里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

築130年の古民家~屋根裏

2019年02月13日 | いえ

 築130年の古民家を見るには、屋根裏を見てみるのが一番です。
 しばらくぶりで、屋根裏に上ってみました。巨大な梁や桁、柱などを見ることができます。 
 湾曲した木材を生かした梁。梁は張りからきたとも言われるようなのですが、なるほどと実感できます。ちょうなでけずった柱や梁は、ここに上らないと見ることができません。
 屋根を直した際の木材の色と黒くなった柱や梁の色の違いがよく分かります。。






 材料同士ががっちり組んでおり、昔の匠の技がしのばれます。
 幼少の頃、居間や台所では、直接これが見られたわけです。

 これは、表からは隠れてしまいましたが、大黒柱です。太さは測らないでしまいましたが、30センチ、いわゆる1尺はあります。

 大黒柱と梁の繋ぎ部分と思います。

 近年、屋根裏の梁や柱を敢えて隠さず、古民家をそのまま生かしたリフォームも行われ、いいなと思うこともありますが、今となっては詮ないことですし、経済的に無理というものです。
 2011年3月11日の東日本大震災では、全く無傷とはいきませんでしたが、瓦もほぼ大丈夫でしたし、致命的な被害は免れました。ここの地盤が硬いこともありますが、近隣の新しい家でも瓦がみんな落ちたというお宅や大規模半壊のお宅もある中、築130年の家でも丈夫なことが実証されたようです。

チンゲンサイは小さくなった

2019年02月13日 | 畑:葉菜類



チンゲンサイの今の姿です。



 チンゲンサイも消費しきれずに、100株以上は残っているでしょう。
 外葉は大分黄色になり、芯に近い部分の小さい葉が青く残っています。



 外葉の黄色い葉をはずすとこんな感じになってしまうのはやむを得ません。



 チンゲンサイの芯葉を広げてみると、肉眼で花芽を確認できます。例年と比べるとかなり早い感じです。





 これからトウが伸びてきますが、チンゲンサイのトウはイマイチなので、ほとんど食べられることなく終わってしまいます。ということで、できるだけ今のうちに収穫したいところではありますが、好んで食べる人が少ないようです。


築130年の古民家~梁と柱

2019年02月12日 | いえ
築130年の家を室内で見るには、梁と柱です。

 室内のリフォームで私が分かるのは、まず、屋根を茅葺からセメント瓦に変えた時に同時に行った60年近く前のリフォーム。リフォームは現代の言葉ですから改築と言うべきでしょうか。
 それまでは、居間から台所まで大きな土間があり、天井はなく屋根裏の梁や柱などはむき出しでした。居間と台所の土間の中間には、太く黒光りした大黒柱が存在感を放っていました。もちろん、居間には囲炉裏、台所にはかまどで、板の間でした。
 そこに、居間と台所の一部に天井を付けたのですが、土間は小さくなったものの、居間にも台所にもコンクリートのタタキを打ってまだ残っていました。
 この時に新しい柱もできたのですが、その一つがこちらのケヤキの柱です。太さは6寸角。18センチです。
 
 この柱も、60年の年月を経て相当貫禄が出ています。ここが、床と土間の境目でした。
 次のリフォームは屋根を三州瓦に変えたのと同時に行った37年前。
 土間は台所に一部だけ残してあとはなくなり、そこに新しい部屋が一つできました。
 居間から上段の間までも大きくリフォームされました。私が生まれる前の話しですが、養蚕も行っていたようで、天井の低い半二階のような構造でしたが、これを取り払い、新たな高い天井が作られ完全な平屋となりました。
ここまでは、父がやったことです。次のリフォームは父が亡くなった後、23年前に行ったリフォーム。これは私がやりました。
 表側の座敷はあまり変えることなく、裏側の部屋と台所ほか水回りを中心にリフォームしました。ここで、土間は完全に消えました。
 一貫して言えることは、基本となる梁や柱などの構造は、何ら変えていないということです。これは、至る所に見ることができます。
 これらは、建てられた当時から残っている梁。というか、溝を切って敷居と対になっているので鴨居の役目も負っています。



 これは、リフォームした時に、綺麗に見せるため表面側だけを削ったので、戸を立てる面は黒いまま残っています。

 これは、片側の表面に薄い板を貼り合わせて、新しく見せたものですが、貼り合わせたのが分かるでしょうか。たいした技術です。鴨居としての面も削られて綺麗になっていますが、溝だけは黒いまま残っています。
 梁寸法は、測ってみると28センチ。昔風に言うと9寸ありました。


 柱も黒光りした柱で、現代とは違う形のものが残っています。これらは、構造上、手をかけることが難しかったのでしょう。大黒柱は表面からは隠れてしまいました。







 なお、私が、生まれる前も確実にリフォームは行われているはずです。というのは、神棚は私が生まれる前からのものですが、明らかに他の作りとは違っていましたし、奥の座敷も違っていたので、少なくとも1回以上リフォームされているのは間違いありません。

ターサイの今の姿は

2019年02月12日 | 畑:葉菜類



 ターサイの今の姿です。



 外葉の大きい葉はほとんど枯れ、芯に近い小さい葉だけが残っている状態です。
 最近は他の野菜に嗜好がいき、あまり収穫されていません。100株をはるかに超える数が残されたままになっています。毎年のことながら、たくさん残されたまま終了となるでしょう。



 今年は、暖かい日が多いので、肉眼でも花芽が見えてきました。





 これから春に向かってトウが伸びてきます。ターサイのトウは体は大きくなりませんが、軟らかくおいしいので茎立ち菜(トウ立ち菜)として食べられます。


築130年の古民家~礎石

2019年02月11日 | いえ
「いえ」というカテゴリーを設定したのは、家に関することを少し記録しておこうと思ったからですが、全く実践していません。ということで、まずは3回ほど書いてみたいと思います。


 我が家が築130年の家だというと、たいがいの方が意外な顔をされます。一見そんなに古い家とは見えないからだと思います。もちろん、今の姿の家がそのまま当時からあったわけではありません。リフォームを何回か重ねていますが、本体の構造は建てられた当時から変わっていないと言うことです。
 なぜ築130年と分かるのか。それは、37年前に亡くなった祖母が生まれたときには、すでに現在の家があったということがはっきりしているからです。これは私が祖母から直接聞いたことです。祖母が生まれたのは明治25年で、仮に存命ならば127歳と言うことになります。ですから、正確には築127年超の家です。それより何年前なのかは分かりませんので、ざっと130年前としておきます。父が存命ならば、あるいはもっと正確に分かっていたのかもしれませんが、今となっては確認できません。
 私が幼少の頃は屋根は茅葺で、家の中には大きな土間がありました。茅葺屋根が瓦に変わったのは、私が小学校高学年の時。60年近く前ということになります。大勢の親戚や近隣の方の手伝いのもと作業が進められたことをよく憶えています。
 この時の瓦はセメント瓦で、その後、37年前に今の三州瓦になり、外観そのものもほぼ現在の姿になりました。


 ところで、この家には今で言う基礎はありません。リフォームされて、いかにもコンクリート基礎があるかのように見えると思います。


 しかし、家自体がコンクリートの布基礎にのっているわけではないのです。
 大きな石にのっているのです。いわゆる礎石です。
 外観的にはコンクリートや外壁で覆われているので確認するのが難しいですが、その痕跡が分かるのがこちら。 

 ここは、以前地下水をくみ上げるポンプを設置していたところです。ポンプが壊れてからは使用しないことにして撤去しました。右端にポンプから配管されていた立ち上がりがまだ残っているのが分かります。
 近くで見るとこのようになっています。

 物理的に隠すことが難しかったらしく、礎石が確認できます。
 このような礎石が沢山あってその上に建物がのっているわけです。いわば、巧妙に組まれた建物の重量とこの礎石で家は保たれているのです。