われます。じゅんくんやけんちゃんたちが計画をしてくれています。


それぞれに時折集まって、みんなで楽しんでいるようです。時が過ぎても仲がいい学年であることに嬉しさを感じます。それぞれに社会人や家庭の主婦として活躍をしています。


時間が経つ中で、年を重ねた自分といろんな苦労もしながら成長し輝いている生徒たちに、追い越された自分を感じる事がしばしばあります。



勢いというものがあります。その勢いに勝ることはできません。
再会を楽しみにしています。

自然との語らい

2012年04月23日 | Weblog
幼き日自然の発見楽しんで
          野山を駈けた あの頃懐かし


昨日、母のところにお見舞いに行く途中、れんげ畑がありました。家族が「最近は、れんげ草が咲いている田んぼを見なくなったね。」とつぶやいていました。


確かにかつては、この季節、ほとんどの田んぼにれんげ草がありましたが、時代が移り変わるにつれて、その数は減っているように思います。

れんげ畑で車から降りて、写真を撮りました。れんげ草を見ると、思い出すことがあります。
それは、
 「れんげ草 妹とあんだ 首かざり」
とかつて小学校で教えた子どもが俳句コンクールに出品した作品です。入選することはなかったのですが、



「この間、妹と一緒にれんげ草の畑で首飾りをつくったんよ。それを思い出して、お母さんといっしょに俳句作った。」



何となくその時の情景が思い浮かばれて、ほのぼのしたものを感じました。今でもその句を覚えています。もうそれも20年以上も前のことです。



時代が移り変わっていき、生活の便利さが自然と隔離をするようになりました。また自分自身も生活にゆとりがないのか自然の美しさなどを見逃しがちになります。昨日のエッセイのように、車社会の中で、ゆっくりと景色を見ることは、稀です。



現代は現代で良さはたくさんあります。しかし、自然との共生は失われているのではないかと思います。帰り道や帰ってからの時間には、たくさんの自然との出会いがありました。



俳句のように、れんげ畑で遊ぶこともそうでしょう。畦道で、ちょっとふくれた豆をとって、「ピーピー笛」を作り吹きながら帰った日もあります。山に軽石を取りに行って、上級生から教えてもらい、軽石を釘などで掘り、紅葉の芽などを植えたこともありました。



かつて、子どもたちの賑わう声が聞こえた夏の山国川も静かなものです。数えれば、たくさんのことを自然から教えてもらいました。




今は、学校でも授業がしっかりと詰まっています。放課後も生徒たちは、塾や部活やクラブチームの活動などで追われています。



自然から発想していく力などを学びましたが、「与えれたもの」「させられるもの」には、子どもたちは対応できますが、自分たちで発想していくことの経験数、自然を媒体にして人と関わっていく時間は少なくなってきているような気がします。



これは、子どもたちが悪いのではなく時代がそうさせているのです。だから、今は、意識して、このような体験活動を仕組んでいく必要があるのではないでしょうか。


話はちょっと違うのですが、最近、ブログやフェイスブックで文章を書いたり、写真を撮ったりしています。書くことで、自然に目を向けることが少し復活したかなと感じます。教えた生徒のフェイスブックなどを見てもそんな写真を見ることが多いです。


使い方によっては、自然に目を向ける現代文化の効能はこんなところにもあるのかなとちょっと驚き。

初夏のドライブ

2012年04月22日 | Weblog
のんびりと木々のトンネルくぐり抜け 
               若葉きらめく ミストを浴びる


学校も超特急で2週間が過ぎ去っていきました。この2週間、いろんな行事がありました。始業式前は、職員会議のオンパレード。始業式、入学式、対面式、歓迎交流会・・・と続きました。


また対外的にもいろんな会議が多く、ここまでは、あっという間の時間でした。



ちょっと、気持ちのリフレッシュ。土曜日に、朝早く若葉が輝くシャワーを浴びながら、ドライブに行きました。


今、新緑がとてもきれいです。最高です。春から初夏への季節が確実に移り変わっていることを感じさせてくれます。



午後からは、低気圧のためにすごい嵐となりましたが、嵐の前の静けさの中で、車を走らせました。 耶馬渓の散りゆく前の紅葉もとてもきれいですが、これから季節を創っていく若葉のさわやかさは癒されるものがあります。



深耶馬渓では、車から降りて、少し歩いてみました。



近頃、耶馬渓では、岩肌を見せるために、その周囲の草木を切りました。一目八景では、雄々しい岩と緑の優しさが見事に調和されて、絶景でした。
自然が織りなす情景を堪能しました。


嵐の前に急いで、杖立へ。
ここは、「こいのぼり祭り」の発祥の地です。20日から杖立川を横断するようにこいのぼりがつるされています。4000匹近くのこいのぼりの大群は壮観です。




ちょっと気分を変えてみると、またエネルギーが蓄えられたような気がしました。生活の中で、スイッチ「ON~OFF」も仕事をしていくための大事な要素だと思います。




そのあとはさわやかな風からすごい嵐となり、車が飛ばされるのではないとか思うくらいの風と遭遇。初夏の自然の美しさと自然の脅威を一日の中で体感しました。

雨の校内遠足~歓迎交流会~

2012年04月20日 | Weblog
遠足の期待はずれの雨模様
              校内遠足 生徒の歓声 


「明日はなんとか晴れてくれたら・・・。」という願いもむなしく八面山野外音楽堂への歓迎遠足は校内遠足となりました。


こんな時、飛び交う言葉は、

「○○先生、あめおとこ?」

人の思いも自然界の法則には勝てません。せめて、途中から天気であると分かれば、強行できるのですが、地面も濡れて乾くこともないので、歓迎遠足は体育館での実施となりました。



校舎から体育館に向かう途中、生徒と会うと、
「去年も雨で八面山に行けなかったんですよね。」
「もしかして、先生は、あめおとこですか。」
ついに、ここまで責任追及?!が来たか。



こういった楽しい行事がだんだんと学校の中から削れていく傾向にある中で、大事にしたい一日です。幸いにも生徒たちの気持ちの切り替えも早いものでした。残念ながら雨の歓迎交流会でしたが、本当に楽しい時間を三光中学校の3年生を中心に創っていきました。



生徒会を中心に素早いプログラムの組み替え。3部に分けての交流会でした。



まずは、八面山の現地でするはずだった、全体での交流レクリエーション。縦割り班ごとで自己紹介をしたあと、・イントロあてクイズ、クイズ旗取りゲームなどで楽しみました。



 次は、クラス対抗長縄大会。20分のクラス練習。3年生を中心に気合いが入っていました。1,2年生も善戦しましたが、そこは、3年生のプライドが勝っていました。3年生の同点決勝。1ポイント差で3年1組が勝ちました。



午後から雨もあがりました。3年生を中心に班で考えたレクリエーションで班ごとに楽しい時間を過ごしました。3年生、2年生は今日の行事の中で、上級生としての風格が出てきたような気がしました。1年生もすっかり中学校の生活に慣れてきました。



特に生徒会行事で思うのですが、その行事をする前とした後でで、充実感とともに、クラス、学校のまとまりや友情そして、人を思う気持ちが少しでも強まるものでありたいものだと考えています。


特に、昨日は、いろんな注意を受けながらも、3年生が一生懸命に今日の行事を3年生の先生たちを中心に取り組んでいました。そして、今日は校内での歓迎の交流会でしたが、ほとんどの全校生徒が満足できるような行事となり、3年生もきっと成就感があったことでしょう。



1年生の感想発表の中で、
「来年は、私たちも来年は、今年のようにすばらしい行事にしていきたいです。」
という言葉がありました。



行事当日その時間も大切ですが、準備つまり過程が集団を創るために当日より、ずっと大事であると考えています。





三光中学校のまとまりができた一日が過ぎていきました。生徒たちの笑顔が輝きました。また生徒と先生たちとの会話も弾みました。

昭和の時代をドラマから感じます

2012年04月19日 | Weblog
終戦のスローな流れとあたたかさ
                セピア色した 昭和の時代




「梅ちゃん先生」の番組をハードディスクに毎日保存して、視聴しています。ドラマを見ながら、セットがよくできているなと感心します。戦後の生活の様子が巧みに描かれています。



自分自身も昭和の時代に生まれ、時を過ごしてきました。戦争が終わって、10数年過ぎて生まれましたが、昭和の幼少期、何となくスローな流れと人と人との繋がりが濃いかったように思われます。



自分の幼少期と現代ではかなり生活の様子も違っています。いろんな思い出や思い入れがあります。
印象に残っているもの・・・。



◇中津~山国間では耶馬溪鉄道が走っていました。家の裏側が線路だったので、耶馬溪鉄道を走る列車の汽笛の音は、生活の音の一部でもありました。線路伝いにあぜ道がありました。


今では、その道が歩くことはほとんどありませんが、当時は、列車と駆けっこで競走をしたりもしました。駅に続く生活道路でもありました。通勤時間では、高校生の乗り降り、中学生の乗車などで、駅前は混み合いました。




◇馬車が通っていました。馬で材木をひかせていました。家は、店屋だったので、鞍やひずめなどの馬具なども売っていました。


当時は、アスファルト道路ではありませんでしたので、土の上に、馬の糞が落ちていて、投げたりしたのはこの頃、少年だった人には思い出があるでしょう。




◇電話も交換の人がでて、「○○○番をお願いします。」と言ったらつないでくれていました。プッシュ式やダイヤル式ではなく、電話の横に回すものがついていて、それを回してしばらくすると、交換の方が出ました。


市外にかけるときは、「そくじ(字はわからない)をお願いします。」と言うと、市外にかける局につながり、またそこの交換の方に番号を言うようなシステムでした。複雑な方法ですが、人と人とが繋がりあわなければ生きていけない時代でした。





 まだまだ数え切れない昭和と今では文化の違いがあります。「梅ちゃん先生」とは話がかけ離れましたが、「梅ちゃん先生」のドラマの中の家族のように、家族も核家族が少ない時代でした。いろんな形で人と人とが関わる以上、多くの軋轢も生まれたことでしょう。


しかし、それを跳ね返す、乗り越える力は身についていたのではないでしょうか。



 「梅ちゃん」が医者になろうとする時代には、セットや時代背景が違っていると思いますが、今は、昭和を感じさせるストーリーを一日15分楽しんでいます。


写真は、かつて三光にあった三沢中学校です。

たこのこ掘り

2012年04月18日 | Weblog
タケノコの密集地帯を掘り起こす
              山から降ろして 腰も砕ける




 
 上の詩のように、「こんなにタケノコができるのか。」というような場所に、招待を受けて、先日の日曜日にタケノコ掘りに行ってきました。


毎年恒例のタケノコ会。



「あのね、今年は、いろんな人に荒らされてほとんどタケノコがないんですよ。でも毎年恒例なので来て下さいね。」



と電話でお誘いの電話。ということで、学生時代からお世話になっている下宿の方のところの山に行きました。


その方のタケノコの山は、横に車を着けられる便利がいい場所にあります。手入れも行き届いています。



 
竹をはやす場所を考えています。一番タケノコがなりやす間隔で竹をはやしています。竹林ではなく、ちょっとした竹林の公園です。普通は、タケノコ林は斜面にあったりするのですが、平地です。



ここで、コーヒーショップなどすれば、趣があって、はやるかな・・・なんていう場所です。


こんなきれいな竹林は見たことがありません。



確かに油断すれば、誰かが入ってとっていくかも。入り口に錠はしているのですが、それでも網を乗り越えて入ってきたりするそうです。




「竹林が荒らされている・・・。例年よりあまりない・・・」と言うことでしたが、それは、感覚の違いで、例年よりなくても、林に着いてみると、確実に100本以上あります。きれいなので、どこに生えているのか一目瞭然です。




「全部、掘って、持って帰って下さいね。」
「・・・・・・。」こんなエネルギーが残らないかも・・・。



タケノコ会に来ている人は、4人。4人でこれを全部掘るんですよね。気合いが入りました。


 
至れり尽くせりです。くわ、軍手、一輪車、給水の飲み物などと用意するものは何もありません。しっかり掘り進めました。タケノコを車に乗せると汚れてしまうので、一輪車で甲斐先生のお宅まで何度も運びました。これが急な坂なのです。息がきれそうでした。


だらだら汗が出ました。


至れり尽くせりの巻きは続きます。掘り終わると、バーベキューを庭で。帰りには、タケノコ+(プラス)にぬかまでいただきました。



季節を感じながら、自然のマイナスイオンをたっぷり浴びました。今は、全食事がタケノコ三昧です。

学習も本格的に

2012年04月17日 | Weblog
実力は日々の努力の積み重ね
             分からないところが 上達の種


一学期が始まって一週間以上が経ちました。12日が2、3年生は、春休み明けの実力テストがありました。そして、今日は、大分県の基礎基本の定着状況調査などが行われました。


また授業も本格的になってきています。



特に1年生はとまどいもあるかも知れませんが、新鮮なものを感じているのかも知れません。それは、教科担任制です。教科によって、先生が違うということにきっと1年生は、中学校に入学した実感していることでしょう。



昨日は、休みの先生がいたので、2年生の英語の自習監督に行きました。先生からの課題があったので、生徒と答え合わせなどをしました。



「Be動詞」と「一般動詞」です。



いろいろと教えながら、楽しく授業ができました。基本的なところですが、生徒がいったんわからなくなると難しいところです。


「Be動詞」と「一般動詞」の違いなども分からなくなりがちな英語の第2の中1プロブレムですね。小学校から中学校に入るときに一つの壁があると最近よく言われています。今よく言われている中1プロブレムです。



しかし、英語においては、第2の中1プロブレムがあると思います。


最初は、ABC・・・の綴りや「HELLO」などの簡単な文を習うのですが、それが終わると、一気にBe動詞や一般動詞を学習します。ここが第2の中1プロブレムです。英語が分からなくなるのはたいがいここ辺りからです。ここをしっかり乗り越えることが大切です。



今日も生徒たちと学習しながら、つくづくそう思いました。



でも生徒たちも一生懸命に頑張っていたので、時間の経つのも忘れるほどに楽しく時間を過ごすことができました。



1年生は、三光中学校の特色の一つでもある「三光タイム」(朝、夕方実施しています)にも頑張っている姿を見ました。中学校には入学してまだ間もないので、まだまだ教室の中に緊張感があります。



学習に、生徒会行事、部活・・・にと生徒たちがうんと充実する1年にして欲しいと願っています。

野球の応援に☆

2012年04月15日 | Weblog
緊迫の一進一退の試合こそ
            気持ちで動くな 組織で動け




昨日、大分からの帰り、中学校の全国大会中津市予選の応援に行きました。


朝から雨だったので、予定時間を遅らせての試合開始でした。いろんな部活において、本格的にいろんな大会が開催されています。



三光中学校は、白熱した戦いが繰り広げられました。お互いにチャンスがあったもののあと一歩というところで、点に結びつかず、0対0で試合が進められていきました。


長打が出て、1点先取。


市総体に近づくと、どこのチームも出来上がってきて、接戦となる試合展開が多くなってきます。ちょっとしたミスが命取りになることを何度も味わっています。


試合は、最終回ツーアウト走者なしのところから同点に追いつかれました。判定戦にもつれこまれ、ボーンヘッドから敗れました。悔しく思うだけなく、結果をしっかりと反省することで、ステップアップできることでしょう。



接戦に強いというのは、
○実践練習や練習試合などが積み重ねて、課題をしっかり見つけて課題を解決していく
○フォア ザ チームに徹する(気持ちで動かず、チームプレイに徹せよ)昨日の試合がこれだったと思います。 
○集中力を長く持続ができる(そのためには、お互いに励ましの声を出す、守っているときに自分のところにボールが来たらどのようなケースが考えられるか想定しておくなど)などが必要となります。



勝ちたいと思うチームはどこのチームも同じように一生懸命に練習をしています。


特に、野球の場合は、トーナメント戦がほとんどです。リーグ戦と違って、負ければおしまいです。「トーナメント」ということを生徒も意識する。つまり県にいくためには、市から2チーム出場となるので、全勝もしくは、決勝でのみしか負けられません。



勝つ確率を高めるためのトーナメント用の戦術のトレーニングを(練習、練習試合)を総体前に取り組みました。出場権の獲得の確率を高めることができます。運を味方にすることができます。



どの部もこれから総体がある6月までにいろんな実践的な練習を積み重ねていきます。頑張れ!

うれしい電話

2012年04月14日 | Weblog
心地よい感謝の言葉 『ありがとう』
               思いがけない 嬉しさ浴びて




今年度の学校便りにも書きましたが、「ありがとうございます」とか「お世話になりました」「おつかれさま」などと言った相手をねぎらう言葉って大切であることを感じます。



先日、学校から帰る途中、年配のご夫婦が乗られた車が、片方のタイヤが脱輪して、側溝に落ちていました。通りがかりの人たちが集まって、どうあげたらいいのか話していました。



 軽自動車だったので、持ち上げてあげようとしたけれど、なかなか上がりません。側溝に石などを詰めてあげてようとしたけれど、それもちょっと無理でした。



「自動車屋に電話をしたらどうですか。」
と言うと、すでに連絡済みでした。



いろいろ試しながら、修理工場の方が来るまで待ちました。不思議なもので、知らない人たち同士が一つのことを試しているうちにちょっとした一体感ができているような気がしました。



しばらくすると、修理工場の方が来ました。よく見ると、かつて教えたTくんのお父さんです。



ジャッキーなどを使って、車が側溝から上がりやすいように、仕掛けをしました。さすが、プロフェッショナル。Tくんのお父さんの車と軽自動車をロープでつないで、引き上げるという作業です。



「車を動かすよ。先生、軽自動車に乗って、思い切ってハンドルを右に切って下さい。」
という指示。



Tくんのお父さんの車のエンジンを吹かして、前に車を動かすと、軽自動車が一発ですーっと側溝から上がりました。すごい。


用事もあったので、すぐに帰りました。


手伝って数日後のことです。たぶんTくんのお父さんから名前を聞いたのかも知れませんが、
「ありがとうございます。あのときは、おかげで助かりました。」
という車の持ち主の方からの電話。



「お互いさまです。」
と言う返事をしました。今回は、手伝う形でしたが、いつ自分が逆の立場になるのかわかりません。そこはやっぱりお互いさまです。


しかし、その電話での相手の方の温かさが伝わってきました。でも、「ありがとうございます。」
と言われて悪い気はしません。人に対しての感謝やねぎらいを大切にするということを、自然な姿で、年配のご夫婦から学びました。こういう言葉が行き交う社会を求めていきたいですね。



先週の日曜日は朝から水路の掃除でした。帰って玄関のところに行くと、
あのときの方がわざわざ訪問してくれていました。しばらくお話をさせてもらいました。 
 


なかなか自分にできないところが多いのですが、自分の行動の中に少しでも心がけていきたいと感じます。