かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「アイスの夏・栗の秋」

2024年09月30日 | 大分県
先日も書きましたが、朝晩は秋。日中は真夏です。
気温差も半端ではありません。
そんな中で、今日は、夏と秋を感じる時間がありました。
 
かつての生徒のお家の方から、「30日の朝の放送の「ラビット」に子どもが出るんですよ。」
と連絡がありました。
 
この間は、マツコ・デラックスの番組で特集をされていた「ジェラート」です。

今日は、「ラビット」で美味しいジェラート2選で紹介されていました。

中学校までは、中津で過ごしました。

その後修行して、東京でジェラートのお店を開きました。
数多くジェラートのお店はあります。

しかし、テレビや雑誌で紹介される機会が多くあり、超人気店になっています。
昨年、食べさせてもらいました。

とても外観がおしゃれで、口に含むとさあッと溶けていく感覚がなんとも言えない贅沢な感じがします。 
 
今日の朝、録画したテレビを見ながら、また食べたくなりました。
大分県の食材をいれたジェラートもあります。
下郷牛乳を使っていた時期もありました。
 
イケメンシェフのイケジェラートです。
 
そして、秋の風情は、栗です。
 
家の畑には古木になっている栗の木があります。
幼いころから栗の木が植えられています。

台風などでボキボキ枝が折れていき、かろうじて残った木から栗の実ができています。
 
だんだんと色づいてきました。
畑には、栗のいがが落ちています。 
 
先日、友人が栗拾いに来てくれました。
そして、日曜日に、栗まんじゅうを作って持ってきてくれました。
 
栗の実が美味しい饅頭に変身しています。
手がこんだお饅頭です。ありがたい話です。

今日の夕方、栗拾いをしました。
ひと昔までは、山にも栗の木を植えていました。
竹かごを背中に背負って、急な坂道を登りながら、栗の実を拾っていました。
一部は、出荷もしていました。
もうそんなことはできません。
 
今は、ユーチューブなどで、栗の簡単なむき方などが掲載されています。
実りの秋となっています。
 
食べ物から夏と秋の季節を体感しました。


「体を動かす秋・・・?」

2024年09月29日 | 大分県
ちょっと雲の多い朝でした。
台風の影響でしょうか。

今日は、気温が上がらないことを願いながら、
「社会を明るくする運動」
のいもほりに出かけました。

場所は田尻の方です。

ぎりぎりに行ったので、もうたくさんの人が来ていました。
保護司などの会が取り組んでいます。
 
つい最近は、いものつるあげをしました。
前日が野球があったので、はいはいをしながら、必死でつるをあげていきました。

その日は暑く終わった時には、バテバテでした。
 
そして、今日は、いもほり。
それほどまでの暑さはなかったのですが、とにかくいもを植えている面積が広い。

ひと畝だけでも長いです。

耕しながら、いもを取り出しました。

およそ、1時間かけて、ひと畝を終わらせました。

よこいよこいで、作業を進めていきました。
いもを掘る人、つるを切っていく人、いもを整理する人と流れが自然にできていました。

みんな、
「うねが長いなあ。」
と言いながらも繋がりを深めながら、畝を耕していきました。

一人2畝とくらいの作業量です。
「集中力がなくなって、クワをいもに突き刺したよ。」
疲れながらも、みんな手分けして終わらせることができました。

ほっ・・・です。
「次は奥の方の畑に行くよ。」
うっ・・・。
 
夕方からは、野球の練習です。

今日は、本耶馬渓の野球のチームの練習です。
今度の日曜日には、40歳代以上のOB野球の中津市予選があります。

今日の練習は、20歳以上だったので、また野球の雰囲気も違っていました。

かつての教えた生徒たちもたくさんいます。
若さのエネルギーをもらいました。
 
帰って風呂に入って、ばりばり湿布を張りました。
 
明日からまた新しい週が始まります。
足をひきずりながら、勤務をしましょう。


「運動会間近」

2024年09月28日 | 大分県
運動会の日があと一週間と近づいてきています。
 
運動会の練習が始まった時は、暑い日が続きます。
しかし、だんだんと秋の気配を感じるようになって、秋風を浴びながらの練習となっていくのがふつうでした。
一般的な季節の傾向です。

今年は、練習終盤になっても暑さが厳しいものがあります。
こまめに休憩や給水をしています。

まだ休み時間は、外で遊べなかったり、時間を決めての昼休みとなっています。
 
勤務校では、昔給食でよく出ていた冷たいオレンジジュースが時折出てきます。
あつぼったい体にオレンジがしみわたります。

子どもたちもこちらもとても楽しみにしています。
 
コロナ感染拡大時以降、半日・平日開催をしている学校が多くあります。

勤務校は、土曜日の半日開催です。
だから、家族の運動会に行くことができます。
 
あと一週間。
ややお疲れモードですが、子どもたちと頑張って取り組みをしていきたいと思います。

暑さは残っていますが、空を見上げると、うろこ雲、すじ雲などの秋の空になっています。

「スポーツの夏ような秋」の秋の空の下、子どもたちの躍動を期待しています。
 
写真は、ふるさとに彼岸花が咲き始めた昨日の何枚かです。

「福島 白川だるま編」

2024年09月26日 | 大分県
日本には、だるまの生産地スポットがあることは知っています。
しかし、その中の一つが白河市であることの知識はありませんでした。  
 
白河市には、新白河駅などやいろんなところにだるまが置かれています。
だるまに守られた街でもあります。
 
「白河だるま」をお祝い事であげたいので、「行きたい。」という人がいたので、ネットで検索。
TEL予約もして「だるまランド」というところに向かいました。

ていねいにバスの置く場所までも用意してくれていました。
工場から展示場、売店までの流れがありました。

「白河だるまは寛政の改革で有名な松平定信公の「市民の生活をより元気に」という想いから幸運をもたらす縁起物として誕生しました。」
 
先日のNHK大河ドラマ「光る君」の出産シーンで、御所あげての祈祷をする場面がありました。

いろんな技術が進んでいない中で、頼るのは、「祈り」だったのでしょうか。

白河だるまは幸運の象徴とされている「鶴亀松竹梅」が顔の中に描写されているのが最大の特徴です。

また、願いごとをする際はまず、だるまの左目に目を入れ、成就したら右目を入れるという風習があります。

白河だるまは、いろんなところで、縁起物として重宝されています。

売店には、大小や色と様々なだるまが並べられていました。

イニシャルが書かれているだるま、野球やサッカーなどの勝ちだるまもありました。

種類が豊富です。

さすが「だるまスポット」だるまの街です。

野球の大会で白河に行っていたので、野球だるまを購入する人も多くいました。

毎年2月には、白河だるま市も開催されるそうです。

「だるまの目の入れ方を知っていますか。」
と聞かれました。

はて?
 
「だるまの赤は火をあらわし、火は南の方位を示します。 
陰陽五行では、東より物事が生まれ、西で無くなるといわれており、だるまを南に向けた場合、東が左目、西が右目の方向を示しているから、物事が生まれる左目から入れるそうです。」

なるほど。
 
小さなだるまを買いました。
「白河だるま」で、縁起をかつぎましょう。

「飯盛山から白河の関」

2024年09月24日 | 大分県
家を出て、列車や飛行機を乗り継いで、福島に行くには、9時間以上かかりました。

待ち時間もあり、昨日は、朝9時にホテルを出て、家に帰りついたのが、夕方の7時頃でした。

旅をしている感じがしっかりあらわれました。

大会が雨のために、延期になった日、白河の関と足をのばして、飯盛山に行きました。

当初は、鶴ヶ城にも行く予定でしたが、この日は、「会津まつり」が開催していました。
 
雨が降っている中での「会津まつり」でした。
しかし野球の大会があり、雨でないと行くことがなかったスポットです。

藩公行列があります。

大河ドラマ「八重の桜」の主人公を演じた綾瀬はるかさんも来ていたので、行列の出発地点の「鶴ヶ城」付近には、近づくことができませんでした。

交通整理員の方に、しっかりと車を止められました。

戊辰戦争で敗れた会津藩士の霊を慰めるということで、この「会津まつり」が行われています。 
 
山本八重役になった綾瀬さんも
「皆さん雨が降って寒い中、さすけねえでしょうか? 今年も会津に来られて本当にうれしいです。ありがとうなし。」
とテレビのニュースを見ているとあいさつをしていました。

山本八重さんは、戊辰戦争を戦い抜き、女性ながらに、鉄砲を持って、戦いに挑んでいます。

山本八重さんのことは、
「幕末のジャンヌダルク」「会津の巴御前」
とも呼ばれています。
 
会津の歴史は深いです。
新選組も会津藩と深い関係があります。
 
鶴ヶ城は断念。

白虎隊が自刃した飯盛山に向かいました。

白虎隊の戦士が、鶴ヶ城が燃えていると勘違いして、自刃した悲哀の場所です。

飯盛山には、白虎隊の墓がありました。
以前、テレビドラマも制作されて興味深く見ました。
 
さらに白河の関へ。
よく高校野球でも白河の関を超えるというワードが出てきます。
 
なかなか行く機会がない、会津の歴史を学ぶことができました。
もし、次に行く機会があれば、「鶴ヶ城」をぜひ、訪れてみたいです。



「福島でのシルバー全国選抜野球大会①」

2024年09月23日 | 大分県
初めて、福島の地に降りました。

車・飛行機・モノレール・電車・新幹線・・・と乗り継いでの福島入りです。

初日の監督・事務局会議、開会式。

朝、家を4時30分に出発。

同乗の方を迎えに行って、大分空港へ。
待合時間も合わせて、家から、開催地の福島の白河市まで9時間と少しかかりました。
白河の関を乗り越えるには、しっかり時間がかかります。

それでも仲間で行く、福島までの道のりは、お世話係の主将のお世話でスムーズに楽しく行くことができました。
 
白河市体育館は、選手たちで埋め尽くされました。
開会行事やチアリーダーの演技で、会場は華やかに盛り上がりました。
 
そして、2日目。大雨の中での試合展開になりました。
グランドは田植え状態ですが、それでも日程の関係で、試合は強行。岩手県との戦いです。
 
岩手県も強豪の奈良県を破っての試合です。 
 
サードで試合に出ました。
初回連打で3点の先制。

しかし、相手も食らいつきます。裏の攻撃で逆転されました。
次の回は、先頭打者でしたが、死球。盗塁して2塁まで進んで、タイムリーヒットでホームを踏むことができました。
 
あとは、サードからショートに守備が変更になって、しっかりと守りの人になりました。
連打のちょっとかやの外になってしまいました。 
 
長打、長打で3人の相手の投手を打ち込んでいきました。

エースも足元が悪い中で、しっかりと抑えました。
20点の得点を入れて、コールド勝ちで、ベスト16に入りました。

ベンチも含め、一丸となっての試合でした。
 
しかし、少数精鋭の戦いで、グランドで足をとられたりして、故障者が出ました。
次の日は、雨のために翌日に延期になりましたが、その後の試合は、無念の棄権に追い込まれました。

気持ちは折れましたが、それでもこれからの試合に向けて自信をつけることができました。
 
悪条件の中でしたが、福島での全国選抜大会は、チームメートみんなが忘れることのできない思い出となりました。

「昨日は中秋の名月」

2024年09月18日 | 大分県
昨日は、中秋の名月でした。
旧暦の8月15日の夜(十五夜)に見える月を「中秋の名月」と呼び、今年は9月17日の昨日がその日にあたります。

十五夜の月として親しまれ、今でもススキや団子をお供えして月をめでる習慣が残っています。

この頃に収穫される里芋をお供えすることから、地方によっては「芋名月(いもめいげつ)」とも呼ばれています。
  
今年の「中秋の名月」は満月ではなく、翌日の9月18日の今日が満月です。
 
家族も寄ってきて、団子を食べました。

すすきもとってきて、並べました。

山あいなので、月がのぼってくるのは、少し遅くなりますが、きれいな月が上がってきました。

旧暦では7~9月が秋とされており、秋の真ん中にあたる8月15日は「中秋」と呼ばれていました。

中秋の名月は、一定のところにあるわけでなく、来年は10月6日だそうです。

調べていくと、意味も分かってきます。
おもしろいです。

「十五夜(中秋の名月)にお月見をする風習は、中国では秋の中心を祝う「中秋節」という行事が古くから行われていました。その中秋節が平安時代に日本へ伝わり、十五夜にお月見をする風習として定着したといわれています。」
 
なるほど。
平安時代から、お月見があったのか。光る君や紫式部も楽しんでいたのでしょうか。

しかし、
「心にもあらでうき世にながらへば
恋しかるべき夜半(よは)の月かな」
という三条院の歌があります。

「光る君」の藤原道長との確執の中で、天皇を退位しなければならなかった三条院。

道長は、娘の子どもを天皇にさせていきます。

ちょうど、大河ドラマ「光る君」では、これからそのシーンに入っていきます。

「死んでしまいたいくらい」の三条院の思い。宮中を去る前に、これから先、生きていく中で、宮中から見えた月が懐かしく感じられるだろうとせつなく詠んでいます。
 
月は美しいものでもあり、悲しいものでもあります。

野口雨情の詩の「十五夜お月さん」の歌、悲しいドラマだと思いませんか。
時代です。

1 十五夜お月さん 御機嫌(ごきげん)さん
 婆(ばあ)やは お暇(いとま)とりました
2 十五夜お月さん 妹は
 田舎へ 貰(も)られてゆきました
3 十五夜お月さん 母(かか)さんに
 も一度 わたしは逢いたいな

月によって、いろんな物語が作られます。美しいものを美しく見える生き方や時代にしていきたいですね。


「あっという間の3連休」

2024年09月16日 | 大分県
3連休の最終日。
あっという間に時間が過ぎ去っていきました。

今日は、「敬老の日」。
家族から「おめでとう。」の言葉も。
年も重ねていきます。
 
今日は1時過ぎから4時まで野球の練習がありました。

太陽が雲にさえぎられた時は、涼しい風も吹いてきていたのですが、いったん太陽が出てくると、ぎらぎらです。

汗が半端なく出てきます。

先週の練習試合の時は、少し熱中症気味になっていました。
その反省に立って、上は、薄手の野球シャツ、熱を逃がすためにサポーターはつけず、塩分入りの飲料水、卓上の扇風機・・・などなど、対策を講じました。 
 
内野を守っていて、1塁にボールを投げる時には、ボールと一緒に腕から汗が飛んでいくのが見えます。

バッティングピッチャーをするときは、汗でボールが滑ります。

そんな暑さでした。

しかし、対策がよかったのか、なんとか練習を終えることができました。
 
練習が終わってから、みんなで荷造りをしました。

全日本選抜シニア大会が福島県で開催されます。

チームでは、ヘルメット・バット・ボールや救急箱などを宅急便で宿舎に送ります。
箱に詰め込みました。

持って行く宅急便センターでは、縦・横・高さを合わせて、2m以内でないといけません。
コンパクトにまとめていきました。
 
また個人では、グローブ、スパイク、トレーニングシューズ、着替えなどを送りました。
 
こういった道具を宅急便に持っていくと、いろいろと勉強になります。

今は、カードを作っておくと、自分の住所などを紙に書かなくてすみます。

クレジットカードは使えないのですが、カードにお金をチャージすることもができます。
また往復で送ることもできます。

なるほど。
いろんな仕組みがあります。
 
チームも個人も往復で頼みました。
便利なシステムです。
大会に向けての準備が一つひとつ終わっていきます。
 
この年齢になって、勝負にこだわりながら、戦いに挑むことができることに感謝です。

一昨年は西日本大会で、兵庫県代表に勝利することができました。
今回は、岩手県代表と奈良県代表の勝者と対戦をします。
 
暑い中の戦いかも知れませんが、好試合ができるように奮闘できればと思います。

「原鶴のひまわり」

2024年09月15日 | 大分県
今年は台風の影響で、わたしの家も含めて、いろんなところで、ひまわりが開花させていくのが難しくなっています。
 
今日、通りかかった原鶴の道の駅のところでは、「ひまわり」のイベントをしていました。

しかし、たぶん、今日が開花のピークと予想していたのかも知れませんが、もう一週間かかると係員の方がマイクを使って、呼びかけをしていました。

3連休だけにたくさんの人が来訪していましたが、ひまわりがあまり咲いていなかったので、そのまま道の駅に行く人が多くいました。

道の駅の中は、ごった返しです。
秋の味覚のぶどうや梨、柿などを売っているところは、人だかりでした。
 
ピーク時には、ひまわりの切り花なども購入できるようです。
茎はしっかりと伸びていました。
開花をするのが楽しみといったところです。

ぽつぽつっとひまわりは咲いていましたが、満開時には、畑一面がひまわりで黄色に染まるでしょう。
見ることができないのが残念。
 
今日もここを通る時には、気温が35度を超えていました。
季節は秋ですが、気温からすると、真夏のひまわりといったことになるのでしょうか。
 
「ひまわり」という言葉をイメージすると、

「ああ 向日葵のように咲いて 
天を仰いで笑って
ただ真っ直ぐな 
あなたのようになりたい
臆病な私も 
少しだけ背伸びして
光のさす方へ歩いていこう」
(Ado  向日葵)より

「そばにいたいよ 
君のために出来ることが
僕にあるかな    
いつも君に ずっと君に
笑っていてほしくて
ひまわりのような  
まっすぐなその優しさを
温もりを 全部    
これからは僕も 届けていきたい
本当の幸せの意味を見つけたから」
(秦基博 ひまわりの約束)より

「夢を見ていました あなたと暮らした夏
ふたりのあの夏のように 
ひまわりが今 咲きました」
   (福山雅治 ひまわり)より

「ひまわり」の花のイメージからロマンティックな歌もたくさん生まれています。

来週は天気がよければ、ひまわり畑は、最高のビューの中で、ロマンティックな風が吹き抜けていくことでしょう。

「時計屋の終焉」

2024年09月14日 | 大分県
3連休の初日です。

台風の影響なのか、少し雲が多かったような気がしますが、相変わらず、夏の気候でした。
 
3週続けての法事がありました。
 
人が亡くなってからの日が経つ早さを感じます。
13回忌・三十三回忌そして、今日は、親戚の方の四十九日の法要でした。

親戚の方は、いつかブログにも載せたように、時計職人をしていました。
終戦後釜山から、戻って、時計店を継ぎました。

それからが、時計職人として、90歳を過ぎるまで、たくさんの時計を動かしてきました。

「時計を修理するのが楽しみで、時計だけに生きてきた人なんですよ。」
の言葉がありました。
 
確かに、家の片隅にあった埃まみれの古いぜんまいの掛け時計を動かしてくれました。

ぜんまいをまくのが、ついついおっくうになって、止まっていることもあるのですが、いい音を響かせながら、動きます。
「まだまだ100年大丈夫だよ。」
とその時の言葉です。
 
家を改築したときに、記念に大きな掛け時計をいただきました。

数年経って、あまりの重さに、夜中に地震があったかのごとく、
「ドカーン。」
と床に落ちてしまいました。

何があったか、びっくりして飛び起きました。
床に時計の部品が散らばっていました。

その時に、家に来てくれて、一つひとつの部品を磨きながら、修理をして、動かしてくれました。
 
昔はどの家にもあったぜんまい時計も消えていっています。
しかし、修理の腕は亡くなる瞬間まで衰えることはありませんでした。
 時計職人の時計は止まってしまいましたが、修理していただいた
職人の心がこもった時計は、時を刻み続けています。
 
今日は、みんなでしっかり手を合わせました。そのあとは、美味しい料理を食べながら、いろいろ語り合いました。

「美味しく鶏飯を~南の島の香り~」

2024年09月12日 | 大分県
人生のほとんどを山あいで過ごしている身にとって、なんとなく海の香りに憧れる時があります。

特に離島に行くのが好きです。
 
今日の給食は、奄美の郷土料理「鶏飯」でした。
子どもたちは、よく知っていて、「給食が楽しみ。」と朝から話をしていました。

奄美大島には、以前勤務していた学校で、職員旅行で行ったことがあります。

しかし、「鶏飯」という言葉は知っていても、食べたことはありませんでした。
 
メニューを考える先生、調理員さんたちは、手間ひまかかったと思います。
また給食をつぐときも、時間がかかりました。
 
初めて口にした「鶏飯」はとても美味しかったです。

ご飯にいろんなものをのせました。

食べる時に、お汁と別々にして口にしていると、給食担当の先生が、

「おしるをご飯にかけるんよ。するとしいたけなどが嫌いな人もしっかりと食べることができます。」

なるほど。ほぼ残菜もなく、子どもたちのおなかに、「鶏飯」が入っていきました。

「奄美はかつて琉球王国の統治下にあったが、1609年に薩摩藩領となった。薩摩藩の役人を供応する機会が定期的にあり、そこで鶏飯も提供され、汁かけの鶏飯が生まれる背景にもなったと思われる。」(ネットから)

島に流され、愛可那と過ごした西郷どんもこの地で「鶏飯」を食べたのでしょうか。
 
それぞれの地域では、それぞれの文化があります。

石垣島に行った時に、タクシーの運転手さんから、聞いた話で心に残っているものがあります。

「お酒や美味しいご飯をみんなで持ち寄って食べるのは、3つの機会があるんです。」
なんだろう。

「お正月、お祭りそして、台風で休みになった時です。」
「台風の通り道になっていますが、歴史の中で、しっかり家の作りや対策が講じられています。だから仕事が台風で休みになった時は、それぞれの家庭の味を持ち寄って楽しむんですよ。」
なるほど。
長い間の歴史で、郷土料理が生まれていくのでしょう。
 
子どもたちの中で話題となった「鶏飯」を楽しみました。
 
写真は、今日の「鶏飯」と奄美よりさらに離れた南の石垣島を訪れた時の風景です。
 

「あわただしい中のひととき」

2024年09月11日 | 大分県
朝、なんとなく天気は、ぐずつき気味でした。
ぱらりと雨も降りました。

しかし、日中は、真夏の天気。
 
そんな朝、通勤をしていると、前方に虹を発見。
濃い色で空に架かっていました。

完全にアーチとまではいきませんでしたが、すこし車を止めて眺めました。
 
2学期始まって間もないのですが、運動会の日も、1か月を切っています。

体育の時間などは、熱中症指数などが高くなっているので、膣内での運動会練習となっています。

それぞれの学級の教室からは、ダンスの曲が流れてきます。
また多目的教室でも子どもたちが頑張っている姿を見ることができます。

先日も書いたように、しっかりと動画を見ながらの練習です。
ダイナミックな動きとなっています。

運動会は近づいていますが、気温との兼ね合いをみながらの練習となります。
 
子どもたちは、
「ダンスをしていたら、汗びっしょり。」
とわざわざ汗を見せに来る子どもたちも。
一生懸命になっていることがよくわかります。
 
初めての赴任先での運動会です。
子どもたちが運動会に向けて取り組んでいく姿、また運動会当時の様子が楽しみです。
 
「朝、虹を見た?」
と聞くと、見たという子どもも何人かいました。
「きれいやった。」
「お父さんと一緒に見た。」
の声がありました。
 
運動会の練習・授業・・・とあっという間に過ぎていく学校での時間ですが、ちょっとしたところで、「虹がきれいやった。」と言えるような心の余裕も持ちながら、学校生活を送って欲しいです。

「夏の日の思い出~阿蘇山編~」

2024年09月10日 | 大分県
来週頃までは、まだまだ夏の季節と天気予報で言っていましたが、本当にこの暑さが和らいでいくのでしょうか。

今日も熱中症指数の関係で、子どもたちの昼休みは室内でした。
 
ひと昔みたいに、天気がよければ、外で遊べるというわけではありません。
室内にいてもしっかりと夏の暑さを感じました。
 
夏に機会があって、阿蘇山の火口などに行くことができました。
草千里、火口とわたし自身の小学校の修学旅行以来でした。

外国の方もたくさん来られていました。
 
瀬の本などから見える美しい阿蘇連山の風景とは違って、実際に火口をみるとごつごつとしたものを感じます。

今でも覚えていますが、修学旅行の思い出で書いた作文の中で、「雄大なけしき」という言葉を使いました。

どこをとって、「雄大」と感じたかわかりませんが、火口のところで感じた景色、草千里で感じた景色、草千里から坂を下る時の景色と雰囲気は違います。
 
坂を下ってしまった時に、激しい雨の夕立に遭いました。

素晴らしい景色はしっかり堪能したあとだったので、幸いでした。

阿蘇ファームランド、阿蘇駅・・・と夏の高原を楽しみました。
 
先日、ある新聞のお悔やみ欄で、6年生の時の隣りのクラスの先生が亡くなったことを知りました。

年賀状や節目節目にいつも連絡をいただいていました。
何年か前に、担任の先生もお亡くなりました。

6年生の時の溌溂としていた先生たちがお亡くなりになったことにすごく悲しい気持ちにさせられました。
 
阿蘇山で先生たちと一緒に撮った写真を今でも大切にアルバム残しています。

あれから長い年月が経ちました。

その時以来に行った阿蘇山が先生がお亡くなりになった年ということに何かの縁を感じます。
 
ふるさとの景色とは違う異世界の風景を楽しみました。