<1972年政府見解結論と真逆の解釈を押しつけ>
集団的自衛権に関する2014.7.1.内閣閣議決定では、「自衛の措置」に力点を置いているのは明らかです。「自衛の措置」という文言である限り「個別的自衛権」も「集団的自衛権」も包括した「自衛権」を意味することになります。自公両党並びに安倍政権は、「限定的集団的自衛権」という定義を新設して、憲法9条の従来政府解釈の枠内であると、私たち国民に押しつけています。
閣議決定では、限定的集団的自衛権容認という拡大解釈が、憲法9条に関する従来の政府見解との論理的整合性の枠内に収まるとして、「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」をその根拠として明示しています。これが、いわゆる「1972年政府見解」です。下に、閣議決定のその部分を抜粋表示します。
◇ ◇ ◇
<2014.7.1.閣議決定から>
これが(※注/わが国の存立を全うするために必要な「自衛の措置」)、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。
----------------------------------------
しかし、この1972年政府見解は、「自衛の措置」すなわち自衛権を認めるものですが、集団的自衛権の行使は憲法において禁止されている、と明言している文書です。
国立国会図書館調査及び立法考査局発行「レファレンス 2011.11」という論集に、『憲法第9条と集団的自衛権 ―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―(政治議会課憲法室・鈴木尊紘)」という記事が掲載されています。ここでは1972年政府見解について、「憲法のレベルではそれを実際に行使することはできないことを明示した」、「この答弁は、1981 年の明確な政府公式見解につながっていく」としています。
このうち、上記「1972年政府見解」に関わる部分だけ、下に転載します。
◇ ◇ ◇
<憲法第9条と集団的自衛権 ―関係部分抜粋― >
そして、1972 年から田中角栄政権となる。この時期において重要なのは、第 69 回国会に提出された決算委員会資料である。当該資料は、次のように説明している。
「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている。(中略)我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」(第 69 回国会参議院決算委員会提出資料 昭和 47 年 10 月 14 日)。
この資料は、安保条約前文の集団的自衛権規定と集団的自衛権の政府解釈の関係に関する質疑(同年9月14日)に対して、政府が提出した資料である(20)。
この資料のポイントは、第 1 に、政府が集団的自衛権は国際法上我が国も有するが、憲法のレベルではそれを実際に行使することはできないことを明示したこと、第 2 に、集団的自衛権を「海外派遣」だけでなく、包括的かつ一般的な武力行使の態様であると捉えていること、第 3 に、集団的自衛権を保有はするがその行使は禁止されるという後の政府見解の嚆矢となる表現を用いていることである。この答弁は、1981 年の明確な政府公式見解につながっていくものである。
----------------------------------------
閣議決定文書に言う「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」が、いわゆる1972年政府見解です。閣議決定はこれをもって、憲法9条について従来の政府解釈の枠内である根拠として挙証しました。しかしこの1972年政府見解は、文末の結語において、集団的自衛権を認めない、としている文書です。ご覧ください。
◇ ◇ ◇
昭和47年(1972年)10月14日参議院決算委員会提出資料
(集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料)
国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第 5条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3第 2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。
そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。
ところで、政府は、従来から一貰して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。
憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。
そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、①わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、 ②したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
----------------------------------------
上記政府見解は結末で、①「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」から、②「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としています。これが政府見解の結論なんです。
しかし、7月1日内閣閣議決定ではこの結論を無視或いは隠して、「限定容認」という偽装をまとったうえで、集団的自衛権行使容認を決めています。終末部をもう一度読み返してください。「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としています。閣議決定の中で合憲性の根拠として例示した政府見解が、7月1日閣議決定が憲法違反であることを証明しています。
本稿では前稿と同じように、閣議決定を「憲法違反」という観点から見ています。私は安全保障政策の評価より以上に、国家最高指導者主導のもと、政府による「憲法違反」という行為の重大性を最重要視しています。憲法は基本的人権や生存権、信教・思想・表現・学問の自由など、たいへん重要な思想を表現しているものであり、あらゆる国法の基礎であり、国の統治の源です。一内閣の好みに合わせて、時の政治権力によって簡単に、国の統治の源である憲法解釈の変更が行われるなら、それは法治の乱れを呼び、国の乱れにつながり、地方自治の乱れへと蔓延していくでしょう。
安全保障政策の改変を企図してきた安倍首相は、最終的には憲法9条を改変しようとしています。その手段としてまず、改憲要件を定める憲法96条の改変にとりかかる前宣伝を2013夏参院選前にしていました。しかし参院選勝利の後は、閣議決定による憲法9条の実質的変更を企て、この暴挙を実現しました。これからも自民党憲法草案の実現に向けて、安倍首相はまい進していくでしょう。
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則の緩和、特定秘密保護法の新設、このたびの憲法9条解釈改変閣議決定と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。第2次大戦後の日本において安倍政権は最も危険な政権です。
安倍内閣退陣の機運を盛り上げていきましょう。与党であれ野党であれ、安倍首相と同じ考えの人、同じ路線の人を選挙で落としましょう。自民党の代替え、「日本維新の会」や石原慎太郎「次世代の党」にも投票しないようにしましょう。