かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「3つの幸せ~子どもたちから~」

2019年07月31日 | Weblog
7月もあっという間に終わりです。

どんどんと月日が流れていきます。


明日からは令和元年初の8月。
そういうと、何もかもが「はつもの」です。


7月最後の中で嬉しいことがたくさんありました。3つを紹介☆




ひとつめは、生徒の退院の話です。

かつての生徒が思いがけないスポーツ事故で入院をしていました。
「先生、退院しました。」
と電話をくれました。



明るく元気な声で、とてもうれしく感じました。



予測しない事故の中で、苦しい入院生活を送りました。
きっとつらかった時間も多く過ごしたでしょう。
しかし彼の人柄でしょう。多くの友だちや関わってきた人たちが生徒のところにお見舞いに駆けつけています。



お見舞いに行った時も、リハビリ時間であったことと、次のお見舞いのお客さんが来ていたので、会えないままに帰りました。
でも今日、こうして退院ができたことが嬉しく感じました。
電話をありがとう。





ふたつめは、夜、かつての生徒で野球部だったたかしくんから電話がありました。



たかしくんの学年の部員は4人という少ない人数でした。
それでも練習をひっぱっていって、常に優勝候補に挙げられていました。



県大会予選では、後日また書きますが、決勝戦で、優勝をしたと思った瞬間、テレビでも見ることができない劇的な幕切れで敗れました。




その瞬間を今でも忘れることができませんし、わたしにとっても、4人の生徒たちにとっても、下級生にとっても一生忘れることができない思い出と人生の糧になる試合になりました。



この経験がのちの生徒たちの「強さ」にしていったのだと思います。
4人の同級会をするというので、
「先生は何が食べたいですか。」
当日が楽しみです。




みっつめです。
今日の朝、学校に着くと、子どもたちの何人かが、マリーゴールドや百日草などに黙々と水をやっていました。

すごい。


こんな朝早くから学校に来ている。

たぶん、当番なんでしょう。でも本当にその姿に感動。
 



子どもたちも、勤務校では、地区でラジオ体操もありません。地区の子ども会そのものもないのではないかと思います。



ちょっと前までは、夏休み前になると、地区のこども会があって、
「どこでラジオ体操をするのか。」
「だれが、ラジカセをもってくるのか。」
「地区の中で、危険な場所はないのか。」


などを話し合っていましたが、それも社会のあらゆる変化の中で、消えてしまっています。



でもこうして、子どもたちが、自分たちで決めた水やりを、責任をもってやりとげていることは素晴らしいと思いました。
 


いろんな幸せを子どもたちからもらうことができた一日でした。
 




明日から8月。子どもたちの夏休みも真っ盛りです。


「INORI・・・海をわたった折り鶴から」

2019年07月30日 | 大分県
今日は、学校で「平和を願う日」のクラスでの授業の流れを考えてみました。


その前に、教材になる、「海をわたった折り鶴」の絵本を探しました。
1冊はありますが、2クラスあるので、もう1冊と思い、図書館司書のもりた先生に尋ねました。
「図書室にあるかも。」
すぐに行って持ってきてくれました。感謝です。
 




1時間の授業にすれば、長い文章です。読んだらどれくらいかかるのかも考えながら、声を出して読んでみました。


佐々木禎子さんの話です。


胸にこみあげてくるものがありました。
 




原爆が落とされ、白血病との闘いを強いられます。病気の回復・平和への願いを込めながら鶴を折っていきます。



目標とした千羽には届きませんでしたが、禎子さんの思いを大切にしながら、禎子さんの仲間が募金活動を展開して、広島平和公園に原爆の子の像を建てました。
 




中学校勤務時代の修学旅行で、原爆の子の像の前で集会を持ってきました。
今日の写真は、修学旅行のときのものです。


事前に生徒たちに禎子さんの話をしたこともあります。


生徒たちと戦争の悲惨さと平和を大切にしていくことの思いを共有していきました。
そんな思い出もよみがえってきます。
 



2001年ニューヨーク同時多発テロ事件がおきて、何千人もの人が亡くなり、多数の負傷者を出しました。



禎子さんの思いとは反する事件です。
禎子さんの折った赤い折り鶴をニューヨークに寄贈しています。
 



人を殺しての平和はないと思います。
しかし、それでも今もなお、世界各地では戦争、テロが起こり、多くの人の命を奪っています。


禎子さんの願いである、人が優しくあたたかい手でつながり合う日はいつ訪れるのでしょうか。
 


禎子さんの甥である佐々木祐滋さんが禎子さんの思いが薄れないように、「INORI」という歌を作っています。下の動画は、佐々木祐滋さんです。

聴いてみて下さいね。

「INORI」 佐々木祐滋

 
 

♪別れがくると知っていたけど 本当の気持ち言えなかった
色とりどりの折りづるたちに こっそり話しかけてました
愛する人たちのやさしさ 見るものすべて愛おしかった
もう少しだけでいいから 皆のそばにいさせて下さい

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした


折り鶴を三羽折るたび 辛さがこみ上げてきました
だけど千羽にとどけば暖かい家にまた戻れる
願いは必ずかなうと信じて折り続けました
だけど、涙が止まらない 近づく別れを肌で感じていたから


泣いて泣いて泣き疲れて 折り鶴にいつも励まされて
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした



別れがきたと感じます だから最後に伝えたい
本当に本当にありがとう 私はずっとしあわせでした


めぐりめぐり行く季節をこえて 今でも今でも祈っている
二度と二度とつらい思いは 誰にもしてほしくない
誰にもして欲しくはない♫


「写真の整理~時が流れて~」

2019年07月29日 | 大分県
数年の間、写真を編集してアルバムにしています。

学校のこと、家庭のこと・・・アルバムを見れば、いつ何があったかすぐにわかるようになっています。
 



パソコンの中では整理していますが、それではなかなか見る機会はありません。


いつまでできるかわかりませんが、「かったか写真史」「時代史」です。
 


しかし、昨年度のものは、パソコン上では整理できていますが、アルバムにはなっていません。

家を来訪した人は、
「あら、なくなっているね。途切れているね。」
と言われます。
 



昨年の写真をまとめていっている途中です。



写真を見ながら、いろんな思い出が蘇ります。


行った先々の風景も懐かしいです。
 



夏に時間があるときに、少しずつ、まとめて記憶を呼び起こしましょう。


もし、「あの頃の写真がないですか。」という人がいましたら、連絡下さいね。

「いざ、ドームへ」

2019年07月28日 | 大分県
「鷹の祭典」も最終日。
所属している山陽クラブの野球メンバーでヤフオクドームに行きました。
 


乗った車は、くぼさんの運転で、かつての教えた生徒のK太郎&H之の決して乗ってはいけない??人たちが同乗でした・・・。
 



また10月には大会があるので、8月から練習が始まります。

練習前のコミュニティの場です。
至れり尽くせりで先輩のなかのさんが席・食事など何もかも準備をしてくれています。


VIPルーム席です。高級感十分です。
 


満員のドームでした。
 


試合展開は、これまた久しぶりホークスがホームラン攻勢などで余裕の盛り上がりを見せます。
 



あとは試合後は光や花火・音楽のページェントでドームが一体となったショーとなりました。


今日は負けても行うということでしたが、勝利をあげてのショーなので、盛り上がりも最高潮となりました。
 



8月からは、またこのまとまりで野球の練習に頑張りましょう。

「夏も盛り上がり」

2019年07月27日 | 大分県
夏も本格的になってきています。


暑い夏がやってきました。
今まで雨の多い梅雨だったので、なんとなくうれしく感じます。
 



昨日の夜は、かつての仲間の夏の集まり、今日は、子どもの夏祭り・・と夏の盛り上がりがありました。
 



ちょっとだけ夏を楽しみましょう。



暑いので少し「涼」の写真を。

「梅雨が明けての研修」

2019年07月25日 | 大分県
昨日の学校の帰りに先日、結婚式をあげたみかちゃんの家に寄りました。


みかちゃんは、新婚旅行に行っていませんでした。


旅行地も天気がよいそうで、よかった、よかった。


お家の方と話をしていると、思いがけない言葉がでてきました。
みかちゃんのおばあちゃんと、わたしの母の妹、つまりおばが同級生だということを知りました。


いろいろと人はつながっていきます。
おばに電話をしました。


母も他界していて、おばが元気であることが嬉しく思います。
 



遠方に住んでいるおばとは久しぶりに話をしました。



ついこの間、おばのお孫さんも結婚式をあげています。
「おめでとうございます。」
と言うと、
「はい、見事に大学に受かりました・・・。」


おばさんのこのジョーク的な会話ができることがすごい。



「大学生活を楽しんで下さいね・・・いやいや、結婚おめでとうございますです。」
同級生の話もしました。おばも思い出をたどっていってくれました。



わずかな時間でしたが、いい時間をもらいました。
 




今日も昨日に続いて会議や研修が行われました。
子どもたちが見えないところで、2学期の準備や子どもたちに関わる研修などをしています。
 



今日もその中で、情報教育と防災教育、食物アレルギーの研修がありました。
 



防災教育では、校区内の地図を見ながら川の位置、水路の様子などを見ていきました。



中津の市街地はこれまで大きな災害を受けていません。

でも今後災害を受けないということはありません。



大雨のときのニュースでは、市街地全体が水に浸かっている凄まじい光景を目にします。



中津の市街地でも十分可能性はあります。



今までに災害がおこっていないだけに、子どもたちが学校にいるときに、どこに避難するのか、どういう形で引き渡しをしていくのか、5段階の大雨警報レベルのどのレベルでどんな対応をしていくのか、まだまだシュミレーションが欠けているような気がします。



想定外が起きる中で、まずは、想定内の防災の確立をしていかなければなりません。


2012年、2017年の中津市の山間部での災害は、今まで自分が生きている中でおこったことはありませんでした。



今後、山間部は気候変動、自然環境の変化の中で、災害が毎年のように起こるようになってくる中で、次は市街地にも広がることもあり得ます。
 




2012年には、水路が川となり、我が家も襲われました。



市街地には網の目状に水路が通っています。



勤務先のグランドの下も川が通っています。



判断の誤りが一瞬にして人の命を落とすことにもなります。



今の気候や地震も含めた自然の猛威から今後もこのような研修を継続的に積んでいくことは不可欠です。


そしてより強固な危機管理体制をつくり上げていかなければなりません。
そのための充実した時間となりました。
 



食物アレルギーの研修会も続いて行われました。


養護の先生が講師になって、食物アレルギーがおこった際の先生方と具体的な対応の仕方を共有していきました。
意義のあるものでした。
 


人が集まるということは、そこには事故が発生する可能性があります。
今日は、研修によって、事故における対応・対策の幅を広げていきました。
 


そんな中で、梅雨が明けていきました。

「幸せをもたらせてくれるもの」

2019年07月24日 | 大分県
今日は、父の誕生日。幼い頃は、家族はみんな夏生まれだったので、この夏の季節は、家族も賑わいを見せていました。


しかし、もう他界していますので、仏壇にお参りをしました。
「孝行したいときに親はなし」
といいますが、親だけではなくふだんから人との関わりを大切にしていくことを心がけていくことが大切であると思います。
が・・・。努力したいものです。



写真は、今日の畑の栗の実と夏の夕方の空です。
今日は梅雨明けとなっています。

 



年度末、退職。


そして、2,3日後には、転任。職種の違い、校種の違い、新しい職場、会議、新しい子どもたちとの出逢い。


息つく暇がなく時が流れていきました。



学期末は久しぶりの仕事も多く、慌ただしいというもんではありませんでした。
なんとか1学期終業式を迎えることができました。
 



夏休みも会議などが入っていますが、それでも時間の流れは一気にスローになりました。
時間に追われる中での、退職して初めての経験です。
 



わたしなりには、退職したら、今の職業に就きたいとずっと思っていました。
しかし、子どもたちが休みに入り、時間がちょっとスローになって、自分を振り返る時間ができたときに、
「子どもたちや周りにめいわくをかけていないだろうか。」
などなど、充実感はありますが、昨日は、いろいろちょっと「ブルーぽく」考えていました。




「強気のかったかちゃんもそんなこと考えるんやな。」
はい、一瞬でも強気から弱気に変化する時もあります。
考えることもあるんですよ。
 



夕方のことです。


本当に思いと偶然、帰ってから、宅急便を通じて、お菓子の届け物がありました。


見ると、かつての十数年前に教えた子どものお父さんからです。
退職のお祝いのお菓子です。
お菓子の箱には、懐かしいお家の方の名前です。
 


こうしてつながりを持ってくれていることがとてもうれしく感じます。
 


小包に言葉を添えた付箋紙が貼られていました。
優しいお父さんの言葉を読んでいきました。
 



嬉しさがこみあげてきました。
 


感謝です。




偶然にもちょっとブルーだった「かったか」の心にエールを送ってもらうことができました。



「幸せの黄色いハンカチ」ではなく「心」となりました。



冒頭の話ではありませんが、人を大切にしていく心配りの中で、かつての子どものお父さんの姿に学ばせてもらいました。
また「明日から頑張ろう☆」という元気ももらうことができました。


「一つの花から」

2019年07月23日 | 大分県
国語の教材の中に「一つの花」があります。
子どもたちは、この物語からいろんなことを感じて学んでいきます。
 



戦争中に配給されるわずかな食料で生きていく中で、もっと欲しがったゆみ子に、少しでもゆみ子に満たしてあげたいお母さんが自分の分から、
「一つだけ。」
と言って、分け与えます。


それで、いつしかゆみ子も、
「一つだけ。」
という口ぐせを覚えます。
 



お父さん、お母さんのゆみ子を大切に思う気持ちがあふれた作品です。
 



授業では、子どもたちなりに一生懸命に、ゆみ子のお父さん、お母さん、そしてゆみ子の気持ちを考えていきました。
 




戦地に行くお父さんを見送りに行くときに、お母さんは、お父さんにゆみ子の泣き顔を見せたくないと、おにぎりをみんなゆみ子に食べさせます。
何も与えるものがない中で、お父さんはゆみ子に一つの花を渡します。
その花を見つめながら、汽車に乗って行ってしまいます。



「お父さんと思って、この花を育てて欲しいのかなあ。」
という子どもから意見が出ました。



「一つの花しかあげられない。でも命を大切にして欲しいと思っていると思います。」
一つの花・・・一つの命なのでしょうか。




それから10年。お父さんも帰ってきていません。


ゆみ子も優しく包んでくれたお父さんの顔を覚えていません。
ゆみ子がお父さんがいたことも覚えていません。
 
せつない時代の流れです。



しかし、時代は戦争が終わっています。



一つだけの花は、時とともに、庭いっぱいに咲き誇っています。

「一つだけのおにぎり」

「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。」
と言いながら、ゆみ子はお昼ご飯を作ります。



「ゆみ子は幸せになっちょるね。」
と子どもたち。
 



一つの花がいつしかたくさんの花に囲まれ、「一つだけ」のものが「多くの幸せ」が降り注いでいます。


お父さんは帰って来ることはないと思いますが、お父さんの花に託された願いは叶えられたのでしょう。
 



すでに作者の今西祐行さんは他界されています。



かつて、今西さんの講演会に行ったことがあります。



その中で、「すみれ島」の話を聴きました。

短いのですが、この物語も心が揺さぶられます。
一生懸命に講演会の後で「すみれ島」の話の本を探しました。 
 



今西祐行さんは、戦争の悲惨さをやわらかい繊細なタッチで描きます。

一つの花を学習するとき、かつて、「すみれ島」で劇を作ったりしたことが懐かしく思い出されます。
 



夏・・・8月6日、9日、15日など平和を考える歴史的な日が訪れます。
ちょっと立ち止まって「平和」について考えたいものです。



『すみれ島』
  今西 祐行文 
  
九州の南の端に近い海辺に
小さな学校があった。


昭和二十年、春のこと、
いつからかまいにちのように、
日の丸をつけた飛行機が、
学校のま上を飛ぶようになった。



生徒たちは そのたび、
バンザイをさけんで、手をふった。
すると、飛行機は、
まるでそんな声が
きこえたかのように、
ゆっくりつばさをふって、
海のむこうへ飛びさった。



先生たちは知っていた。
それが、
かた道だけの燃料しか持たないで、
ばくだんとともに
てきの軍艦に突入する
特攻機であることを。
そして、最後のサヨナラ
をしていることを。



だが、子どもたちは、 
飛行機が、なんども
学校に飛んできているのだ
とばかり思ってよろこんでいた。



そして、手紙や絵をかいて、
航空隊におくってもらった。
「飛行機からぼくたちが見えますか。
こんどは、もっと大きく
つばさをふってください。」
手紙にはそんなことを
いっぱいかいた。
手紙をだしてから、
飛行機はほんとうに、つばさを
大きくふってくれるように思えた。




手紙や絵もかきあきたころ、
ひとりの女の子がいいだして
すみれの花たばを
おくることにした。


みんなでつんで、いくつものはなたばにして、
代表が先生といっしょに、とおくの航空隊までとどけにいった。



するといく日かして学校に手紙がきた。





「すみれの花を たくさんありがとう。
ゆうべは とてもたのしい夜でした。
ぼくは 小さいとき、よく
すみれの花で、すもうをしました。
みなさんは知っていますか。




すみれのことを、ぼくたちは、
<すもうとり草>とよんでいました。
すみれの花をからませて、
引っぱりっこをすると、
どちらかの花が、ちぎれます。
ちぎれたほうが、まけです。




きのう、たくさんのすみれをいただいたので、
みんなで それをやりました。
せっかくもらった花を、ちぎってしまって、
わるいなと思いながら、
花がなくなるまでやりました。




毛布の中を
花だらけにしたまま
ねてしまいました。

かすかに、
いいにおいがしました。

今、出撃の号令がかかりました。
みなさん、ありがとう。
ゆうべはほんとうにたのしい夜でした。
いつまでもお元気で。サヨーナラ。」



先生は、声をつまらせて読み終えると、




「このお手紙をくれたかたは、
もう、南の島で、戦死しているのですよ。
もう、いらっしゃらないのよ・・・・・・」
そういって、生徒のまえで泣いた。
そして、先生は、はじめて
特攻機のことを、くわしく話した。




その日から、子どもたちは、
野原にすみれの花がなくなるまで、
花たばをつくって、
おくりつづけたのであった。



いく機の特攻機が
子どもたちのすみれを持って
南の海にちっていったことだろう。




そんな特攻機のいくつかは
とちゅうで、こしょうして、
だれも知られずに
海や島についらくしていた。



戦争がおわって、
いく年かがすぎた。
南の島の無人島の一つに、
いつからか、いちめんに
すみれの花が さくようになった。



子どもたちのおくった、
すみれの花たばに、
たねもまじっていたのだろうか。



海べの人たちは、
名まえのなかったその島のことを、
<すみれ島>
とよんでいる。

「子どもたちのいない学校~夏休み~」

2019年07月22日 | 大分県
子どもたちにとっては、夏休みが始まりました。


今日は、勤務時間には間に合うようにですが、いつもよりちょっと遅めに家を出ました。
時間帯をちょっとずらすと、すれ違う車も日頃とは違います。
 


昼からの厚生活動でお会いしたR先生と
「今日、めずらしくすれ違いましたね。」
と話をしました。
 



学校では、午前中は、子どもたちがプールに子ども会で泳ぎに来ていました。


今まで、中学校にいたので、懐かしい感覚です。


でも子どもたちのいない教室はとても静かです。
忘れ物を取りに来た子どもと一緒に教室に上がって行きました。
「誰もいないね~~。」
たしかに。
 



つわものどもがいない校舎は本当に静かでちょっと寂しさがあります。
 



忘れ物の対応、1学期の授業時数の集計などをしながら、午前中の時間を過ごしました。


授業時数の集計も懐かしい。今はパソコンです。
これは便利です。


子どもたちは、「あそぼう~~。」とか、「それ2時間する?」などいろいろ言います。
気持ちは十分にわかります~。


標準の時数が決まっているので、10連休などの祝日や行事などで欠けた授業もバランスよくどこかで取り戻していかなければなりません。


そして集計に反映していきます。


授業をするだけならいいのですが、こういった時数をカウントして、標準時数に合わせていくのがまたひとやまあります。
子どもたちがいないときに、授業時数などほかにも種々の集計などがあります。


ぼちぼちと頑張りましょう。
 



終業式では、これもまた久しぶりに通知表を渡しました。
一人ひとりの顔を思い浮かべながら悪戦苦闘しながら作成をしていきました。
 



子どもたちにとって、どんな夏休みになるのでしょうか。
事故や事件に巻き込まれることのない休みにして欲しいと願っています。

「幸せを感じた一日」

2019年07月21日 | 大分県
昨日は、かつての生徒のみかさんの結婚式でした。


幼い頃は、よくおにいさんの野球の練習や試合の応援に来てくれていました。


日田で勤務して、縁があって、また同じ学校に戻ってきたときに、みかさんは、中学校に入学して、そしてもう3年生になっていました。
成長の早さに驚かされたことを思い出されます。
 


それから、高校・短大と進学して、今は中学校時代からの夢であった幼稚園教諭として、子どもたちとの関わりを大切にして、教壇に立っています。
 



ここにも縁があって、今私が受け持っている子どもたちの何人かが、幼稚園の時に、みかさんに受け持たれています。
不思議なつながりです。



教員をしていていつも思うことは、その時は、子どもたちを教える側です。


しかし、時間が経過する中で、子どもたちは確実に成長をしていきます。
そしていつかはわたしたちを追い越していきます。それどころか、どこかでお世話になることも多いです。


それは、教員をしていて、幸せなことでもあります。
そのことをいつも心に留めて子どもたちに接していかなければなりません。

成長した子どもたちに助けてもらうことが多くあります。
 



そして何より昨日は、みかさんの新しい家庭のスタートです。
結婚式・結婚披露宴と海の見える国東のホテルで行われました。


「サマーウェディング」です。



お相手の方は、明るく元気な方です。家に一度来てくれた時も初対面を感じさせない気さくさがありました。



いろいろと楽しく会話を弾ませました。


披露宴でもみんなをあたたかく包んでいきました。


そこにみかさんのいっぱいの優しさも入り込んだ幸せな家庭となります。




結婚の新聞を作って持って行きました。
 



いろんな形で参加した人たちから祝福されていました。
また男二人きょうだいもカメラマンとしてみかさんを支えていました。



いろんな場面で感慨深いものがありました。
 



これから、素敵な家庭を築いていって欲しいと思います。
 



そして、家に戻って、ちょっとだけ、横になって、今度は地区のお祭り・祇園です。



朝から準備、昼から御神幸、イベントが行われていました。
遅ればせながらの参加です。
 



大雨の予報がされていました。
雨の中でのお祭りです。



イベントは境内で行う予定でしたが、雨のために、隣接したドームのゲートボール場で開催しました。



10年ぶりの雨でのドーム利用です。
ドームがあるのは、便利がいいです。
 



雨の中でしたが、にぎやかにイベントが行われていました。


地区を盛り上げる夏のお祭りです。



特に5万円が当たる抽選会(うそかえ)もあるので、抽選券を握りしめてのイベントです。
 



2回目の抽選券の販売、抽選会などを担当しました。
かつての生徒たちもたくさん来ていました。



久しぶりの再会でした。


わずかな期間の中で、生徒たちの体もぐんと大きくなって頼もしさを感じることができました。
県総体に出る生徒もいます。
最後の調整となっている話なども聞くことができました。
頑張って欲しいと思います。 
 



災害などが多くなったふるさとですが、この日はいい盛り上がりを見せました。
 




イベントやお神楽などが終わり、あとはみんなで雨に打たれながら片づけをしました。
 



本格的な夏が始まりますが、お祭りの夏は終わりました。
 




幸せな空気、にぎやかな空間を感じながら、あっという間に一日が終わりました。


「期末整理もまずはひとだんらく」

2019年07月18日 | 大分県
6時間目は、図工でした。


まだ絵が仕上がっていない子どもがぎりぎりまで取り組んでいました。



すると、突然の雷雨。
「先生、こわいよぉ。」
の声も。
 



迎えに来られる家の人には迎えに来てもらいました。


ちょうど、下校時間帯だったので、ちょっと緊張する時間となりました。
事故がなくてほっとひと安心しました。
 



子どもがやってきて、「パパ・・・。」
おいおい・・完全に言葉を間違えている・・・
「あなたのパパになっていいよ。」
 ※「しらんわ。」


何とも言えないかわいらしさがありました。
違う子どもがちゃんとフォローを入れます。
 ※「あなたは、パパではなく、じいです。じい、じい、おじいさま~~。」
「しらんわ。」
 



明日が終業式です。この雨も、夏休みに入ると同時に止むような予報が出ています。
その時に梅雨明けということだそうです。
 



やっと夏休みはいる前の期末整理もほぼ終わりました。


以前も書いたように、前、担任していた時は、通知表などはすべて手書きでしたが、今は、パソコン入力です。


出席簿なども同じです。

このソフトに慣れるまでと、入力などにひと奮闘しました。


かったか日々悪戦苦闘の連続でした。


成績・所見など入力は、初体験です。
テストなどの結果を入力しておかなければなりませんが、しっかりパソコンに振り回されました。



どうにかこうにか終わることができました。
 


授業も一区切りをつけなければなりません。



学期末、配布物が無茶苦茶多いです。
すべて配り終わるのに1時間かかるほどのものがありました。
 



まずは、期末整理もひとだんらくして、明日は、1学期終業式を迎えます。














「楽しむ時間を創ろう」

2019年07月16日 | 大分県
なんとなく月曜日・・・といったような朝でしたが、3連休のあと、火曜日を迎えました。


今日も朝から暑い。
学校の駐車場から職員室に向かう日日草やマリーゴールドがとてもきれいに咲いているのを目にしました。



暑い中でもきれいに花を咲かせている強いエネルギーを持っています。 
 



今度の金曜日が1学期の終業式です。



学習の追い込み、テスト、採点、各種アンケートなどの調査類、期末整理、夏休みの学習課題の整理、作品展の制作・・・することが山のような溢れるような・・・しなければならないたくさんのことがあります。


しっかりスケジュール化をしていなければこなしていけません。




今は、通知表もコンピュータ入力です。


成績を管理しているのは、学校のパソコンですので、家では入力できません。
ふだんは、授業がたっぷり詰まっているので、入力できるのは、子どもたちが帰った放課後か、休日のときしかありません。
 



一見効率的なパソコン仕様でできる通知表ですが、働き方改革とは逆行しています。
 



7月13日付の大分合同新聞の夕刊の一面に、「先生も夏休み取って」とありますが、行事や研修も思い切って減らしていないので、今は、学校の閉庁日を導入してもその分、他の日に出張などが回るので、かえって休みもとりづらくなるのが現状です。




学校閉庁日も、名前はいいのですが、教員は年休か夏季休暇で対応するので、年休や夏季休暇をほかの日に取得するのが難しくなります。


さらに子どもたちの夏休みが短縮になった分、行事や研修が夏休みの中に滑り込んでいくのが現状です。
 



他の事業所も同様だと思います。
現在、楽な事業所はないと思います。


断片的でなく総合的に休みを改善していかなければ、特に若い人たちは、働きにくい社会になっていくのではないかと思います。
 



とは言っても、自らも「過ごす時間の楽しさ」が「追われているもの」を上回るような生活スタイルを創っていきたいですね。