川本ちょっとメモ

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素直に見て憲法違反! 2014年7月1日閣議決定 集団的自衛権について

2014-08-04 11:10:37 | Weblog



前稿を改稿して入れ替えます。

2014年7月1日閣議決定全文のうち、「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置」を下に記載して、私の注釈を入れます。


国の存立を全うし、国民を守るための切れ目
のない安全保障法制の整備について

3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置


<閣議決定本文>
(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、① 政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。② したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

<注釈>
① → 政府による憲法解釈の二要件(論理的整合性、法的安定性)を確認。
② → 憲法9条解釈の従来政府解釈の論理的枠内を守る。
①+② → これを素直に考えれば、「従来からの政府解釈を変えない」となる。


<閣議決定本文>
(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その ③存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の ④権利が根底から覆されるという ⑤急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための ⑥必要最小限度の「武力の行使」は許容される。 ⑦これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、 ⑧昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。
 ⑨この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

<注釈>
⑥ → 自衛権行使の容認を意味する。
③④⑤ → 自衛権行使を認める場合の要件である。
③ → ここで問題なのは、「自衛の措置」という文言である。自衛の措置とは、自衛権の行使のこと。従来からの政府見解では、自衛権の意義は、個別的自衛権と集団的自衛権の二つに分けられている。したがって自衛の措置とは、ここでは個別的と集団的とを包摂した自衛権の概念を意味する。
⑦ → 「自衛の措置=自衛権の行使」容認が、従来からの政府見解の根幹=基本的論理である。
⑧ → 閣議決定そのものが指定した憲法解釈の判断基準となる文書。「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」は、「1972年政府見解」とも呼ばれる。⑦の政府憲法解釈の見解の根幹、基本的な論理は、「1972年政府見解」において明確に示されている。
今次閣議決定が「1972年政府見解」の枠組み内に収まる憲法解釈変更であると主張していることは、すなわち憲法第96条による改憲手続きの対象にはならないという主張である。
⑨ → 「1972年政府見解」に示されている憲法9条解釈の基本的論理は、今後とも維持する。


<閣議決定本文>
(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

 我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。

 こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、⑩我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、⑪必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

<注釈>
⑩ → 「他国に対する武力攻撃」と「我が国の存立が脅かされる」状態が、並立して発起するという事態。
⑪ → ⑩の事態に際してする自衛権の行使は、憲法上許容される。すなわち、憲法第9条に関する従来政府解釈の基本的論理の枠内である、と閣議決定は主張する。
→ 「他国に対する武力攻撃」が「自衛の措置」の対象になるということは、「集団的自衛権の行使」である。
→ しかし、従来の政府解釈では集団的自衛権の行使を否定していて、これが長く定着してきた政府解釈になっている。

→ 上記(1)の項では、「政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる」と記述している。論理的整合性と法的安定性に適合するのは長く定着してきた政府解釈、すなわち「集団的自衛権の行使不可」である。
→ 上記(2)の項では、「憲法第9条の下で例外的に許容される『武力の行使』について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理」の挙証として、「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」、いわゆる「1972年政府見解」を提示している。この見解では文末の結語文章で、次のように結論している。

「したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない。」 (「1972年政府見解」文末の結論)

→ 閣議決定では、「1972年政府見解」のうち、自衛権を認める「自衛の措置」という文言だけをクローズアップして、憲法9条の従来見解通りと強弁しているのだろうか? しかし、「1972年政府見解」の結論は「集団的自衛権否定」である。閣議決定に従来政府解釈との論理的整合性は、無い。

→ (2)の項、他国防衛について、政府と自公両党は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」という制約を加えたから、集団的自衛権の行使は限定的であると胸を張っている。そして閣議決定に言う限定的集団的自衛権を、自公・政府は「従来政府解釈の論理的枠内」であり、憲法96条改憲手続きの対象にならないとしている。けれども「1972年政府見解」の結語は、修飾語や条件なしの「集団的自衛権否定」なのである。

→ (3)の項「他国防衛」は、閣議決定が(2)の項で提示した憲法解釈の判定基準に照らすと、(1)の項に言う従来政府解釈との論理的整合性、法的安定性ともに無い。

→ 一政権によるこのように重大な憲法解釈の変更は「憲法違反」であり、この閣議決定は無効であると、全国の弁護士会が指摘しているところである。自公両党並びに安倍内閣の横暴に過ぎる政治権力乱用である。「他国防衛をするための自国自衛権」がどういう事態を言うのか、自公・政府の説明は、まだ無い。


<閣議決定本文>
 (4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。 ⑫ 憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。⑬ この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、 ⑭ 憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

<注釈>
⑫ → ⑫は無用の文章である。国際法とか国際的とかのイメージを付加して、本質をあいまいにし、読む人の頭をややこしくする修飾文にすぎない。
⑬ → 「他国防衛」のことである。他国防衛は集団的自衛権の範疇に属する。
⑭ → 「他国防衛」が「自衛の措置」として認められる場合にのみ許容されると言う。その例として安倍首相は「日本人を保護している米軍艦が攻撃されるのを自衛艦は守らないのか」と言い、北側公明党副代表は「日本を守る米イージス艦を日本のイージス艦が守らなくてよいのか」と言った。極めて情緒的な例示で、事実を正しく表現しているとは言い難い。これについては別稿で書きます。


<閣議決定本文>
 (5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。

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※本稿では、閣議決定を「憲法違反」という観点から見ています。私は安全保障政策の評価より以上に、国家最高指導者主導のもと、政府による「憲法違反」という行為の重大性を最重要視しています。憲法は基本的人権や生存権、信教・思想・表現・学問の自由など、たいへん重要な思想を表現しているものであり、あらゆる国法の基礎であり、国の統治の源です。一内閣の好みに合わせて、時の政治権力によって簡単に、国の統治の源である憲法解釈の変更が行われるなら、それは法治の乱れを呼び、国の乱れにつながり、地方自治の乱れへと蔓延していくでしょう。

安全保障政策の改変を企図してきた安倍首相は、最終的には憲法9条を改変しようとしています。その手段としてまず、改憲要件を定める憲法96条の改変にとりかかる前宣伝を2013夏参院選前にしていました。しかし参院選勝利の後は、閣議決定による憲法9条の実質的変更を企て、この暴挙を実現しました。これからも自民党憲法草案の実現に向けて、安倍首相はまい進していくでしょう。

2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則の緩和、特定秘密保護法の新設、このたびの憲法9条解釈改変閣議決定と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。第2次大戦後の日本において安倍政権は最も危険な政権です。

安倍内閣退陣の機運を盛り上げていきましょう。与党であれ野党であれ、安倍首相と同じ考えの人、同じ路線の人を選挙で落としましょう。憲法9条改変で自民党に同調する「日本維新の会」や石原慎太郎「次世代の党」にも投票しないようにしましょう。


※次回は「1972年見解」を掲載します。読んでいただければ、どなたでも、文末の結語が「集団的自衛権の全否定」を意味するとおわかりになります。

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