川本ちょっとメモ

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安倍晋三元首相の「国葬」決定は岸田首相の国権乱用

2022-07-26 19:05:56 | Weblog






<黙祷 安倍元首相>
 私は奈良市民ではありませんが、奈良県民です。2022年7月8日、事件が発生した西大寺駅は、近鉄特急で京都へ行く京都線への分岐駅であり、県内主要駅の一つです。奈良市民ならずとも親しみのある西大寺駅前で、突如として降りかかった安倍元首相遊説中の横死。世の儚さに思いを駆られ、おびただしいニュースにとりつかれて茫然と過ごした一日でありました。遊説する安倍元首相の傍に佇立していた参議院奈良選挙区自民党佐藤啓候補(当時)が安倍元首相にとりすがって泣いたという情報を夕方に聞いたときには、同じ人間として胸に涙のあふれる思いでありました。

 さらに、朝に東京で元気な夫を見送り夕べに奈良県立医大病院でもの言わぬ夫の最期を見届けた安倍昭恵夫人、誉の息子に不慮の死で先立たれた母堂安倍洋子氏の悲しみはいかばかりでありましょうか。黙祷、安倍元首相。


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 さて、奈良市西大寺駅前献花台に連日、不慮の横死を悼む人々の列ができました。想像もしたことのない突然のできごとが身近に起きて、誰もが掌を合わせました。

 忌中で申しわけありませんが
 安倍元首相の唐突な喪失に政界が混乱しているさなかに、
 岸田首相が側近の人たちだけに諮って「安倍元首相国葬」を決断したことは、
 人々の死者を悼む素直な心情に乗じた、国権の乱用であります。

 事件発生時、安倍元首相は自民党のために働いていました。
 国家のために働いていたのではありません。
 この点で、「国葬」には無理がある。

 犯人の安倍襲撃の動機は、
 安倍元首相と世界平和統一家庭連合(旧称「統一教会」)との
 繋がりへの「私怨」です。
 政治目的ではありません。
  この点で、「国葬」には無理がある。



 襲撃当時、
 安倍元首相が自民党のために働いていたという観点では、
 「自民党葬」が妥当ではありませんか。

  自民党と世界平和統一家庭連合(旧称「統一教会」)という宗教団体との密な繋がりは今、日々明らかにされつつあります。





〈1〉「国葬」とはこんなものらしい――故吉田茂元首相の国葬


 民主主義の日本国になって以後の国葬の事例は、吉田茂元首相1件のみ。

  ・1962(昭和47).10.20. 自宅にて死去
  ・       10.21. 政府内協議で国葬の実施を内定
  ・       10.23. 国葬を閣議決定 
  ・       10.31. 日本武道館で国葬

   上記、死去~国葬までの日録は、内閣総理大臣官房編集「故吉田茂国葬儀記録1968年
   3月刊」に基づく毎日新聞2022/7/26 記事に依拠しています。



 
吉田茂元首相国葬の日に政府が国民に求めた弔意の表明
       (毎日新聞2022/7/26 記事の一部から採録して下記に編集)


  吉田氏の国葬当日は平日でした。

  政府は午後からの休業、黙とう、弔旗の掲揚、行事自粛をするよう各省庁に
 通達しました。

  全国の自治体、民間企業や学校など一般国民にも同様の措置をとるよう要望し
 ました。

  強制はできないが、「国民の自粛に期待したい」との談話を出すなど実際は
 強く促したようです。     

  当時の毎日新聞は、葬儀中の午後2時10分、全国で黙とうのためのサイレン
 が一斉に鳴ったと報じています。

  記録には、テレビはNHKや民放各社が国葬の様子を中継し「国葬儀の日にふ
 さわしくない番組の放送を自粛することを早くから申し合わせており、かなり
 の番組が差し替えられた」と、政府が番組編成でも協力を求めたことが明示さ
 れています。

  吉田茂氏の葬儀は「国民こぞって心から弔い、簡素、厳粛なものとして行う」
 との方針で進められました。

  2020年の中曽根康弘元首相の「内閣・自民党合同葬」では、文部科学省が
 国立大などに弔意表明を求め、一部の大学教員らからは批判の声が上がりまし
 た。

                      以上、毎日新聞記事に依拠しています。


 吉田茂氏の国葬事例から想像するに、国の機関から地方行政の機関に至るすべての官公署が半旗を掲げて弔意を表することになりそうです。国公立・私立の教育機関も倣うことになるものと想像します。


 吉田茂元首相の国葬のとき、私は京都から上京就職をして駆け出しの会社員でした。東京生活と駆け出し会社員仕事と貿易英文の勉強で精いっぱいという身分でした。国葬の記憶がまったくありません。私の若いころ、政治にまったく興味を示さない同世代の者たちを「ノンポリ」と呼んでいました。多少の軽蔑をこめて。私の25才~35才くらいの10年間はまさにノンポリ生活でした。

 しかし昭和天皇の大喪の礼のときのことはよく覚えています。みなさんもよく覚えていらっしゃることでしょう。あれは政治の問題ではなく、生活の問題でした。歌舞音曲停止の日々がつづいて、テレビ番組は荘重陰気。レンタルビデオ店が若い人たちで大繁盛でした。


次回は、岸田首相記者会見の「国葬理由」についてのテーマです。あまり目新しいものはありませんが。

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