『写真見てあの頃こと懐かしむ
兄貴と過ごした朝のひととき』
2016年度もあと1日です。ふーっと一息をつきたいところです。
昨日、かつての写真が必要なことがあって、パソコンのHDDにいれてある写真ファイルを見ていました。懐かしい写真がいっぱいありました。
かつて一緒の学校に勤務した五十二郎さんがいます。兄貴的な存在でした。
五十二郎さんは、環境整備をしてくれていました。五十二郎さんと一緒に写っている写真がありました。もともとは建設会社の役員をされていましたが、退職してから故郷に戻ってこられました。
ふるまいも風貌もゼントルマン五十二郎さんです。
わたしが現在、ルーティンにしていることの2つには、五十二郎さんのしていたことがあります。それは、職員室の朝のコーヒーを入れることと、朝のそうじです。
コーヒーは、朝、学校に行くと、
「さあ、コーヒーをいれるよ。」
と一緒に台所に行きます。
コーヒーの粉をドリップに入れていると、
「そりゃ、いれすぎ。これは山盛り4杯でちょうど、おいしくできるんだよね。」
計算しています。コーヒーメーカーが壊れて、家から代替品を持って行くと、
「こりゃ、ちょっと、プラスチックの味がする。」
おっ。こだわる。コーヒー通です。確かに入れてくれたコーヒーはおいしいです。
そしてそれから、2人でそうじに回ります。戻ってきたら、コーヒーが出来上がっています。そうじをしながら、校舎内で壊れたところなどをチェックします。
壊れたところは、大工仕事です。ベニヤ板を買ってきたり、寸法を測って、ホームセンターに行きます。板材を買って、ホームセンターの機械でカットしてもらいます。
そして、学校に戻って、修繕。
数々のものを修繕してきました。かつての学校に行ったときに、その修繕のあとを見ると、五十二郎さんとのあの頃の思い出がよみがえります。ちょっとでも失敗すると、
「まだまだですなあ。」
と突っ込みが入ります。おかげで、トイレの故障の修繕などもできるようになりました。
環境の任期が終わり、辞められてからも学校評議員をしてもらいました。評議員会では一番先に来てくれ、いろいろと会話を楽しみました。
「せんせい、妻の車のタイヤをスタッドレスと交換して、冬の間、タイヤを置いてくれる店を知らないかなあ。もう自分も交換できんしなあ。」
という電話がありました。「???」と思いながらです。
病気であることは知っていたものの、タイヤ交換できないことが「旅立つ」につながることとは思いもよりませんでした。
五二郎さんは、死を予期していたのでしょうか。
奥さまへの思いやりも最後までゼントルマンでした。
五十二郎さんのようにゼントルマンにはなれませんが、五十二郎さんのやっていることの少しだけ継承しています。それが日課となっています。
兄貴と過ごした朝のひととき』
2016年度もあと1日です。ふーっと一息をつきたいところです。
昨日、かつての写真が必要なことがあって、パソコンのHDDにいれてある写真ファイルを見ていました。懐かしい写真がいっぱいありました。
かつて一緒の学校に勤務した五十二郎さんがいます。兄貴的な存在でした。
五十二郎さんは、環境整備をしてくれていました。五十二郎さんと一緒に写っている写真がありました。もともとは建設会社の役員をされていましたが、退職してから故郷に戻ってこられました。
ふるまいも風貌もゼントルマン五十二郎さんです。
わたしが現在、ルーティンにしていることの2つには、五十二郎さんのしていたことがあります。それは、職員室の朝のコーヒーを入れることと、朝のそうじです。
コーヒーは、朝、学校に行くと、
「さあ、コーヒーをいれるよ。」
と一緒に台所に行きます。
コーヒーの粉をドリップに入れていると、
「そりゃ、いれすぎ。これは山盛り4杯でちょうど、おいしくできるんだよね。」
計算しています。コーヒーメーカーが壊れて、家から代替品を持って行くと、
「こりゃ、ちょっと、プラスチックの味がする。」
おっ。こだわる。コーヒー通です。確かに入れてくれたコーヒーはおいしいです。
そしてそれから、2人でそうじに回ります。戻ってきたら、コーヒーが出来上がっています。そうじをしながら、校舎内で壊れたところなどをチェックします。
壊れたところは、大工仕事です。ベニヤ板を買ってきたり、寸法を測って、ホームセンターに行きます。板材を買って、ホームセンターの機械でカットしてもらいます。
そして、学校に戻って、修繕。
数々のものを修繕してきました。かつての学校に行ったときに、その修繕のあとを見ると、五十二郎さんとのあの頃の思い出がよみがえります。ちょっとでも失敗すると、
「まだまだですなあ。」
と突っ込みが入ります。おかげで、トイレの故障の修繕などもできるようになりました。
環境の任期が終わり、辞められてからも学校評議員をしてもらいました。評議員会では一番先に来てくれ、いろいろと会話を楽しみました。
「せんせい、妻の車のタイヤをスタッドレスと交換して、冬の間、タイヤを置いてくれる店を知らないかなあ。もう自分も交換できんしなあ。」
という電話がありました。「???」と思いながらです。
病気であることは知っていたものの、タイヤ交換できないことが「旅立つ」につながることとは思いもよりませんでした。
五二郎さんは、死を予期していたのでしょうか。
奥さまへの思いやりも最後までゼントルマンでした。
五十二郎さんのようにゼントルマンにはなれませんが、五十二郎さんのやっていることの少しだけ継承しています。それが日課となっています。