■パック旅行でマカオのカジノに行った
私は若いころにマカオのカジノに行ったことがあります。といってもたいそうな話ではありません。大阪・心斎橋商店街の歳末セールくじ引きで香港旅行が当たったからお前行ってこいと、叔父から権利をもらいました。その団体旅行ではマカオのカジノ見物がコースに入っていました。
カジノは大きな大きな建物だったと記憶しています。それなのに入場口は小さくて、テーブルを置いてそのまわりに数人の男がいました。駅員が立っている改札を通り抜けるような形で、みんな一列に並んで入りました。入場口の内側は幅広い通路になっていて、人気のない幅広通路にもポツンポツンと男が立っていました。カジノで大金が動くから警戒が強いのだろうと、そのときはちょっと怖い思いをしました。
入場口を入ると通路の向こうに劇場に入るような入口があって、入ってみるとそこはもうカジノです。けれども映画なんかで見るようなシーンはありません。スロットルマシンがずらりと並んでいて、私はパチンコをちょこっとするような感じで2、3回やってみました。カジノに興味はなかったし、スロットルマシンにも興味がなかった。そのうえ旅行のおこづかいだって所持金はわずかでした。同じ団体客仲間はみんな、お試していどにスロットルマシンをするだけでした。
こういうカジノ見物でした。アメリカ映画で見るような華やかさはこれっぽっちもありません。私が入った場所はお金のない団体観光客の行くところで、お金をたくさん持って賭博をする良いお客には、映画で見るような場所があるのかもしれません。
良い印象のなかったカジノ。入出場口が狭い1カ所だけで、その周囲には男たちの姿しか見えません。防犯のためでしょうが閉鎖的で、ちょっぴりこわい思いをしました。そしてマカオはカジノの街で有名でしたから、マカオの街中で観光バスから降りても、なにかしら暗い街だという印象が残っています。
■ラスベガスのカジノに通った社長さん
もう一つ、私が聞いたカジノの話題があります。昭和の終わりから平成の始まりにかけて数年間、日本中がバブル景気にわいている時代でした。ショッピングセンターを三つ持っているオーナー経営者がいました。勤めていた会社が仕事をもらって、そのショッピングセンター会社と何年間かおつきあいがありました。そのお得意先社長は四十になるかならないかの年ごろで長身。ハンサムでワンマンな二代目社長でした。
その社長が景気の良い時代にアメリカのラスベガスのカジノに通うようになって、1千万円とか2千万円とかのお金を使ってくる、と社員の不平を何回か聞きました。そのうちに会社が左前になって民事再生会社になり、仕事で関わったショッピングセンターの所有権は人手に渡りました。
社員ルートの情報では、会社がダメになった直接の原因はアメリカで土地を買ったことでした。カジノ遊びが直接の原因ではありません。しかし、カジノ遊びをくり返した時期とアメリカで土地投資をした時期は重なっています。アメリカまで行ってカジノ遊びに興じる生活の乱れ。それが、会社をダメにしたベースになったのでしょう。
さて、カジノ法案の成立はまちがいなさそうですね。