2006年7月28日、朝日新聞(大阪本社)読者投稿欄「声」から、和歌山県の・本多さん(男性92)の投稿文を転載します。
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A級戦犯の靖国神社合祀に昭和天皇が不快感を示していたとのメモが報道され、話題になっている。
そもそも靖国神社とはそれほど社会的意味を持つのか。国のために死んだというが、全国の空襲で死んだ市民も旧満州の野に果てた乳児も皆、国のために死んだ。軍服を着た者だけが国のために戦ったわけではない。近代の戦争は総力戦だと国が言ったではないか。
戦時中、日本人は皆、死に物狂いだった。当時の植民地だった朝鮮、台湾の人々もそれに巻き込まれた。
私も軍服を着せられ、友を失った。しかし戦友は靖国にはいないと思っている。戦争にかり出されて殺された者が、殺したやつらと同じ屋根の下にいられるはずはない。彼らは皆、故郷の自分の家の墓に戻っている。会いたければそこに詣でればよい。私は3人の亡き戦友の墓に詣でた。
天皇がA級戦犯をどう思おうと問題ではない。昭和天皇自身の戦争責任を忘れ去るのはまだ早い。人間の道義に時効はない。