私の親父の兄貴は
浜松市内で歯科医院をやっていました。
その兄貴が戦時中、浜松市の
田舎へ疎開していました。
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そして敗戦を迎えて
戦災で焼け野原になってしまった
浜松市内の医院の跡地に
復興住宅が建ちました。
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市内のその住所は
元魚町(もとうおちょう)です。
その焼け野原の跡地に
2400円というバラックの平屋が
建っていました。
その2400円というのが
何を意味するのか私には
判りませんでした
… … …
満州新京から、引き揚げてきた
私たち5人家族は、浜松で
新しい住まいが見つかって
戦後の日本でやっと、
住み始めることになりました。