親父は日本の映画界に復帰する
ために京都へまた、東京へ
出掛けていました…
浜松のバラックの新居には私と
弟2人に母親の4人で生活して
いました…
… … …
私の日本での復学問題にどうしても
静岡県庁へ行かなくてはなりません
4人で行くと旅費も大変ですどうするか?
そこで母親は私に「悪いけど、あんた一人で
行ってくれない!」ということになりました。
… … …
13歳の私は一人で、親戚の戸谷の叔母さん宛の
手紙を持って、国鉄浜松駅から電車か汽車に乗って
静岡へ出発しました。
その時の私は呑気なのか、別に恐いとも思わないで
気楽に国鉄静岡駅に向かいました。
… … …
到着した静岡は浜松同様、戦災の後、
復興の市街でした…
静岡駅からどうして行ったのか覚えて
いませんが、焼け残ったのか
戸谷(とだに) と表札のかかった邸宅に
たどり着きました…。
添付の写真は現在の静岡県です