市川海老蔵事件は酒乱の上の暴力事件です。まだまだ、いろいろな裏の広がりがありそうな感があります。彼は厳しい社会的制裁を受けて、降格された立場から再スタートする必要があるでしょう。伝統芸能の担い手である社会人として論外の行為です。
事件は、海老蔵が「酒乱」であることを示しています。私が実体験で見聞きしてきた限りでは、酒乱はなおりません。禁酒以外に方法がなく、酒乱の人にとって禁酒がまた難しい。
海老蔵事件では「師匠」ということばがよく出てきます。幼くして師匠である親から厳しい芸の訓練を受ける、というのです。しかし、これを「師弟」と表現することはまちがいだと私は考えます。実態は、伝統芸能の親子継承という関係で、「芸能無形資産の相続継承」という関係でしょう。一言で言えば「芸能相続」です。
しかし、このことで師匠→手本と連想がつながって、思い出したことがあります。
十数年ばかり前のことです。私は当時、小さな会社の専務をしておりました。ある夜、大企業の幹部社員と社長と3人で会食をする機会がありました。その方は取締役○○部長として東京へ栄転することが決まっていました。栄転でビジネス関係が切れます。そうなれば会う機会もまずありません。
かの人の年齢は当時、四十代後半。東大卒のエリートです。まだ二十代が終わらぬころに、社長の秘書を務めたという経歴がありました。
招待する側の私たち2人は、約束の時間よりわずか2、3分前に料亭の部屋に着きました。案内係の女性が両膝をついて、「お着きになりました」と声をかけてふすまを開けました。私たちは立ったままで入りかけて驚きました。恐縮しました。
かの幹部社員が、ふすまの内側でふすまと並行して入室者が足を踏み入れるのに邪魔にならぬ位置で、正座で両手をついて頭を下げて出迎えてくれたのです。「このたびはこのような心配りをいただきまして、ほんとうにありがとうございます」。幹部社員はこういった意味のあいさつをしたと記憶しています。
招待した側の社長が腰を折って答礼をしつつ、先に席についていただくよう促しました。私は入りかけた身を一歩引いて後退し、部屋の外側で神妙にそのやりとりを見守って控えておりました。そして客が着席し、社長が対面して着席し、私は社長に並んで着席しました。料理や酒が運ばれ、芸者がお酌をして、おたがいに気持ちのよい酒食の席になりました。
それは、その方のほかにはない人柄のせいかもしれません。なにしろ飾らない謙虚な方でしたから。そのとき、私は「大企業のエリートはこうして育つのか」と感心しました。若いときから厳しい先輩について学びつづけていくことに感じ入りました。
私は京都で育ちまして、紋入れ職人や手描き友禅職人の生活を身近に見ました。師匠と弟子の関係からスタートして、やがて独立した職人になります。サラリーマンであれ、職人であれ、芸能人であれ、どのような立場にあっても、若い時代から誰かを手本と定めて精進を重ねていけば、人生の苦難を乗り越えていけるでしょう。そしてその人がまた、次の世代の手本になり得るよう、さらにさらに精進をつづけていかねばなりません。
ただ、職業などを通じての手本(師匠)と人生の手本(師匠)と二手必要なのかもしれませんけれど。