昔、わたしはオリベッティのレッテラブラックというトラベラースタイプの英文タイプライターを愛用していました。
英文タイプに慣れますと、ふつうに日本字を手で書くのが面倒になります。なんで日本語はこんなに不自由なんだ、と嘆いておりました。
そんな若いころ、現代の「メール時代」以前のことで、ごく親しい友だちとの通信に英文タイプローマ字書きハガキを送っていた時期がありました。これが不評。「読めない」「こんなもの送るな」という苦情が返ってきました。
参ったなあ、いいアイデアだと思ったんだけど。東京弁でそう思っているうちに、いろいろな通知書の宛名がカタカナ表記で送られてくることに気がつきました。
Windows98パソコンが普及する前の短年月はワープロ専用機が普及していて、そのまた前には「カタカナ打ち宛名」が使われていました。
カタカナ書きも読みづらいけれど、アルファベットのローマ字書きよりはましだ。そう思いましたが、英文タイプのように簡単に打てる、カタカナタイプライターを見たことがありません。一般用に売っているのかどうかさえわかりません。
そうこうしているうちに、ブラザーがカタカナのポータブルタイプライターを売り出しました。同じ価格でひらがなのタイプライターを受注販売していることもわかりました。短文をカタカナ分かち書き平文で書き、同じ短文をひらがな分かち書き平文で書いて、見比べてみました。結果、わたしはひらがなタイプライターを注文しました。
それからは、ブラザーのポータブルタイプライターを使って、ひらがなわかち書きの横書きでハガキを書きました。ひらがな打ちで日本語を書けることがうれしかった。受け取る側はあいかわらず不便だったでしょうが、ハガキの分量くらいなら、がまんできる範囲だったことと思います。アルファベットのローマ字書きのときのように、拒否反応が返ってくることはなかった。
ひらがなのわかち書きをしてみて、これは日本語文化を変える威力があるなと思いました。
「感じ」「漢字」「幹事」など、ひらがなでは「かんじ」です。顔をあわせて話しているときには、耳で「かんじ」と聞くだけで、この区別がつきます。これは前後の話のつながりでおたがいに理解しあえているわけです。なんの問題もありません。しかし、書く、読むということになりますと、次のような感じになります。わかち書きは我流です。
<堀辰雄「風立ちぬ」から> 初出1936年(昭和11年)
砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。
すなのようなくもが そらをさらさらと ながれていた。そのときふいに どこからともなく かぜがたった。
<「毎日新聞 2010年9月30日 13時11分」記事から>
与野党は30日昼の衆院予算委員会の理事会で、中国漁船の衝突事件の状況を撮影したビデオを提出するよう政府に求めることで合意した。政府は応じる方向だ。
よやとうは 30にちひるの しゅういんよさんいいんかいの りじかいで、ちゅうごくぎょせんの しょうとつじけんのじょうきょうを さつえいしたびでおを ていしゅつするよう せいふにもとめることで ごういした。せいふは おうじるほうこうだ。
‥‥いかがでしょうか。小説「風立ちぬ」の初出は1936年、それに対して毎日新聞記事は2010年です。特にひらがなタテ書きにして見ることで、文章について何かを感じ取ることができるでしょう。