第96回文學界新人賞受賞作に「第七障害」を併載。
新人賞を狙いに行った作品だと思った。その心は、誰かの物まねでは選考委員の印象に残らない。自分にしか書けないものだと初めからアピールしないと、読んでもらえない。でもただ単なるあざとさだけでは原稿用紙一枚も続かないだろう。最後まで一気に読ませる。面白い。
本作、言葉は乾き、人との距離の取り方がいかにも今の時代(と言っても10年くらい前の作品だけど)と思わせる新しさがある。
心と体は不即不離、愛が芽生えて深い仲になり、いろいろあって続いたり、別れたりという作品すべてを相対化してしまう力のある作品だと思う。
出てくる男がみんな変、主人公はその関係を楽しんだり、失望したりするけれど、決して落ち込んだりせず、自分の気持ちの中をしっかり見ている。そしてすべては無駄話だと最後に言い放つ。
私が女だからだと思うけど、読むととってもカタルシスがある。愚かな、そしてかわいい男たち。その標本集みたい。男と女の関係を表す言葉って、友人、恋人、夫婦、不倫相手、親族くらいしか思い浮かばないけれど、そのどれでも表現しきれない関係が生き生きと描かれる。読んで損はないです。
昨日朝早く起きたので、その流れで今朝も五時半頃起きた。起きてもすることないので、ゴミ出して新聞読んで朝ごはん食べた後はベッドの下の大掃除。でも掃除機が壊れた。10年くらい前の香典返しのカタログから選んだもの。もう寿命かも。
「掃除機買っていい?」と一応夫に伺いを立てる振り。「買いんさい。今まで勝手になんでも買うてきたのに、なんでそんなこと聞くん?」と言われた。ばれたか。
そのあと午前中は縫い物をする。これです。
親が縫ってくれた娘の頃の浴衣。讃岐名産の保多織り(地元ではぼたおりというけど)で肌触りがいい。袖は枕カバーにピッタリ、身頃二幅で座布団カバーに。ミシンはもう忘れるくらい前に使ったきりでたぶん調子が悪いと思うので手縫いで。チクチク縫っているとなんか心が落ち着く。
午後からは車で書類の提出。ネット回線で電子請求しているところも多いけど、回線使用料がなんたらかんたらと言うことで、今だ持って行ってます。それもFDで。レトロ。
初めの頃は打ち出しだったので、多い少ないが一目瞭然。段ボール箱に何箱もカートに載せて駐車場と往復しているところもあれば、私などは手提げ袋に入る量。恥ずかしい。はい、ここでいつもの負け惜しみ、健康でふつうの生活できればそれで充分。持ちつけないお金は不幸の元。
とは言え、一度くらい不幸になってみたいものだ(とは思わない)。小さな不幸は人生のカンフル剤(とも思えない)。平凡が一番、細く長く仕事してもらいたいもの。
手縫いなので、帽子のクリップに布を挟み、引っ張りつつ縫う。夏は木綿が気持ちがいい。
昼、次男から電話。あちらから電話なんて、本当に珍しい。直接会ってお祝い手渡したいそうで、じゃまた連絡するという話になった。
無口な次男だけど、甥が生まれたのはやはり嬉しいのだろう。人がいなくなるのは寂しいけど、増えるのはどこの家にとっても嬉しいもの。
きょうはもうおっぱい飲み始めたかな。お姉ちゃんの時は母乳が足りなくて、とても小さな子だったけど、離乳食が始まるととてもよく食べて、今では大柄な子になりました。この子も脚ががっしりとたくましいのできっと大きな子になるかも。
お嫁さんはつかれて大変だと思うのでそう度々のぞかず、安静にしてもらいたいもの。