10年以上前の本。金座街の古書店アカデミィで、100円で買った。
先日、合同展の搬出の日に八丁堀でバス降りて急いで買って、あとは徒歩で会場に。
さっさと歩ける有難さ。同世代の人、みんな歩くのが遅くなっている。私はまだ何とか尾道の山も上がれるし、せいぜいあちこち出歩いて脚力をキープしたいもの。といってもまだこの歳、歩けなくなったら後の人生、不便で辛すぎる。
この本はサラーリーマンとか異業種から農業に参入した人の体験談をまとめたもの。
どれも面白かった。
長い間、なぜ若い人が農家を継ぎたがらなかったのか。
それは親の言うままに働き、きちんとした給料はもらえず、結婚しても妻も只働き、それではせっかく農地という資本がありながら、主体的に働く気が初めから起きないというもの。妻ともども賃労働に就いた方が、まだしも労働者としての権利が守られる。
御先祖からの土地を次に伝えるべきという精神論だけでは農家は続かない。長年にわたる農業の衰退はこの前近代的な経営方法が最大要因、と私は思う。加えて、流通と消費が世界規模に広がり、安い農産物が海外から輸入されるようになったことも大きい。
では日本の農業に勝機はあるのか。私はあると思う。しかしそれは細く困難なトンネルの先の、全く違う景色としてしかイメージできない。
この本の中の人は皆、自分の考えで働けることにサラリーマン時代とは違う喜びを感じている。また、米作は従で、野菜、果物などの商品価値の高いものを作り、販路も自分で開拓していること。
米作りは水利権が複雑で、使う農業機械も高価で、素人がいきなり参入するのにはハードルが高い。それに農家になるには農地委員会の審査が必要だったのではと思う。これは戦後、寄生地主を排除するための仕組みだったと思うけれど、本気で農業したい人にはもう少し融通を効かせてもいいと思う。
この本の中で、サラリーマン時代より収入が減った人がほとんど。それでも生きがいがあると自己肯定感は強いけど、さらに収入も安定し、高収入になれば言うことなしと思う。
経営規模が小さいのは日本農業の宿命。とすれば、日本国内でしか作れない付加価値の高い商品作物を作るしかないのでは。
農家の子供が親の働く姿を見て、農業に誇りを持ち、農業をやりたいと思うようになってほしい。また家が農家でなくても、農業ができる仕組みを作らないと、日本の食糧自給の未来は暗いのかなと思う。