2020-12-11 <コロナ> 基幹病院「旭川厚生病院」 covid-19 院内感染対応状況の記録 2020.11.22.~2020.12.31. 日報追記12月31日まで
2020-12-28 <コロナ急死> 羽田雄一郎参院議員 24日深夜発熱、25・26日自宅静養、27日PCR検査に向かう車中で死去
2021-01-11 今はスペイン風邪パンデミック(1918年~1919年)以後で最大のウイルス・ストームに見舞われている
2021-01-16 自宅コロナ死は他人事でない 私は自然の猛威に臆病です 台風・地下水・雨、『ロンドン・ペストの恐怖』
2021-01-19 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(上)
2021-01-20 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(中)
2021-01-22 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の1)
2021-01-24 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の2)
2021-01-29 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の3)
2021-01-30 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の4)
【集団免疫とは何ですか】 [厚生労働省 ワクチン総論1 Q1-3]
感染症は、病原体(ウイルスや細菌など)が、その病原体に対する免疫を持たない人に感染することで、流行します。ある病原体に対して、人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染患者が出ても、他の人に感染しにくくなることで、感染症が流行しなくなり、間接的に免疫を持たない人も感染から守られます。
この状態を集団免疫と言い、社会全体が感染症から守られることになります。
なお、感染症の種類によって、集団免疫を得るために必要な免疫を持つ人の割合は異なります。
また、ワクチンによっては、接種で重症化を防ぐ効果があっても感染を防ぐ効果が乏しく、どれだけ多くの人に接種しても集団免疫の効果が得られないこともあります。
新型コロナワクチンによって、集団免疫の効果があるかどうかは分かっておらず、分かるまでには、時間を要すると考えられています。
(注) この説明を読む限り、わが国にどういう条件が整えば、いつ、集団免疫が
形成されるのか、事前に予測することは不可能です。集団免疫という社会
現象が実際に現われてきたのを捕捉分析して初めて、集団免疫ができつつ
あることの状況判断ができます。ということは、東京オリンピックは実施
不可能です。
【朗報:死亡者数が減り始め、ペスト衰える兆し】『ロンドペストの恐怖』P224
(※1665年)9月も最後の週になると、疫病の猛威も峠をこえ、徐々に勢いがおとろえはじめた。その前の週、友人のヒース医師がわが家に寄った際、この疫病の大流行も、あと数日で下火になるはずだ、といった。だが、実際にその週の死亡週報を見ると、病死者全体の数は8297名にのぼり、その年最悪の記録になっていた。
わたしは、そらみろといわんばかりにその数字を示し、彼に判断の根拠をたずねた。だが、ヒース医師の説明は意外なほど簡単明瞭だった。彼はこういった。
「いいかね、現時点での患者の数からすると、先週は8000どころじやなく、2万人ほど 死んでいたはずなんだ。これはつまり、さすがの疫病も、2週間前と同じだけ汀の力は持ってないということだ。
これまで患者は、病気にかかってから2、3日で死んでいた。それがいまでは、8日から10日はもちこたえる。以前は5人にひとり助かるかどうかだったのに、現在では、わたしの見たところ、5人中最低3人は助かっている。
私のいうことを頭の隅におくといい。次の週報では、死亡者数は減るだろうし、助かる患者の数もこれまでよりずっと多くなるはずだ。
確かにいまでもあちこちで大勢が感染して、これまでのように発病している。しかし、死ぬ者の数は以前ほどではなくなるはずだ。病気の勢いが弱まってきてるからね」
そして、その言葉につけくわえて、この伝染病の流行も峠をこして、鎮静に向かいはじ めたという、そんな希望がわいてきた、いや、希望というより確信がわいてきた、と語った。
ヒース医師の予想どおり、その次の週、つまり9月の最後の過になると、死亡週報で報告された死亡者の数は、約2000名も減少した。
とはいうものの、疫病の勢いはまだまだ強く、翌週の報告では死亡者数は6460名、そ の翌週も5720名だった。だが、それでもヒース医師の見方は正しかった。病人の回復は 早まり、回復する者の数も前より多くなった。
―― 略 ―― さらに数週間が過ぎると、ヒース医師の言葉はいよいよ信憑性を増してきた。死亡者の数は減りつづけ、10月のある週には1849名も減った。したがって、その週の疫病による死亡者数は、2665名になり、翌週はさらに1413名少なくなった。
実際には、依然として多数の人々が、いや、そんなありきたりの言葉では表わせないほど多くの人々が病気に苦しんでいたし、毎日、おびただしい数の人々が発病していた。だがそれでも、病魔は弱まりつつあった。
【なにを言われても馬耳東風】『ロンドペストの恐怖』P228
向こう見ずな人々は、最初の朗報にわきかえり、週報の死亡者数が大幅に減ったのを見て大いに喜んだ。彼らは怖いものなしになって人の意見に耳を貸さなくなり、もうむやみに死ぬことはないのだと、思いこんでしまったのだ。
なにをいわれても馬耳東風で、店は開ける、街には出かける、来る者はこばまず話し相手 になるというありさまだった。話が商談であろうとなかろうとおかまいなしで、相手が健康 でないとわかっていても、からだの調子はどうか、感染の危険はないかと、一言たずねることもしなかった。
こうした無茶な行動のため多くの者が命を落とした。用心に用心を重ねて家にこもって人をさけ、自衛と神のご加護によって疫病が猛威をふるうなかを生きのびた者たちが、いともあっさりと命を落とした。
【地方疎開者が一斉にロンドン帰り】『ロンドペストの恐怖』P229
ロンドンが疫病の危機を脱したという噂が市内だけでなく地方にまで広まったとたん、地方もロンドンと同じような状態になった。
疎開中の人々は、ロンドンを離れていることにうんざりし、帰りたくてたまらなかったので、なんの不安も抱かず、あとさきも考えずに一斉にロンドンに戻ってきた。
そして、もう大丈夫とばかりに街のあちこちに繰りだした。それはまったく異様な光景だった。いまだ週に1000名から1800名の死者がでているなかを、人々はまるで天下泰平といった様子で街を闊歩していたのだ。
その結果、11月第1週の死亡者数は400名ほど増加した。医師たちの報告によると、 その週の発病者は3000名をこえ、その大半が地方から戻ってきたものたちだった。
セント・マーティンズ・ル・グランド通りで理髪店を営んでいた、ジョン・コックという男などはその格好の例だろう。つまり、疫病が下火になったとたんにはやばやとロンドンに 戻ってきた者がどうなったかという、典型的な例だといえよう。
このジョン・コックは、ほかの者同様、家を閉めて一箇そろってロンドンを離れ田舎に避難した。そして、11月になって疫病による死亡者が減り、それ以外の病死者もあわせて週 に905名になったことを知ると、喜びいさんで家に戻った。
一家は10人家族で、ジョンとその妻、5人の子ども、それに使用人が2人、メイド1人という構成だった。ジョンがロンドンに戻って店を開け、商売をはじめて1週間とたたないうちに、家族に発病者がでた。
そして、5日のあいだに、1人をのぞいて全員が死亡した。つまり、本人と妻、5人の子ども、2人の使用人がつぎつぎと病死し、生き残ったのはメイド1人だった。