■自分自身の生命への危機感
平和を守ろう、原発をやめよう、核兵器をやめよう……という運動の根底には、「人間の命を大切にしよう」という気持ちが流れています。人間同士の連帯です。そしてその出発点には、意識せずとも、自分自身の生命への危機感があります。
原発をやめよう、地球温暖化の進行を止めよう……という運動の根底にも、地球があってこそ成り立つ人間生活への危機感があります。そしてその出発点には、意識せずとも、自分自身の生命への危機感があります。
■生命の連鎖、宇宙の連鎖に思い至る
自分自身の生命を大切に思う危機感から、人間以外の哺乳類の生命も、夏の風物詩のカエルもホタルも、四季の花々や花粉を媒介するミツバチも、優雅なツルや賢いカラスも、気持ちの悪い蛇も怖い熊も、海の中の魚からクジラにまでも繋がる、生命の連鎖への直感が溢れ出します。
この生命の連鎖への直感から、私たちは、生命の連鎖を慈しむ地球、その地球が成り立っている拠り所が太陽系であり、その太陽系がまた拠り所にしているのが銀河系というように、教科書で教わった理科の世界を身近に想うことができます。人間同士の生命の連鎖から宇宙の連鎖へ。
■低い目線で自分の体から出発して考える
この生命の連鎖のことを私は、自分の身に寄せてこのように理解しています。
人間の体は37兆の細胞によって成り立っていると言われています。一つ一つの細胞は増殖し生滅をくりかえしています。それら無数と言ってよい数の細胞がそれぞれの役割を果たしながら結びついて活動している姿が、私という一個の人間の生命の姿です。自分という一個の人間の生体活動は37兆もの細胞が連鎖して活動していることの表現です。
※成人1個の細胞数は60兆と言われてきましたが、2013年秋に37兆2000億という新しい計算が学術誌に発表されました。
一方で私たち人間の健康を守ることについて、塩分のとりすぎはいけないとか、骨をしっかり保つためにカルシウムをとりなさいとか、ビタミンCが不足していませんかとかいうように、無機物も私たちの身体の成分として機能しています。
このことを言い換えるならば、一個の人間の生命は37兆の細胞と種々の無機物を包含して成立している、あるいは37兆の細胞と種々の無機物の統合体である、と言うことができます。
さらに、一個の人間を構成している一つ一つの細胞を自然科学的に分解していけば、生命体 → 有機物 → 無機物 → 分子 → 原子 → 電子・陽子・中性子と、際限なく分解されていきます。原子から先の世界は、宇宙理論に繋がっていく世界ですから、私たちの生命が宇宙にまで連鎖している存在であると、容易に理解できます。
37兆の細胞と種々の無機物を包含して成立している一個の人間の生命、あるいは37兆の細胞と種々の無機物の統合体である一個の人間の生命。
私という一個の人間と自分の体を構成している細胞との相互関係に注目して敷衍するならば、地球はヒトを始め無数の生物や無機物の連鎖を包含する一個の生命と見立てることができます。同じ見立て方で、地球生命を連鎖の一部にとりこんでいる無限の宇宙生命と見立てることも成り立ちます。
こういう見方は特に目新しいものではありません。仏教で言う「生命観」や「縁起観」を生活に即してめぐらしていけば、このように考えることができると思います。
また、地球温暖化問題からヒトと地球の包摂関係を学ぶことができます。生態学で言う「遷移」は、「相互に影響し合う関係性」というものを教えています。いずれも目に見えてわかりやすい事例です。
このように自分という人間から出発して宇宙までの広大な連鎖を自分の身に即してとらえ、「宇宙につながる生命の連鎖」の視点に拠って人生を全うしたいと願っています。
■利欲社会の政治家は人のためならず
目先の細かなことにふりまわされないよう心がけて、「宇宙につながる生命の連鎖」の視点で見ていますと、利欲社会のいろいろな景色がよく見えます。
「原発が稼働すれば料金値下げをする」と話す関西電力社長の顔が、時代劇ドラマに出てくる悪徳商人と同じように見えます。原発維持の電力会社を擁護し、武器産業や原発産業を外国訪問先で売り込む安倍首相は、政商育成に血道をあげる暗君・安倍将軍といった役どころになります。
カジノ都市作りに群がる与野党の数多くの政治家たちを何と表現しましょうか。銭勘定と票数勘定をして数多く群れをなし、時に人を死に追いやる毒針の連想と、目先に走る小者たちという連想から、スズメバチ政治家と言えましょうか。スズメバチに、働き者の益虫ミツバチを食い荒らす性質があるのも象徴的です。
政治家が原発維持をやめられず、カジノ都市建設を誘致するのは、政治資金と選挙支持を得るという動機があります。しかしそれだけでなく、カジノ都市建設や原発維持を正しいと考える誤った価値観を持っています。
■損得ばかりが大手を振って
原発をやめられないのは損害が大きいからであり、カジノ都市に群がるのは利益が多いからです。いずれも利欲。しかも原発の後処理や事故処理はその利益の計算に入れていません。カジノ都市の負の側面、社会的損失も計算に入れていません。あとは野となれ山となれ、です。
政治家は責任を取りません。
…と、これまでに生起した多くの事実が教えています。
官僚は勤め人で内閣や大臣の指示を実現するのが仕事です。
だから政策決定に携わった高級官僚も責任は取りません。
会社は倒産させれば、それで責任問題は終わりです。
大企業には法務スタッフがそろっていて、時には子会社を設立して、危なさを予見できる事業をその子会社に移管して、倒産させることができます。
それらのツケはどこに回ってくる?
人のためにならない、目先の損得ばかりが大手を振って大名行列です。