経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園4

2014-12-31 17:24:35 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園4





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
 

 

月華殿と天授院



月華殿

[重要文化財]

  1603年(慶長8年)に、初代徳川家康により、京都伏見城内に建てられたものといわれる建物を、1918年(大正7年)に春草廬と共に移築されました。三溪が建てた金毛窟とつながっています。
 非公開の障壁画は、桃山時代の画家 海北友松(かいほうゆうしょう)によるものと伝えられています。(公式サイトを参照して作成)


白雲亭裏から右手に登りきったところに
月華殿があります。



金毛窟


 1918年(大正7年)に、三溪が建てた
一畳台目(いちじょうだいめ)の
極小の茶室があります。
 金毛窟という名は、
床柱に京都大徳寺の山門であります
金毛閣の高欄の架木を
使用していることにちなみます。
(公式サイトを参照して作成)



金毛窟


金毛窟

奥に見えるのが一畳台目茶室



月華殿と金毛窟の間に立つ石灯籠



天授院

[重要文化財]

 1651年(慶安4年)建築され、
もともとは、建長寺の近くにあった
心平寺の地蔵堂です。
1916年(大正5年)に現地に移築されました。
建築様式は禅宗様を主体としています。
 三溪園では、
原家の持仏堂とされました。
(公式サイトを参照して作成)


天授院 [重要文化財]


春草廬

[重要文化財]

桃山時代の建築で、
三畳台目の小間茶室は、
織田有楽斎の作品と伝えられています。
茶室内に九つの窓があることから、
かつて"九窓亭"と
呼ばれていました。
多くの窓を持つもので、華やかな茶室です。
(公式サイトを参照して作成)
 神奈川県横浜市 三溪園1   大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2  白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3  臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4   旧天瑞寺 春草廬
 
旧燈明寺三重塔 三渓記念館

 


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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園5

2014-12-30 17:23:25 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園5





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
 

 

臨春閣 1


 桃山時代、豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘である「巌出御殿(いわでごてん)」ではないかと考えられています。1649年(慶安2年)に建築されました。

 内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。

 部屋の境にある欄間には、波の彫刻(第一屋)や、和歌を書いた色紙(第二屋)をはめ込むなどの工夫が凝らされています。 なかでも面白いのは、第三屋「天楽の間」にある欄間で、ここには、雅楽に馴染み深い笙と笛など本物の楽器があしらわれています。

 紀州から徳川家8代将軍となった徳川吉宗は幼少期、巌出御殿に遊び育ちました。

【 注 】障壁画は複製画で、原本は園内の三溪記念館で収蔵し定期的に展示を行っています。


三渓記念館側から臨む臨春閣


京都の高台寺を真似て作られた
亭?(ていしゃ)と命名された
屋根のついた橋が見えます。


右に臨春閣、中央左に亭?が見えます。
 神奈川県横浜市 三溪園1   大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2  白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3  臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4   旧天瑞寺 春草廬
 
旧燈明寺三重塔 三渓記念館

 


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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園6

2014-12-27 15:45:34 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園6





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
 

 

臨春閣 2

1649年(慶安2年)に建築されました臨春閣は、和歌山県岩出市にありました紀州徳川家の別荘「巌出御殿(いわでごてん)」が移築されたものと言われています。



大池に影を映す臨春閣


亭?から見る臨春閣
手入れの行き届いた松が、
雰囲気を高めています。


臨春閣の二階は、一般には開放していませんが
おそらくそこから池越しに見る景色は
きっと素晴らしいでしょう。


聴秋閣の前から見る臨春閣
その右手前に、屋根のついた橋「亭?」の
脚が見えます。
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 神奈川県横浜市 三溪園3  臨春閣
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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園7

2014-12-24 16:20:36 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園7





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
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 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

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 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
臨春閣 3

臨春閣は、
秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、
紀州徳川家の別荘「巌出御殿(いわでごてん)」
ではないかという説が有力です。



(ていしゃ:屋根付きの橋)を左に、
臨春閣を見る。
枝振りの良い木がたくさん見えます。


池越しの臨春閣


すすきも、他の花や木と同様に
存在感があります。


すすきと臨春閣全景


すすきの配置が、
臨春閣を引き立てています。
 神奈川県横浜市 三溪園1   大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2  白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3  臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4   旧天瑞寺 春草廬
 
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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園8

2014-12-23 14:01:49 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園9





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
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 三溪園

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 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
旧天瑞寺の建造物いろいろ

三溪園には、日本各地から移築した建物が
処々に配はいされています。


↑ クリック拡大



旧天瑞寺寿塔覆堂

 旧天瑞寺寿塔覆堂は【重要文化財】で、1591年(天正19年)に、豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物です。秀吉が建てたものと確認できる数少ないもののひとつです。

 因みに、寿塔とは、長寿を祝って生存中にたてる墓で、現在、寿塔は京都大徳寺内の龍翔寺にあります。

 迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根は、荘厳さを感じさせます。
(公式サイトを参照して作成)


旧天瑞寺寿塔覆堂前の石灯籠


旧天瑞寺寿塔覆堂前から
臨春閣を臨む


園内には各処に石灯籠が配されています。


蓮華院 近くの竹林

 神奈川県横浜市 三溪園1   大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2  白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3  臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4   旧天瑞寺 春草廬
 
旧燈明寺三重塔 三渓記念館

 


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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園9

2014-12-20 10:23:47 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園9





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
旧天瑞寺の建造物いろいろ

三溪園には、日本各地から移築した建物が
処々に配はいされています。


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旧天瑞寺寿塔覆堂

 旧天瑞寺寿塔覆堂は【重要文化財】で、1591年(天正19年)に、豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物です。秀吉が建てたものと確認できる数少ないもののひとつです。

 因みに、寿塔とは、長寿を祝って生存中にたてる墓で、現在、寿塔は京都大徳寺内の龍翔寺にあります。

 迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根は、荘厳さを感じさせます。
(公式サイトを参照して作成)


旧天瑞寺寿塔覆堂前の石灯籠


旧天瑞寺寿塔覆堂前から
臨春閣を臨む


園内には各処に石灯籠が配されています。


蓮華院 近くの竹林

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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園10

2014-12-16 09:04:25 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

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 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
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 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
春草廬

春草廬

 春草廬は、桃山時代建築の重要文化財で、三畳台目(さんじょうだいめ)の小間茶室です。信長の弟である織田有楽斎の作品と伝えられています。

 茶室内に九つの窓があることから、かつて"九窓亭"と呼ばれていました。 多くの窓を持つもので、華やかな茶室です。(公式サイトを参照して作成)





もともとは京都・三室戸寺に、
月華殿に附属する茶室として作られました。
1918年に月華殿と共に
三溪園に移築されました。


踏み石は、特別なものと言うより
何処にでもあるような石で
深みを醸し出しています。


九つの窓を付けています。
 神奈川県横浜市 三溪園1   大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2  白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3  臨春閣
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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園11

2014-12-09 08:32:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

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 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
旧燈明寺三重塔

旧燈明寺三重塔

 
 旧燈明寺三重塔は、重要文化財で、1457年(康正3年)に建築され、三溪園には、1914年(大正3年)に移築されました。

 園内のほぼ全域から、その姿を見ることができ、三溪園を象徴とする建物です。。

 燈明寺は江戸時代に宗派が変わった際に、東明寺から燈明寺に改名されました。 瓦に東明寺と刻印されています。


入口を入りますと
大池越しに、直ぐに目に飛び込んできます。


大池越しの三重塔


臨春閣から臨む


臨春閣から臨む



雨が降り始め、閉園近い時間にもなり、
慌ててシャッターを切ったら
逆光状態
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■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園12

2014-12-06 10:32:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

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 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。

 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。


(以上 三溪園Webサイトより作成)

 
三渓記念館

 三溪記念館では、三溪園の創設者・原三溪に関する資料、三溪自筆の書画、ゆかりの作家作品や美術工芸品、臨春閣の障壁画などが展示されています。



2013年12月に、今村紫紅展が
開催されましたので
訪れました。

今村紫紅(いまむら しこう)は、
明治13年(1880年)に
神奈川県横浜市で生まれた日本画家です。
岡倉天心の指導を受け
菱田春草や横山大観らの制作姿勢に
大きな刺激を受けたといわれています。

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三溪記念館の外は
紅葉真っ盛りでした。


ガラス越しのため
フォーカスも甘く、
手前のリフレクションが入ってしまい
見るに堪えない写真になってしまいました。


上記と同様に
フォーカスの甘い写真となってしまいました。


 三溪記念館入り口にあるミュージアムショップでは、三溪園オリジナルの写真集、
絵はがきのほか、増田工芸、
龍村美術織物の製品販売も行っています。

 その横では、お茶のサービスがあり、
早速いただきました。


三溪記念館の一部


三溪記念館から対岸を望む
 神奈川県横浜市 三溪園1   大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2  白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3  臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4   旧天瑞寺 春草廬
 
旧燈明寺三重塔 三渓記念館

 


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