満州新京から長い道程と時間を
かけて、はるばる日本の浜松へ
引き揚げてきました…
私たち家族は誰も病気にならないで
無事、帰国できました…
私たちが満州で乗車した貨物列車が
途中、奉天(ほうてん=現・瀋陽) で
朝鮮半島を通って帰るかまた、真っ直ぐ
進んで葫蘆島(ころとう)から船で帰ると
大人達が議論していました。結局私たちは
葫蘆島経由、信濃丸で帰国したのです。
… … …
後でわかったことですが、朝鮮半島経由で
引き揚げた連中は、悲惨な目に遭ったと
噂で聞きました…。
… … …
私たち家族は、親父の故郷、浜松で
久しぶりに、落ち着いた生活が始まりました。
そして、小学校(国民学校) 六年生の夏に、敗戦で
学校は無くなり、先生方の消息もわからなくなって
私の勉強は、六年生の夏で中断してしまいました。
そして次の中学校も敗戦でありません…
小学校六年生の夏から中学一年生?の夏までの
ブランクをどうするか、ということになりました。