川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

吉野山桜見行

2009-04-06 18:49:00 | Weblog


今朝は起きてみるとむやみに体の調子がよかった。外は暖かい。日照りもいい。急に、吉野山へ桜見に行こうと思い立ちました。でも、桜の季節に吉野山に近づくのは厳禁です。途中の道の渋滞がひどすぎます。問い合わせてみると、きょうはウィークデーで心配いりませんと言う。

午前11時ごろに家を出ました。橿原~桜井から明日香に入り、村の奥から山中を縫って上市駅近くの吉野川に出ました。吉野大橋を渡ってから吉野山周辺は車が多くなりましたが、混んでいるというほどではありません。それでも観光バスが多く、関西方面のほかに、千葉ナンバー、群馬ナンバーを見かけました。

吉野山の桜は山桜。花盛りはまだだった。そのおかげで車は混んでいなかった。しかし、金峯山寺蔵王堂の門前道は人並みでいっぱい。着いたのが午後1時前だったせいか、食事のできる店はどこも満席でした。私も一つの店に入って天丼を食べましたが、それはそれはひどかった。

帰り道は、吉野山の裏手の山中を縫って黒滝村に出ました。道の駅で休憩。ぜんざいを食べました。やたらに明るく愛想良く好感の持てる、しかし毛を染めて厚化粧の老女に近い店員さんが、「おいしいですか」と聞いてくれました。「ええ」と笑顔で応えましたが、実はおいしくなかった。

もう数年ぶりか、十年ぶりか覚えていないけれど、ずいぶん久しぶりに山林ドライブに行ってきました。桧林の中、狭い道を曲がりくねり、峠に向かってどんどん上り、そしてまた曲がりくねって下る。そしてずっと、小さな川が道に連れ添っている。そんな大好きな道を走ってきました。

そんな山中の道で、赤の大きいスポーツカーと行き違いました。大きいスポーツカーでこんな山奥の道を走ってくるのは、これまで一度も見たことがありません。地上高の低い車で走るような道ではないんです。幅も狭い。私はきょう、ダイハツミラで走っていました。しかし、そのレッドスポーツは手馴れたようすで走り去って行きました。

黒滝村を走っていて、たくさんのソメイヨシノに出会いました。満開でした。大和川域から吉野川域までの平野部でも次々に桜並木を通り過ぎました。どこを走りすぎても、ソメイヨシノは満開でした。ほんとに桜を堪能しました。フィトンチッドも久しぶりに浴びてきました。満足!


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新聞書評:「砕かれた神」 渡辺清著、岩波現代文庫

2009-04-06 03:39:16 | Weblog


新聞書評の古い切り抜きが出てきました。評者は斉藤貴男(ジャーナリスト)さんです。日付も掲載紙名もわかりません。以下は、その書評の転記です。


先の戦争に限りないロマンを抱かされた元少年兵の終戦後日記「砕かれた神」が改めて、読み継がれなければならない。激戦からの奇跡的な生還を果たした著者が、自らや戦友たちを死に駆り立てた〝現人神〟が自決もせず、「出てこいニミッツ、マッカーサー」の片方と仲良く、まるで従者のように写っている写真を見せつけられた時の思いはいかばかりだったか。

<とにかく偉い人ほど他人にむかって道義の大事を説くが、それがいざ自分のことになると、その不感症ぶりは、まさに白痴にひとしい。(中略) わけても天皇のあり方は、「天皇さえ責任者としての責任をとらせずにすまされるのだから、われわれは何をやっても責任なんてとる必要はない」というようなおそるべき道義のすたれをもたらすのではないか>

慧眼どおりの成り行きを、私たちは今、これでもかとばかり思い知らされている。この国の何もかもは、〝偉い人〟たちの二世、三世の国内権力の私物化と引き換えに、かつての敵国に売り渡されていた。

建築基準法や商法の〝改正〟も一連の法制度改革も、いわゆる構造改革のすべては、九四年以降のアメリカ政府が毎年突きつけてくる「年次改革要望書」の中身そのままだ。これほどの事実が、しかし、実はまったく報じられてこなかった。


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