経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【カシャリ! ひとり旅】 京都の紹介 宝厳院 知る人ぞ知る「獅子吼の庭」をご紹介 

2020-07-04 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都
■【カシャリ! ひとり旅】 京都の紹介 宝厳院 知る人ぞ知る「獅子吼の庭」をご紹介 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。
 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。
 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。
 
 
カシャリ!一人旅
 

京都

宝厳院 

京都 天龍寺 宝厳院の紅葉

 
 
 京都市の右京区に位置する「宝厳院(ほうごんいん)」は、臨済宗天龍寺派に属す、天龍寺の塔頭の一つです。天龍寺から歩いて10分ほどのところにあります。渡月橋からも15分も歩きません。

 境内は主に本堂・書院・無畏庵・青嶂軒・庭園の5つから成り立っています。庭園は「獅子吼の庭(ししくのにわ)」と呼ばれ、嵐山を借景とした廻遊式山水庭園で、紅葉と苔の名所として知られています。

 この庭園は、室町時代に中国に二度渡った禅僧である、策彦周良禅師によって作庭されました。「獅子吼」とは「仏が説法する」という意味で、鳥の声や風の音を聴くことで、人生の心理、正道を肌で感じ、心が大変癒する庭といわれています。

風河燦燦三三自在」(田村能里子画伯筆) という障壁画は、現代風の絵で、「これがお寺の襖?」と思うような、朱を基調にしたものです。

 紅葉は、名所といわれるだけあって、苔の緑と調和し、見事という以外の表現ができません。 
 
 
 
  宝厳院写真集 1   ←クリック
 
 
 
 
 
 
 
 

【経営コンサルタントの育成と資格付与】
 
 
 
since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会
 
 
 
 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 
 詳しくは、サイトでご覧下さい。 
 
 
 
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 日本最古の経営コンサルタント団体・日本経営士協会とは
 
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■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】 024  PFI、PPPの『伝道師』務め、公民協働を後押し 8124-A625

2020-07-04 12:03:00 | 【経営】 成功企業・元気な会社

■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】 024  PFI、PPPの『伝道師』務め、公民協働を後押し 8124-A625

 経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。

 成功企業・元気な会社・頑張っている社長】は、皆様から寄せられたり、私が支援したり、見聞したりした企業の事例を紹介していますが、お陰様で、毎回拍手をいただいています。

 また、あなたのクライアント・顧問先やお知り合いの会社で、ここで紹介したい企業・団体等がありましたら、是非ご連絡ください。

■ PFI、PPPの『伝道師』務め、公民協働を後押し 8124-A625

 「PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」という手法に代表される、公と民の連携(PPP)に対する関心が、ここへきて俄かに高まっている。国・自治体の財政難、インフラ施設の老朽化、地方創生のうねりなど、いくつもの要因から、PFI、PPPが「時代のニーズ」となったことが背景にある。そのニーズに対応するコンサルティング事業に力を入れるのがベックス(東京、岡崎明晃社長)だ。同社は「基本的には民間企業を支援する立場。ただ、最近は自治体からの相談も受けている」(岡崎社長)と、公と民、双方の視点から両者協業の『最適解』を追い求めている。

 ベックスは2003年に岡崎社長が設立した。岡崎社長は化学・機械メーカーでプラントエンジニアや企画担当として働いた後、ビジネススクールでベンチャー起業理論を学び、理論を実践に移し今日に至る。プラントの仕事を通して、施設の維持管理、建築土木、機械設備など幅広い業務を経験し、関連する多様なノウハウを蓄積したことが起業を決断させる。同社の業務領域は、事業提案書や各種企画書の作成支援、デザイン・パース類の制作から、公共施設の管理運営・立ち上げ支援、モニタリングの実施・評価まで多岐に亘っている。

 多岐に亘る業務の基本スタンスとして貫かれているのが「効率的で質の高い公共サービスの探求」だ。取り組んでいる提案書作成支援、パース制作、モニタリング実施などの大半は公共サービス向け。時代が求める公共サービスとは一体何か…。入札する企業に対して、鳥の目、虫の目、魚の目の三つの目線で助言する。そのベストアドバイスを模索し続け、模索する過程で自ずと習得したPFIやPPPの知識・ノウハウが同社の大きな財産となる。

 民間資金などを活用し民間主導の公共サービスを提供するPFI、さらに広く公民連携を意味するPPPのどちらも、英国サッチャー政権に端を発し各国に広まる。日本では1999年のPFI法施行を出発点に、普及/定着期、リーマンシショックによる停滞期を経て、今日、法制度の見直しなどから新たな普及期に移行している。「フリーの時代の20年ほど前から公民連携に携わっている」という岡崎社長は、その道のプロとしてセミナー、講演会に引っ張りだこ。年、数十回の講演をこなし、PFI、PPPの伝道師役も務めている。

 「公共施設は、例えばスポーツ施設ならスポーツだけ、公営住宅なら居住だけではなく、顧客である地域住民のニーズ、ウォンツを考えて探り出し、具体的な提案をすることが一番、大事なのでは」、「人と人、人と地域をつなぎ、地域活性化に結びつけることが公共の施設・サービスの大きな役割だ」―講演で岡崎社長は住民ファーストの理念を強調する。公と民、同床異夢が宿命ともなるPFI、PPPを、理念の共有という『処方箋』により、両者が同じ夢をみられるようにする精神科医の役割も果たそうとしている。

  出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成

 

 
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◆【話材】 昨日07/03のつぶやきの目次とリンク 細川 幽斎 戦国時代から江戸時代初期にかけての大名、歌人

2020-07-04 07:09:02 | ブログでつぶやき

◆【話材】 昨日07/03のつぶやきの目次とリンク 細川 幽斎 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、大名、歌人

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日の【今日は何の日】も、つぶやき済ですので、そちらもあわせてご覧いただけますと幸いです。

  クリック▶ ■【今日は何の日】 7月4日 ■ アメリカ合衆国独立記念日 全米でお祝い ■ 梨の日  一年365日、毎日が何かの日

傘 b20

 梅雨時ですので、やむを得ないのですが、ここのところ、傘をさしての早朝ウォーキングの日が多くなっています。

 今朝も、さしたり、すぼめたりを何度か繰り返しました。

 

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   昨日のつぶやき 

 

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見る

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto Twitterで経営コンサルタントのつぶやき

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■【きょうの人】 0604 ■ 最澄(伝教大師)■ 聖武天皇  独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介

2020-07-04 05:43:00 | 【話材】 きょうの人

■【きょうの人】 0604 ■ 最澄(伝教大師)■ 聖武天皇

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 聖武天皇

 しょうむてんのう
 701年〈大宝元年〉-756年6月4日〈天平勝宝8年5月2日〉)

 日本の第45代天皇(在位:724年3月3日〈神亀元年2月4日〉- 749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉で、諱は首(おびと)、尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)、勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)、沙弥勝満(しゃみしょうまん)ともいいます。

 文武天皇の第一皇子で、母は藤原不比等の娘・宮子です。

 父・文武天皇に、7歳で死別、母の宮子も心的障害に陥ったため、その後は長く会うことはありませんでした。このため、文武天皇の母である元明天皇(天智天皇皇女)が中継ぎの天皇として即位しました。

 最終的に聖武天皇の後宮には他に4人の夫人が入りましたが、光明皇后を含めた5人全員が藤原不比等・県犬養三千代のいずれか、または両人の血縁の者でした。

 天平9年(737年)に天然痘の大流行が起こり、藤原四兄弟を始めとする政府高官のほとんどが病死するという惨事に見舞われ、急遽、長屋王の実弟である鈴鹿王を知太政官事に任じて辛うじて政府の体裁を整えることになりました。

 天平年間は、災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、天平15年(743年)には東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出しています。

 病弱でありましたが、その功績は、後世でも認められています。


■ 最澄(伝教大師)

 さいちょう、でんぎょうだいし
 神護景雲元年(767年)8月18日-弘仁13年6月4日(822年6月26日)

 平安時代の僧で、天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られています。

 生地は、近江国滋賀郡古市郷(現:滋賀県大津市・坂本)で、生源寺で、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)です。

 生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在します。

 十二歳で比叡山に登り、研究修行を積みました。

 延暦23年に空海と共に、中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となりました。

 なお、最澄に唱える言葉は「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」です。

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


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