里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

「古希」に思う

2019年01月03日 | 水墨画:草花
本画仙 色紙



 紅梅の墨彩画に、「人生七十古来稀」と書き加えてみました。
 年が明け、私は古希を迎えることとなりました。数え七十歳です。
 古希は、唐の詩人杜甫の詩の一節、「人生七十古来稀なり」に由来するといいます。昔々の七十歳と言えば今の百歳にも相当するでしょうか。
 そもそも杜甫はこの詩の中で「自分の往くところ酒代のツケはどこにでもあるから珍しくもない。人が百歳まで生きるのは古くから甚だ稀なことだ。だから、せめて生きている間は酒など飲んで楽しく暮らしたい。」と言うのが本来の趣旨だそうですから、長寿を祝す古希(古稀)とはやや異なるようです。
 さて、よく「私は昨日古希になりました」とか「今月古希を迎えます」という言う方をされる方がいます。多分に満70歳の誕生日のことを指しているのですが、それでいいではないかと言ってしまえばそれまでですが、ちょっと違う気がします。
 実際にお祝いするのは誕生日でも一向にかまいませんし、その方が多いかもしれませんが、古来からの古希、喜寿、傘寿、米寿といった言い回しをする場合は、数え年でないとおかしいのではないでしょうか。そうでなければ、満○○歳という言い方をするのが正しいと思います。
 ところで、私には古希について。少々の思いがあります。
 というのは、父がまさに古希に亡くなったことです。その年を迎えた時には、すでに余命何ヶ月という病床にありましたから、祝うという状況にはありませんでした。そして、満69歳の誕生日が過ぎて程なく逝ったのです。それから丸24年が経過し、私自身が同年になったのですから多少の感慨があります。
 ちなみに。祖父は私が物心つく前に亡くなり、古希を迎えることはありませんでした。
 そんなわけで、かなり前から古希をなんとなく意識し、それを超すのが目標の一つになっていました。幸い、今のところ致命的な病は抱えていないので、不慮のことがなければ乗り越えられそうです。
 穏やかだった3が日のような日々が1年間続いてくれることを祈りたいものです。

穏やかな三が日~しめ縄は無事

2019年01月03日 | 暮らし


鎮守の神社の様子を見に来ました。
穏やかな三が日でよかったです。風は少し吹いているので、しめ縄の紙は少々裂けてはいますが、もってくれました。



何はともあれ、世話人としては一安心。幸先のいい年明けとなりました。
再び、お参りしました。
この三が日のように、安寧な1年でありますように。