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web上の写真整理3

2021-01-23 | 日記

朝から雨です。午前中に、先日クリックした着物と帯が来るので在宅予定。

その隙を狙って、税務署と市に提出の申告書いろいろ仕上げる予定。

一年に一度なので、毎年、間違えないかと緊張する。これを出して、税理士事務所に納税のための各種資料送れば、私の春は近い。頑張れ~私。

謎の振込は本人が失念。カード払いも一件。どこかに請求書がないかといつもの返答。ないから尋ねているのです。仕方ないので、もう店主勘定に入れるしかない。ぐちぐち。


先日に引き続き、従妹との掲示板からの写真の転載。今はラインなので使っていません。何事も初めがあり、終わりがある。

順不同。

何を隠しましょう、いえいえ隠しませんとも。

私はひな人形の密かなコレクターなのです。

デッドストックの大きめの内裏雛を収集しています。

季節には近所の人にも見ていただき、家中ひな巡り。

出し入れ、飾り付けが大変なので今以上には増やしませんが。

2年前の一月、私の古希の祝い。

帯締めが合ってない・・・

もちろん自分で着ます。下手でも自分で着ないと着物は高くつく。

このころはよく太っていて、顔もふっくら。

去年の二月末、孫二人がお父さんに連れられて遊びに来た。

玄関からランドセル背負って駆け込んできた。

下の子はまだ入学以前。

二階が学校で、二人で勉強しています。

以前は友達と持ち寄りパーティをよくしていた。

いつになったら再開できるのやら。

タータン織ってみる。

織りの先生はタータンの服地を下り、ブレザーに仕立てたのを着ていました。

洋服に仕立てると捨てるところも出て、なんかもったいない。

香川県立高松高等学校。4年前の同窓会の前、母校訪問があり、久しぶりに行った。

30人くらい参加していたかな。

夫実家(姑様)の持ち山。道の左側。

墓地は左上、石垣の上に。

姑様が元気なころは頑張って管理していたけど、今は私たち夫婦で。

この先どうなる?

愛知県某所の息子の家。

車友達が遊びに来ているようです。

今は手前にも家が建ったと聞きました。

宍道湖畔のイングリッシュガーデン。

以前はルイス何とか庭園美術館という名前で、家具やランプの展示もありましたが、市と展示している業者の間で契約更新をせず、撤退したと聞きました。

一時閉館していましたが、もう再開したのかどうか。

2016年6月。

スペインの田舎町、フリヒリアナ。壁が白いのは日差しを反射させるため。

気温は40度前後、湿度は10%くらい。汗はすぐ乾くので、汗ばむということはありません。

ペットボトルの水は1時間くらいでぬるま湯に。

参加してみたら11人のツアー。五組のご夫婦と私。皆さんによくしていただきました。

村を歩き回って、カフェに入る。

山すそからの風が強い。

私は英語が苦手なのですが、片言で、一人だけどいいか、いいけど食事は出せない、いやアイスコーヒーでいいです。いくら?ワンユーロ、と何とか会話して席に座る。これは隣のテーブル。

出てきたのは熱いコーヒーと氷の入ったグラス。おいしかった。

店を出て夫に電話する。日本は23時ころ。

暑い・・・そうかあ・・・梅雨のさなかの日本人にこの暑さを伝えるのはむずかしい。

この項続く。

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買い物と美術館へ

2021-01-22 | お出かけ

本通りで。

午後1時ころ。

本を一冊古書店で売り、ハンズで買い物。

 

市民病院の前を通って・・・

リーガロイヤルの前まで来ました。

アジア大会の前に完成。大会本部が置かれてたと思う。

最上階はレストラン街。夜はバーになる店も。眺め良し。

ひろしま美術館の前まで来ました。

ベニバナセイヨウトチノキと勝手に名前つけてみました。

今は収蔵している印象派の小品と、日本画の展示。奥の企画展はお休みです。

人はほとんどいません。シニアは480円、2割引きでした。

横から回り込んで入館します。

あとはあちこちでかごバッグ探したけど見当たらず。夏の方が品物多いのかな。

ネットで買いますか。ちょっと不安だけど。

本日のお買い物。ハンズで柿渋となんちゃって反古紙。一枚が大きく

三段に印刷している。本当の筆文字ではない。一閑張りなどに使うのでしょうか。

他にも和紙がいろいろあった。

ああ、千田わっしょい祭りさえあれば、100円くらいで美濃紙の古い冊子買えたのに。

暖かくてお出かけにはいい日でした。風の匂いに春が少しだけ混ざっていました。

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「ニッポン巡礼」 アレックス・カー

2021-01-21 | 読書

先月22日発刊の最新作。

私は過去に「美しき日本の残像」と「犬と鬼」を読んだ。他にもあるかもしれないけど、寄る年波で失念。

1952年生まれの著者は12歳で父親の仕事に連れられて来日。イエール大学の日本学部とオックスフォード大学の中国学部卒業の後、再来日、日本文化の研究と、景観と古民家の保存再生に取り組む。

肩書は東洋文化研究者。著書も多く、各地で講演活動。そのほかに地方のその土地の良さを生かした、環境に負荷のかからない観光事業を提言するコンサルタントとして、各地へ出向く、その成果が本書である。

うーーーむ、日本国内、まだまだ知らないところだらけ。知っているところも予備知識をもって行けばまた新たな発見もあるというもの。旅行には予備知識必須。

この中で特に行きたいのは南会津の前沢集落。曲家の景観が素晴らしいそうで。

行き方は大宮までJR、東武鉄道で会津高原尾瀬口まで。あとはバスで34分。車でなくても行けそうです。宿泊は大宮辺り?

いつか行けたらいいなあ。と激しく旅情をそそられる本でした。

あと紹介されているのは、いろいろあるけれど、書き写すのが面倒。いろいろあります。日吉神社と三井寺は行きやすそうですが、あとは難しいところばかり。

滞在して、ゆっくりとその土地の良さを味わいたいものです。


5年くらい前、宮島の彌山へ登山した時、大阪から来たフランス人、40歳くらいの男性とたまたま一緒になって、話しながら登った。

古い建物を日本人は躊躇なく壊す。いい古材がゴミになる。フランスでは家は古くなるほど高くなる。50年(だったかな)過ぎると法律で壊せなくなる。日本語達者。

日本で古民家の保存活動されているんですか。

いえ、そんなお金はないので古い道具を集めたり、修理したりしています。

そうなんですか。日本の良さを外国の人に教えてもらうなんて、恥ずかしいです。

というような会話をした。

家はどんどん壊して新しく建てる。それで経済が回っている部分もあるわが国。人は親の家には住まず、中古の家にも住まず、新しく買い替える。それを見越した長く持たない家。どの世代もローンに追いまくられる人生。

いったい誰がもうかっているのかなあと思った。

 

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友達が遊びに来た

2021-01-20 | 日記

三男のママ友、途中中断もありつつ、30年以上のお付き合い。

染め、織り、洋裁、何でもできる人。

芸備線沿線の古民家を買ってギャラリーにし、月に何度か、雑貨とランチのお店をしている。うーーー、その行動力とセンスがうらやましすぎる。私より10歳くらい若いのかな。

きょうは二人展を見てもらった後、我が家で話をする。

バッグが素敵。自作だそうです。

作り方

普通の竹のバッグに、着物のたとう紙を濡らしてちぎり、木工ボンドで貼り付ける。

乾いてから柿渋を塗る。

内側、縁、持ち手は大島紬をボンドで貼る。持ち手は本体から外して裂いたタオルを巻き、その上から大島を張り付ける。

内側も紬を張り付ける。だそうです。

山葡萄のバッグが欲しいけど高いという話から、見せてもらったのです。

底の角は革をボンドで貼り付けているとか。

私も納税事務終えたらしようかな~

もうこの歳なので人と同じ格好するんじゃなくて、自分の好きなもの着て、自分の好きなバッグ持つで意見が一致。

姑様のまだ展示していない染めの作品、いろいろ見てもらう。

作り方も解説してもらう。箱の左の小さなパッチワークは、本人が染めたのではなくて、東南アジアのどこかの国の製品と教えてもらった。

なるほど。言われてみれば色もニュアンスも違う。

去年買った羽織付き大島の着物見せる。着物でまたまた話が広がる。彼女は着物を解いて洋服を作る。楽チン洋裁というタイトルで、中国新聞に載ったこともある。

洋裁は正式には習ってなかったはず。習ってない方が発想が自由なのかも。

お土産はお嬢ちゃんの焼いたクッキーに、藍を乾燥させて塩と混ぜた調味料。近々、知り合いが売り出すそうで、試食してくださいと言うことで。

これもそれも姑様の藍染が取り持つ縁。お義母さん、ありがとう~

 

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ピェール・エルメのショコラオランジュ

2021-01-20 | 日記

最近売り出されたことを知って、セブンで買ってみました。

ピエールエルメのショコラオランジュ

チョコレートのケーキ、チョコレートムース、オレンジソースの三層。粒々はチョコレートのソース。

うーーーむ、甘かった。けど、オレンジのソースが少し苦みもある深い味でなかなか良かった。

どうやら高級菓子らしく、値段もコンビニでは高い方かも。

ピエールエルメとは世界的に有名なパティシエらしい。

東京を中心に店も展開。

こんな人らしい。

ピエール・エルメについて | ピエール・エルメ・パリ -PIERRE HERMÉ PARIS- (pierreherme.co.jp)

なになに、アルザスのコルマール生まれですって。

コルマール、行ったことある~と自慢するうざい女=私。

2015年4月。だから、またヨーロッパへ行きたいんだってば。

祈・新型コロナ肺炎終息。

で、パリのフォションにもいたことあるって。

こちらですね。

マドレーヌ寺院の道を挟んで隣。

店の前でお茶する人たち。2014年4月。

写真で右方向へ行くと、マドレーヌ寺院の前を通ってコンコルド広場へ。

そう、フランス革命で、ルイ16世、マリーアントワネットなど王族がギロチンで処刑にされたところ。

コンコルド広場から凱旋門までのシャンゼリゼ通りが、最もパリらしい華やかな通り。

またいつか、あのマロニエ並木の下を歩きたい。そう歳取らないうちに。

コンビニのお菓子から旅行自慢へもっていく強引な展開。失礼しました。

だから、死ぬまでにもう一度(以上)、ヨーロッパへ行きたいんだよう~老女絶唱。

 

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web上の写真整理2

2021-01-20 | 日記

引き続き、画像掲示板から。

いゃあ、忘れていることもある。思い出しながら、記憶の再構成。

お嫁ちゃんが作ってくれただるまリンゴ。

上半分を手前でカット、一部を口に。目は種に。

旧大朝町のテングシデ。クマシデの変異種。

2、3年前かな。少しだけ作って、元旦には食べきる。

お皿は転写紙(シール)で絵付け。

ドイツから来た18歳のお嬢ちゃんに振袖着せることになり、階段の手すりでふくら雀の練習。

だって息子ばかりで、人に着物着せたことないんですもの。

尾道の海の見える食事処。

昨秋行くとなくなっていた。コロナ禍もここまで。

水彩画のサークルにいたころ、写真貰って鳥取県の投入堂を描く。

山口県長門市。元乃隅稲荷神社。三年くらい前。行く道は狭く大渋滞。

広島からは日帰り圏。

2015年3月、緑井の権現山へ。前年の土砂災害の痕。

2012年。ドイツ、マイセンで。

ペインターはお皿に十文字を描き、そのあとは下書きなしでスラスラと。

従妹がオーストラリアへ旅行。

ちょうど10年前の元旦。変なもの好きな三男に連れられて、山口県山中のオブジェ見に行く。

二人は宇宙人ではなくて地球人。しかも知っている人。

餅担ぎをして孫娘を泣かせる。

泣き顔を見て喜ぶ大人。

2013年1月、三男が盲腸炎から腹膜炎を起こし、即日手術。

前年結婚したばかりのお嫁ちゃんとその両親が立ち会ってくれた。

感謝。

翌日駆けつける母。


これは昨日。

ポチっと着物買いましょう。

塩瀬の帯。桜の季節しか締められない。

何回締められるか、それは運命の神様しか知らない。

寒いのでお出かけしていません。この項、しばらく続く。

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web上の写真整理

2021-01-19 | 日記

10年くらい前から、従妹との連絡に画像掲示板を使っていた。その時々の家族の写真なども上げていたので、今振り返るとその間の自分史になっている。

今はラインで連絡とり合っているので使ってないけど、写真は取り出しやすいのでたまに見る。孫は幼く、私はちょっとだけ若い。

お見苦しいのですが、自分の整理のため。何卒ご容赦を。

柳井の雑貨屋で買う。ネットでも取り寄せられるそうで。

7、8年前、平安神宮近くの会館で染め物体験。

スカーフの最後の金を置くところは職人さんがしてくれる。

鮮やかな手つき!!

法事。姑様主催、何の法事だったか忘れた。不出来な老嫁。

江戸小紋に黒白リバーシブルの法事用帯。地紋は鞘型。

舅様の七回忌だったかな。もう白い帯がいいような気がして。

お義母さーーーん。もう一年近く会えてない。実母にも会えてない。

二人とも私のこと忘れているかも。

2013年夏、ひ孫を抱く。

年の差はちょうど90歳。

せめてこの時にでも藍染の展示してあげたかった。あんないいものあるって全然知らなかったので。遠慮して固辞するかもしれないけど。

ひ孫を抱かせてあげられてよかった・・・

私は抱けるかな。うんと長生きしよう、うん。

弟の真似して寝たふりしています。

私も可愛いって言って欲しい・・・

これは三男。自動車一筋。動力は足。

6年生。日帰りで名古屋へ連れていく。

就職二年目。親二人を車に乗せて連れて行ってくれた。

息子のブログ、たまたま見つけてフォローしている。

昨年、中古のフェラーリ買ったらしい。子供がいないので車が子供変わり。それもまあ人生。


夏に一度はギザミ(標準和名キュウセン)を食べたい。瀬戸内海でよく獲れる。関東の人はあまり食べないらしい。

白身でおいしい。

父がよく釣ってきていた。

しかし、従妹は嫁入りまで食べたことない、熱帯魚みたいで気持ち悪いと話していた。家によってそれぞれ。


きょうは午前中、納税事務を頑張った。例によって謎の振込数件。ネットバンキングもよし悪し。

一年を締めてわかったことは、コロナで大変だったけど、経費も節約して、結果としては一昨年よりはよかったかな。

しかしまだまだ先が見えません。とにかくコロナにかからずに、毎日を過ごしていくこと。それで先も見えてくるでしょう。

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20日で1キロ減、ダイエット究極の方法とは

2021-01-19 | 日記

孫娘に道具借り、髪を留めるシュシュを作る。

ピンクが10歳用、地味なのは私。


タイトル通り、この20日間で1キロ減量した。

コツというのは特になくて、料理をなるだけしなかっただけ。

お節料理も全然作らず、そのあとも必要最小限を作っている。

たいてい一品。すき焼きとか豚汁とか。あとはあるものをテキトーに足して済ませる。それでも全然お腹もすかず、気が付くと1キロ減っていた。

一緒に食べるのもやめて、作っておいて各自都合のいい時に食べ、各自で食器を洗う。台所仕事は激減。食事時に夫が大きな音でテレビを見るのに付き合う、そのストレスからも解放された。やれやれ。

私も年取ったせいか、賑やかな音にとても疲れる。静かなのが一番心が落ち着く。

おやまあ、これはダイエットとは別件でしたね。下り坂の我が人生、これからは緩やかな引き算の暮らしを心がけたいものです。

作るから食べる。作らないと食べられない。単純で究極のダイエット。ずっと続くといいんだけど。

 

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貧乏だったころの思い出

2021-01-18 | 日記

広島では有名な女医先生のブログを時々拝見しています。

最近は、研修医時代の金銭的に大変だった時代のお話もあり、たいそう身につまされました。

先生とは同世代。そう、我が家も貧乏でした。

卒業後の大学病院勤めが、無給のインターンから研修医と制度が変わり、少しだけ給料が出るようになったころでした。二年間、関連病院へ出たときにはそれなりの額をいただいたのですが、再び大学病院に戻って医局員だったころは生活はぎりぎりでしたね。

私も働けばよかったのですが、幼児二人、夫の帰宅は深夜、実家は遠い、隣の義理の親にも頼めないので無理、・・・それでも本当に困ったら何とかしたと思いますが、とにかく節約して乗り切るしかなかった。

医局員は、今はどうか知りませんが、一日ごとの契約の日給月給制だったように記憶しています。2月が一番給料が少なく、次いで9月でしたか。当然、賞与はありません。

住んでいたのは、義父の土地の上に、二年間の貯金+住宅ローンを組んで建てた家。その家を増改築しながら、もう43年住んでいます。家があったからまあ何とか乗り切れたのかもしれません。

子供の服もデパートで高価なのは買えないので、下着や靴下以外は自分で生地買って縫っていましたね。子供のコートなどもミシンで。ついでに自分の服も。買えないなら買えないなりに工夫するのでまあ楽しかったのですが。

ある年の年末、たまっていた本代支払ったからと、わずかしか夫からお金をもらえないことがありました。その話を実母にすると、8万円くれて、あれは助かりました。そしてあの8万円、いまだ返していません。お母さん、ごめん。そしてありがとう。


夫は大学に残って研究を続けるつもりでしたが、助手が別の人になり、関連機関へ移って研究を続けていたようです。このころは殆ど家にいないので殆ど話をしていません。給料は世間並みになって、やっと一息、そこにいるときに学位をもらい、また関連病院に出て、それから40歳の直前に義父の建物を貸してもらって、自営業へと変わったのでした。

この頃、地元の同人雑誌で小説書いていたのですが、ある人の作品に「大学時代の給料貯めて開業資金にした」と言う一節が。たぶんそれはないと思う。言おうかと思ったけど、書いたのが怖い人なのでやめておいた。

数年前、私立大学の病院で、無給で診療しているドクターがいるとテレビ番組で知った。徒弟制度のような悪しき風習が、いまだ一部に残っているのでしょうか。働かせて給料出さないなんて、ちょっと信じられない思いでした。

今は新型コロナの蔓延で、現場で働く人は使命感が支えと思いますが、こちらも手厚く報酬を出してほしいと思います。

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広島市民80万人にPCR検査の計画

2021-01-17 | 日記

広島市役所本庁舎。市のサイトからお借りしました。


広島80万人に無料PCR検査検討 県、市中心部の住民・就業者対象 | 中国新聞デジタル (chugoku-np.co.jp)

日本では三密回避ですが、中国では三早、すなわち早期診断、早期隔離、早期治療で新型コロナウィルスの蔓延を防止しているようです。

やはり初めに元から絶たないと、蔓延はなかなか防げないのではないでしょうか。

昨年春、とにかくPCR検査をと言っていたコメンテーターはことごとくテレビに出なくなりました。

政府や自治体でも対策いろいろしていると思いますが、無料検査は、市民としては大変心強く、有難いと思います。

ただ、予算、手間、ホテルの確保など、問題は山積しているようです。

陰性と診断されて安心、人と遊びまくったのちに陽性になることもあると心配の声もありますが、それは診断の後も用心するように広報を徹底することである程度防げるのではと思います。

さて、来月開始が目途のようですが、私は率先して受けたいと思います。子宮がん検診なんかよりはうんと楽のはずです。40代に手術で子宮とったので、あの検診からは解放されましたが。。。。

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孫が来て年末みたいな一月

2021-01-16 | 日記

長男の古いアルバムをお嫁ちゃんに渡す。

明日は阪神淡路大震災から26年。

1995年3月、東京の友達を訪ねるとき、神戸市内、鉄道代行の広電バスに乗った、その時の写真のようです。

もみじ饅頭にひろしま国体。車外を呆然と見る乗客の方。


孫たちが来るので急いでお餅を作る。

3合で14個。すでに1個ばあちゃんが食べた。

リリアン持参。

プラスティックでよく滑り難しい。

昔はね、木の枠に釘打って、金属の針。

へえ、そうなんですか~

昔話なら任せといて。一つ一つに喚起される思い出がある。

きょうは荷物が多い。バッグは年末、私がカスタマイズ。今日は毛糸で編んだ紐をショルダーベルトにして付けた。

孫二人が年末の紅白の録画を見まくる。つられて祖父母も見る。孫は一緒に歌い踊る。にぎやか。一月も半ばすぎて年末みたいな賑やかさ。


1/2に書いた一年生のクイズ。

勝手に漢字憶えている。とお姉ちゃんはご立腹の様子。弟をほめると機嫌が悪い。

小さい声で褒めても**ちゃんには聞こえているんだよと、弟も気を遣う。

書き順って大切。正しい描き順できれいに書ける。

お父さんも漢字好き。二人で遊んでいるらしい。

旧字体(本字)って、ほとんど知らない私。漢和辞典、もう捨てたし。

きょうは、息子は庭の手入れをしているそうで、来なかった。

帰り際、「きれいなおばあちゃんのこと忘れないでね」と言うと、「きれいじゃないけど憶えているよ」と言って帰って行った。

次はいつ来るのかなあ。

リリアンでこの他にシュシュを作り、道具置いて帰った。次までに色違いで作る予定。

昔の縄跳びの持ち手みたいな木の道具、もうないのでしょうね。残念。

学校の門の横に文房具屋があって、おもちゃも売っていた。セットで10円くらい。

糸は別売りで一本1円くらいだったかな。学校へもっていって、休み時間に編んでいた。昔の女の子は手芸の真似事が遊びだった。。。。というような話をお嫁ちゃんにした。

お嫁ちゃんは進物解体品を買ったのでと、マスの切り身をたくさん持ってきてくれた。いただきます。

と、にぎやかな土曜日でした。

 

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染と織りの縁、今日も友達が来た

2021-01-15 | 日記

昨日、今日と15度くらいの暖かい日。

今日も遠くの友達がわざわざ、二人展、見に来てくれた。

見方もひとそれぞれ個性的って、今回初めて分かった。

今日の友達はじっくりと解説を聞いてくれて、作り方にも興味持ってくれたのが意外だった。

私の友達で唯一、獣医師資格を持つ豪放磊落な人と思っていたけど、細かなところまで考える几帳面な一面も見て、人っていろんな面があるのだなあと改めて思った。

これも姑様の藍染と、私の織物の引き寄せた縁だと思うと、改めて、思い切って展示してよかったなあと思った。

それに今回はいろんな意味でとても楽。

会場費、無料。会場にいなくていい。場所は広い。人に案内するのにも分かりやすい。搬出入、銀行の方がお手伝いしてくれる。などなど。

次は三年後と別の友達に言ったら、2年後にはしてほしい、今回もみんなに宣伝して、あと2、3回は見に行くと言ってもらった。

人に見せることの効用を感じました。

よし、コロナでどこへも行けないので、残り糸でちまちま織るのではなく、その都度糸を多めに買って、気合入れていろいろ織ってみたいと思った。

4枚綜絖でも、まだまだ織ってない柄は無数にある。織り柄無限、人生は有限。どこまでやれるか、やれるまではやろうと思う。


80年代、NHKのドキュメンタリー「シルクロード」で、面白い画像があった。

ん、どこかなカトマンズ?高原のレ―という街の街角で・・・

機織りをする老人がいる。

流しの機織り老人。街角に織り機を据えて、注文で布を織るそうで。

その織機がろくろ式の4枚綜絖、私の織機と構造は全くおんなじ。

踏み木は4本。どんな織り目になるんでしょうか。

手前は糸をつむぐ女性。娘かお孫さん?

結構な収入になるそうで。

いいなあ、私も流しで機織りしてみたい。ここまで工業化が進むと、織り目の揃ってない布など、見向きもされないだろうけど。

今日展示見ていて、間違っているところを発見。ああ恥ずかしい。

だから次は頑張ります。

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暖かい日、青春の地をさまよう

2021-01-14 | 日記

銀行ロビーの二人展のこと、友達知り合いに知らせたら、反応それぞれ。遠くの人はやはり来にくそうで、近くの人ほどいい反応。

知らせたのはメール、ライン、ポスティングなど。

お隣の人が、その日の夕方にはわざわざ感想言いに来てくれたのが嬉しかった。がん闘病中の友達が遠くから来たのもウルっとした。

今回のことがきっかけで以前の知り合いの人がライン友達になり、ついでにYou Tubeのチャンネル教えてもらったので私も教えた。

それはこちらです。wsx qaz - YouTube

今は熱が醒めて放置しています。

自画像はこれを使っていたのに、きょうパスワード再設定したりするうち消えてしまった。残念。

あるレンタル日記のお絵かき機能で描いた三男の絵。

座布団二つに折りたたんで枕の代わり、ぬいぐるみ顔に載せてコタツでまったり。

 


きょうはお天気よくて暖かいので昼過ぎ出かけた。美術館へ行く予定だったけど、途中で昼ご飯食べるともう行く気なくして、そこらへん歩いて帰って来た。

そこら辺とはここら辺。

東千田町、大学跡。

フェニックスは寒さに弱いので、東広島市の移転先へ行かずに市内残留。

メタセコイヤ。

フリマもなくなって、東千田公園と名が変わった大学敷地はひっそりとしています。

タワマンは三棟、スーパーなど商業施設も。

鷹野橋の角の洋菓子屋さん。

学生のころは「房州」という喫茶店で、コンパの後の二次会でよく行った店。

オーナーの息子さんがフランスへ菓子修行に行き、フランス人を連れて帰ってお嫁さんにしたのは当時、地方紙にも載った。本店は舟入にあって、いい感じのお店です。

数年前本店に行った時には、マダムが店に出ていて、フランス人のお客さん同士、フランス語で話していた。うわあ・・・フランスみたいと驚く。

鷹野橋は、昔、橋が架かっていたそうで。

今の電車通りが川で、河口付近。藩主、お鷹狩りの地。

右手、ダイソーの向こうのぶらじるは今も同じ名前で同じ場所に。

ここもよく行った。数年前行ってみると、お客さんも年配の人が多かった。

奥の中庭の見える席が落ち着きます。

谷沢楽花園は花屋さん。美術部の先輩のご実家。

オバマさんが慰霊碑に供えた花輪はこちらの店が作ったそうです。

裏へ廻るとマンション工事。

元、鷹野橋公設市場の付近。

帰ります。向こうの左右の道路が昔の川筋。大正時代、電車が通るので埋められた。

タクシーの通る道は御幸橋への近道で、今のそごう付近の広島西練兵場から、宇品港(写真だと左手前)へ兵員を送るために造られた・・・と聞いた気がします。


家の近くまで帰ったら、また近所の人に二人展見ましたとあいさつしてもらう。

がんばってくださいねって、あちらは励ましてくれたんでしょうが、なんか違和感が。そう、上から目線。

昨日の友達、「みんな頑張れって言うけど、もうせいいっぱいなのに、これ以上、何を頑張ればいいのかと思ってしまう」と話していた。

「**さん(=私)は頑張れって言わないから楽」とのこと。

「頑張るより、先生の言うこと聞いて淡々と毎日を過ごせばいいんじゃないの。先のことを先回りして心配しない方がいいと思う」と私は言う。

最近はがん告知も単刀直入、はっきりと言うそうで。そうですよね、依るらしむべし知らしむべからずでは、治療は成り立ちません。

昔は知らさずに、隠し通すのが苦労で、そのぶん患者さんは疑心暗鬼になるし、ドクターはいちいち嘘つかないといけないし、家族と別れの言葉も交わせないし、死後の段取りもできないし。

それは治療成績が悪くて死亡率高かった時代だからでしょうか。今は患者さんも一緒になって治療する時代。知った時は落ち込むけど、気を取り直して治療に前向きになれる。理想ですが、告知にはその効用もあるのでは。

 

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有朋自遠方来、不亦楽乎=友達と長話

2021-01-13 | 日記

近くのホテル、ロビーの飾り。2019年1月。


本日、以前に植物観察会で一緒だった友人が二人展に来てくれた。

昨春、水彩画見に来てくれることになっていたけど、コロナで中止、会うのは三年ぶりくらい。

作品見るのはあっという間で、それから近くのコンビニのイートインコーナーで話をする。

近くの喫茶店が廃業して久しいけど、コンビニがその代わりで気楽に話せてよかった。もちろん、飲み物はさっさと飲み、あとはマスクしてましたよう~

夫婦関係、老後のこと、介護の体験、昔の知り合いだった人のあれこれ、など話題は多岐にわたり、結局、毎日自分で楽しいことを見つけて、一日一日楽しもうねという結論に。

彼女は今闘病中、近々何クール目かの治療で短期に入院、きょうはウィッグに帽子。でも元気いっぱいだった。

三月の水彩画、見に来てもらう約束したけど、「それまで生きてたらねぇ」と明るく笑う。そんなあ・・・と思う私。いえいえ、そう思う私の方が、明日何があるか分からない。それがこの世の定め。

今日髪をとかしながら、このパーマ当ててくれた美容師さんはもうあちらへ行ってしまったのだと思った。

これからそんなことが増えるんだと思うと、いっそう毎日を大切にしなければと思った。


そのあとスーパーへ行くと、年末、訪ねて行った友達のご主人に会った。

大きな冷凍の海老を買われていて、家内が好きなので茹でて食べさせるって、友達が認知症になったのはとっても気の毒だけど、優しいご主人で幸せだなあと思った私。

健康なのは当たり前ではない。健康だとついその有り難さを忘れているけど、健康に感謝しつつ、自分の役割を全うしなければと思った。

とりあえずは申告事務。役割、全然果たせてません。というか追い込まれないとやらない悪いくせ。展示の朝、まだ作品出来てなかったのと同じで、まあなんとか節分までには仕上げて税理士さんへ。そのあと、毎年ならたくさんあるひな人形出して、人を呼んで家の中でひな巡りするんだけど、今年はどうしますかねぇ。呼んでも来ないかも。


税理士さんは、30歳代、というからもう30年以上前、小説を書くサークルで知り合ったご縁でお願いしている。奥さんも同じサークルだった。昨年資料届けて帰っていたら奥さんが後から追いかけてきて、「今書いてないのは才能あるのにもったいない」と言ってもらったけど、自分より下手な人に言ってもらいたくないと、そこのところだけはあくまでも強気な私。

夫が家に全然いないので、三人の子育ての中でふつふつと沸き起こる思いを文字にしていたんですよね。あの頃ブログがあれば、あんなめんどくさいことしてなかったかもしれない。

人は言葉によって自分を励まし、言葉を発して人とつながって行ける。無口、おしゃべりはそれぞれの性格だけど、人の話はよく聞き、自分の思いも話してこそ、元気に生きて行けるのでは。これは無口な一番身近な男性に言いたい。

言葉は大切。闘病中の友達と話して特にそう思った。コロナが怖いので広島駅近くの家まで歩いて帰るというので、途中まで一緒に行った。

小さな八百屋さんで、彼女はスイセン一束とミカン、私はクレソンとブロッコリーを買った。あれこれ話しながら、女のささやかな買い物。ちょっと嬉しかった。

春までは大丈夫、また会いたい。そうあってほしいと強く思った。涙。

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いゃあ面白い、読んだ本とこれから読む本

2021-01-12 | 読書

つい最近まで、読んだ本の一冊ずつ、感想をここに書いていたけど面倒になってとりあえずまとめて。

他にも読みかけがあった。写真撮るの忘れている。

貧乏物語は、2016年発刊。各界の有名人が、自分の貧乏物語を語っている。

いろいろと面白かったけれど、評論家の佐高信氏が、東北から慶応大学に進学して本当のお金持ちを知った話が面白かった。東京都心、駅に近い場所に広い屋敷があり、テニスコートが二面あるとか。

野呂栄太郎、野坂参三が慶応出身なのもうなずけると佐高氏。野呂栄太郎は講座派でしたか。20歳ころ日本資本主義発達史とか、この私も時代の風潮で読みましたが、(自慢モード?しかし何の自慢?変わり者と思われるだけ)、資本論に似た激烈な文体、なかなか面白く読みました。野呂栄太郎も若く、日本の資本主義も若かった。あの本はもう捨てた。

最近、資本論が文庫で出ていることを知り、そういえば昔からあったと思い、一巻だけ読めば神髄はそこにあるのでいいそうで、変わり者ついでに読むかな・・・読まないかな。

マルクスはドイツ南部トリア―の出身。2015年、トリア―に行った時は、マルクスの住んでいた家は城門近くで1ユーロショップになっていた。日本ならダイソーとかですよね。石造りの家はつくづくと長持ち。


この中で特に面白く読んだのは「夫に死んでほしい妻たち」

いゃあ、身も蓋もないタイトル。ルポルタージュですが、今の時代は女性も働くのが普通。しかも家事育児は女性に負担がかかりがち。片や夫は妻のサービスを受けつつ、会社の中で男であるだけで、女性より有利に扱われる。妻の怨念は深い。

で、そんな気の利かない男を育てたのは私たちの世代の女である。

多くの人が専業主婦になり、家事子育て一人でして、家に閉じ込めらていた世代。男の子も生活面で自立をと思っても、家庭内で親がそのモデルを示していないので、どうしていいか分からない。そんな感じかと思う。

ここはひとつ、遠慮なくしつけてもらって結構。と、自分の責任放棄して言ってみます。ごめんなさい。よろしくお願いします。


で、退職後の世代でが、離婚すると世帯が二つに分かれ、年金分割してもお互い生活が厳しくなる場合がほとんど。

それよりは死ぬのを待った方が現実的。だそうです。なるほど。待つ間に自分が先死ぬリスクもあるけれど、年取ってから名前は替えなくていいけど、住居、交友関係を失うのはデメリット多すぎ。

そう思って過ごしている人も多いかもしれませんね。

「私だけ夫がいると妻愚痴る」と言う川柳がありますが、夫のいる私はそれを笑ってはいけない、寡婦の人の思いを想像しなければと思いました。

この中で、腹立つときは夫の歯ブラシでトイレ掃除してまた元に戻しておく。というのに笑いました。大腸菌うようよ、でも大腸菌はどこにでもいるので案外大丈夫でしょう。

この私も、若いころ、夫が仕事とはいえ、ずっと26時ころ帰宅には頭に来て、帰ってから夕食食べるので、ご飯を半分にして塩を思いっきりかけ、またご飯被せて出したことがあります。

平気な顔して食べているので、この人の味覚は・・・と呆れたものです。

同僚の方は、ご飯、おかず、味噌汁、全部ボウルに入れられて、はいどうぞと出されたとか。猫まんまや。

このころは放影研で、通常の勤務のあと、自分の研究していたんですよね。夕方から・・・実験?結果が出るまでは帰れませんよね。

深夜と未明の間、帰宅途中、パトカーに不審尋問されたこともあったそう。勤め先を言うと「ああ、放射能の研究ですか」と無罪放免になったそうで。

このころ生まれた三男はめったに会わないお父さん見て、泣きまくり。家庭内不審者。

すみません、本の感想から離れて、自分の思いを供養しました。

 

コメント (6)
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