軽井沢セゾン美術館 2008年8月
そろそろ暑くなるので、読んで避暑気分にと、ある方のブログで紹介されていた本書をネットで購入。
元々は地域雑誌「軽井沢ヴィネット」に連載されたエッセィをまとめたもの。いささか重複部分があるのはそのせいだと思う。
子供の頃から、夏は軽井沢の別荘で過ごしていたという著者は、今はライター。軽井沢の深層に分け入り、その姿の裏表を解き明かすという体裁。縁のない私には社会学的にはなかなか面白かったけど、軽井沢は自由、博愛、平等のある理想郷ではなく、人が人を差別の眼差しで見る非常にシビアな世界だと思った。
漏れ聞くところによると、東京ではどこに住んでいるかによって人が区別というか、もっと言うと差別されるところらしいが、それが極端に表れたのが軽井沢と私は読んだ。
昔からの別荘族も、相続の後もその別荘を維持できるとは限らない。売りに出された別荘を新興のお金持ちが買い取る。でも、その人たちには品がないので、元からの人とは一線を置かれるそうな。
この辺りまで読んでくると、純粋庶民の私はムカムカしてくる。人はプライドにしがみつかないと生きていけない生き物なんだろうか。人を馬鹿にすることで成り立つプライドって何さと思う。
庶民は高級でハイソな暮らしにあこがれ、真似する人ばかりではないと思う。それぞれの場所で一生懸命自分の現実を生きている人がほとんど。お金を貯めて、年に一度の家族旅行が軽井沢で、上品な振る舞いを知らなくてもここまで笑われることもないんじゃないかと思う。
戦前の軽井沢族、皇族、華族、大実業家は庶民の支えあっての存在、その富もまた庶民の支えあってのもの。
軽井沢の本当の価値を教えてあげましょうって言う感じがして、読みにくかった。
立原道造が軽井沢で亡くなったのは明らかな誤り。今手許に資料がないが、確か東京郊外の療養所のようなところではなかったかと思う。再版することがあれば訂正された方がいいと思う。
僅か一日二日の旅行で軽井沢らしく振舞わなくてもいいと思う。観光コースを歩く限り、人様の別荘に迷い込むこともなかろう。
この本はたぶん、軽井沢に別荘を構える人の虚栄心を満足させるものだと思う。やはり、人は人を見下さないと生きていけない生き物なんだろうか。慶応の小学校(幼稚舎と言うらしい)から上がったような人が別荘族に多いとか。人は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、福沢諭吉先生も泣いておられるぞ!!
軽井沢高原文庫隣接の喫茶店(名前失念)2006年10月
有島武郎の別荘を移設したもの。器は大倉とウェッジウッド。派手でないところが軽井沢的??