昔々、大学1年生のときのお話です。教養科目としての哲学の第1回目の講義のことです。先生が、教壇の机をつかむようにして言いました。
「皆さんは、これが机だと思っているでしょう。しかし、これは本当に机だろうか? 机だと思い込んでいるだけではないのか? 机のように見えているだけではないのか? ……こんなことを考えるのが哲学なんです」
誰が見たって、講義用の机だ。それを疑ってみる。ふうん、これが大学なんや。高校の勉強とは違う。とても新鮮で印象深く、何十年たった今でも覚えているわけです。
もう一つ、末川博総長のお話。軍国主義に抵抗して京大法学部の教職を追放されたということで、当時既に、伝説的な彩りのある先生でした。関関同立の法学部を選ぶ上で、末川総長がいるからという理由で立命館を選んだ学生がたくさんおりました。私もその一人です。
末川総長は小柄な先生でしたが、講話はゆったりとした大きな声で迫力があった。講話で学生に語りかけるとき、「皆さんは」と呼びかけるのでなく、常に「諸君は」「諸君らは」と語りかけました。末川総長が「きょうから紳士として扱う」と話されたことを覚えているから、たぶん入学式のことだったと思います。そして話の語尾が「……しています」ではなく、「……しておる」でした。
「諸君は」「……と考えておる」というような言葉使いに感動したものです。高校の先生とは違う。ふうん、これが大学なんや。