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「ママがやった」 井上荒野

2019-06-24 | 読書

百々子79歳、元高校教師、教師は若いときにやめて今は駅前で居酒屋を開いて、そこそこ繁盛。夫、拓人72歳、若い時から定職につかず、愛人の途切れたことがなく、平気で嘘をつき、ふらふらと出歩いては帰らないこともあり、掴まえ所のない男。

その百々子が夫を殺し、長女、次女、長男が集まり善後策を相談するところから小説は始まる。

割と簡単だったわよ、酔って寝ている顔に濡らしたタオルをかけて全体重で抑え込んだのと母親は淡々としている。小説はそこから山へ捨てに行く場面にはならず、母親と子供たちのそれぞれの事情へとオムニバス形式で、展開していく。

世間の常識から言うと(私の感性もそう)、こんな男とんでもない。しかし、三人も子供を成し、半世紀の間、結婚生活が続いたそのことに、一言では語りきれない人間の複雑さがあるようで。

こんなちゃらんぽらんな男でも、愛していたのだろう。愛とは不思議。その人をいとおしい、かわいい、放っておけないという気持ち。理屈でなくて感覚。だから自分にもその感情はコントロールできないのだろう。

妻子ある人と不倫を繰り返す長女、次女は結婚して娘もいるが、19歳で結婚し、やがて別れるらしいところまで、小説の中では時間が流れている。

家族に一人、安定した制度の中に納まりきれない人がいると、振り回され、その人を中心にドラマが生まれる。人はより深く愛し、さらにいっそう憎みもする。この小説の中では語られない夫への憎しみが、ふと心の表面に現れて犯行に及んだのだろう。山に捨てに行く場面で、夫の遺体の入った車のトランクを愛おしそうに見るのは、死んだ後、やはり好きだったと気が付いからのだろうか。

殺す、殺されるという話の大嫌いな私。才能ある作家だけれど、殺人の話はもう読みたくない。

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