経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園

2022-12-23 12:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭 

 

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の好みによって、松江市殿町の有澤(ありさわ)家本邸に建てられた茶室です。

 不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵(かんでんあん)の敷地内にある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 茅葺の厚い入母屋に、不昧直筆の「明々庵」の額を掲げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた、奥行きの浅い床です。また二畳台目の席は、中柱もなく、炉も向切りといった軽快なものです。定石に頓着しない松平不昧の好みの一端が表れています。

 園内にある「百草亭」では、お抹茶をいただけます。これは、明々庵が再々移築された昭和41年に作庭・建立されました。庭園は、“出雲流庭園”の枯山水庭園と露地庭で高盛されています。

 

■ アクセス

 

  JR山陰本線 松江駅より約2.5km(徒歩30分・駅周辺にレンタサイクルあり)
  松江駅よりレイクラインバス15分、「塩見縄手」バス停下車 徒歩5分
 

【 コメント 】
 

 私が訪れた時は、紅葉がすでに始まっていましたが、ピークまでには少々早い時期でした。
 松江城から徒歩で10分ほどのところにあるので、北総門からでて左折、宇賀橋を渡り、左折後、3本目の小径を右折して、150m程さきにある入口階段から行きました。
 冬時間では、17時に閉まってしまいますので、時間配分に注意する必要があります。

 


■ 明々庵 3 茶室と前庭

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧の好みによって、松江市殿町の有澤家本邸に建てられた茶室です。

 松平不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵の敷地内にある有澤山荘の向月亭に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 

茶室「明々庵」入り口

 

 受付から庭園木戸越し正面に、

茶室明々庵の入り口建物を通して

茶室の建物や茶室前庭の一部が見えます。


茶室「明々庵」入り口


 茶室入り口の建物は、茶室の待合所です。

 

飾り雪隠

 

茶室入り口の建物の一部が飾り雪隠です。

茶室利用者が使ったのかどうかはわかりませんが、

簡易トイレといったところでしょうか。


茶室「明々庵」前庭へ


 待合所から茶室前庭に出ますと、踏み石が連なり、

右手に石灯籠や蹲踞があります。


茶室「明々庵」建物


 明々庵は、茅葺きの建物で、

屋根は入母屋造りになっています。
 松平不昧が通った茶室ですので、

彼好みの建物なのでしょう。


茶室「明々庵」にじり口


 茶室のにじり口前から振り返りますと、

柱越しに待合所の建物が見えます。
にじり口の前には、形の良い踏み台石が配されています。

 

 


茶室「明々庵」にじり口刀掛け


 にじり口の横には、刀掛けがあります。
 茶室とは、武士も町人も同等という関係から、

武士は、にじり口から入る前に

刀をここにかけなければなりません。



茶室「明々庵」本席


 にじり口から、本席の内部を覗いてみました。
 茶室の床の間に掛け軸が下がっています。

そこに“明々庵”と書かれていますが、

松平不昧の自筆だそうです。


茶室「明々庵」


 一旦、茶室本席を離れ、踏み石伝いに、書院風広間の方に廻りました。
 本席のように少人数でお茶の嗜む茶室を「小間」といい、

それ以上の人が列席する場合は「広間」というそうです。

本席が二畳台目の間取りですが、

広間は書院風にしつらえられている四畳半の間取りです。


茶室「明々庵」広間
 

広間にも炉が切られています。

炉の切り方には2種あり、

点前畳の中に切るのを「入炉(いりろ)」といい、

外に切るのを「出炉(でろ)」というそうです。

 


 この茶室は、入炉で、

点前畳の客側に炉が切られている

向切(むこうぎり)」という造りです。


 茶道のことには疎いのですが、

何か清々しい気分となりました。

充分に理解できないままですが、

気持ちよく明々庵を離れられました。

 

島根県松江市 茶室庭園「明々庵」

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園     

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭     

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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■【あたりまえ経営のすすめ】2部管理編1章01 こんな管理職にはなりたくない

2022-12-23 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ2 管理編

■【あたりまえ経営のすすめ】2部管理編1章01 こんな管理職にはなりたくない

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 管理職も、“真”のプロ管理職にならなければなりません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 2部 【管理編】 プロの管理職のあり方

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。

 筆者は、経営コンサルタントという仕事柄、しばしば管理職研修も実施してきました。その時に、必ずといって問うことは、「管理とは何でしょうか?」ということです。

 管理職の皆さんは、よく勉強していて、私より立派な回答が返ってきます。

 「では、それをどの様に実務に活かしていらっしゃいますか」と問いますと、期待するような回答が返ってきません。

 難しいことを勉強しすぎているのではないでしょうか。知識と実務が乖離していますと、せっかくの知識が知恵として活かせません。

 管理職として、「あたりまえ」なことが、実務で行われているのかどうか、謙虚に自分自身を見ることも大切なのではないでしょうか。

 管理職は、「管理とは何か」「温かい管理」を正しく理解しなければ、部下からも、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、管理職なら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 

■ 第2部1章 リーダーシップあるプロの管理職の発想と行動 

 “真”のプロは、“真”の管理ができなければなりません。“真”の管理は、「温かい管理」が基本です。
 「管理」の基本について、考えてみましょう。

 

■2-01 こんな管理職にはなりたくない

 筆者は、経営コンサルタントとして、経営者・管理職の皆様と接する以外に、業務の現場で、管理職や社員の皆さんとお話したり、ときには、営業パーソンと同行して顧客訪問をしたりします。

 その時に、いろいろなことを感じますが、その中から、いくつかご紹介いたしますので、ご参考になさってくださると幸いです。

◇ 実状誤認のまま判断・指示

 相手の言ったことを鵜呑みにして、その裏をとるという姿勢に欠けていることが多いです。

 言葉の字面、表面的な意味合いを、自分勝手な解釈をして、そのまま受け入れてしまっているのです。管理職自身だけではなく、部下にも「ウラを取る」ということを習慣化させる必要があります。

 それをしませんと、実状を誤認してしまい、あるいは不完全な理解のまま、問題を捉えてしまい、それに基づいて判断してしまいますと、適切な判断ができないままでいることになり兼ねません。

 ロジカル・シンキング・ツールなどを駆使して、実状を整理し、重点化し、その上で重点順位を定めて判断します。

 ところが、その逆のことになりますが、判断に優先順位をつけたり、内容を精査しない状態であったりしたまま、その判断に固執しすぎることがあります。判断や業務の中間でチェックをしながら、業務を推進して行くということも実行して欲しいですね。


◇ 知識偏重、過去の延長線上での思考

 「教科書的」な知識だけでは、昨今のビジネスの世界では適切な判断ができないほど、世の中は急速に変化しています。さらに「複雑化」していますので、過去の経験がそのまま活きるとは限りません。過去の延長線上での思考は禁物です。

 一方で、過去の蓄積は、知恵・ヒントの宝です。矛盾するようなこの実状を正しく受けとめる力が管理職には必要なのです。


◇ 表面的な解決策

 適切な判断というのは、過去の経験が活きてきますが、上述のように、過去の経験が阻害要因にもなります。

 クリティカル・シンキング的発想を持ち、「この判断はこれで良いのだろうか」ということの反復が必要です。

 その時に、安易な判断や、自分の信念とは異なるような妥協は好ましくありません。関係者をじょうずに納得させ、トラブルなどを治めるときに、関係者間の折衷案を提示するようなやり方は、時として後に引き、その後の混乱を引き起こすこともあります。

 判断は慎重に、しかし迅速に行う必要があります。


◇ バランス感覚の欠如

 自分の信念を貫くことは、上述の通り必要ですが、自己過信や背伸びをしすぎてしまいますと、自分の未熟さに気がつかなかないでいることもあり得ます。

 「経営はバランスである」という名言があります。バランス感覚に欠け、全体把握ができず部分最適を追うような管理職にはなって欲しくないですね。

 投資対効果というコスト意識を持つ視点も必要です。

 一方で、部下も人間です。感情というのは、わかっていても抑えられないことが多いです。部下の性格をキチンと把握し、それにそった対応が必要です。「正論と気持ちのバランス」を忘れてしまいますと、部下からの尊敬は得られません。


◇ 謙虚さ不足 上から目線

 管理職は、上から目線で見がちです。部下より高い所から俯瞰的にみることは必要ですが、部下と接するときには、部下の目線にまでおりて、相手を尊重し、対等に接することも必要です。

 それには、謙虚さが必要です。人間として至らないところが自分にもあることを認識すべきです。

 人は、それぞれ、皆良いところを持っていると考えます。ある部分においては、管理職といえども経験や知識が不足していることもあります。自分の見識眼が充分でないこともあります。

 それを常に自分に言いきかせることにより、自分自身も人間として成長するのではないでしょうか。


 「この様な管理職になりたくない」というタイトルで書いてきましたが、「この様な人間になりたくない」と平素、筆者が自分に言いきかせていることの一部をご紹介しました。ご参考になれば幸いです。

 

<事項に続く>

 

■【あたりまえ経営のすすめ】 バックナンバー

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■【プロの心構え】 バックナンバー

プロとして、いかに思考すべきか ←クリック


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園

2022-12-23 10:33:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園 


 


 


 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の好みによって、松江市殿町の有澤(ありさわ)家本邸に建てられた茶室です。

 不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵(かんでんあん)の敷地内にある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 茅葺の厚い入母屋に、不昧直筆の「明々庵」の額を掲げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた、奥行きの浅い床です。また二畳台目の席は、中柱もなく、炉も向切りといった軽快なものです。定石に頓着しない松平不昧の好みの一端が表れています。

 園内にある「百草亭」では、お抹茶をいただけます。これは、明々庵が再々移築された昭和41年に作庭・建立されました。庭園は、“出雲流庭園”の枯山水庭園と露地庭で高盛されています。


 


■ アクセス


 


  JR山陰本線 松江駅より約2.5km(徒歩30分・駅周辺にレンタサイクルあり)
  松江駅よりレイクラインバス15分、「塩見縄手」バス停下車 徒歩5分
 


【 コメント 】
 


 私が訪れた時は、紅葉がすでに始まっていましたが、ピークまでには少々早い時期でした。
 松江城から徒歩で10分ほどのところにあるので、北総門からでて左折、宇賀橋を渡り、左折後、3本目の小径を右折して、150m程さきにある入口階段から行きました。
 冬時間では、17時に閉まってしまいますので、時間配分に注意する必要があります。


 




■ 明々庵 2 枯山水庭園

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧の好みによって、松江市殿町の有澤家本邸に建てられた茶室です。

 松平不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵の敷地内にある有澤山荘の向月亭に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。
 


 



明々庵枯山水庭園入口木戸



 左手に、見学者のための受付があります。


受付の横には、明々庵に続く木戸があり、


その右手前に石灯籠が立っています。





 木戸をくぐりますと、踏み石が庭園へと誘ってくれます。


奥には、茶室への木戸があります。


 



明々庵百草亭



 木戸を入って左手に「百草亭」があります。


ここでは、お抹茶をいただけます。


百草亭は、明々庵が再々移築された昭和41年に、


作庭されたときに、あわせて建立されました。




明々庵百草亭前の枯山水庭園


 


百草亭の周辺には、石や椿が配されています。
 百草亭前の庭園は、“出雲流庭園”と呼ばれる枯山水庭園です。


この庭園は、それと同時に露地庭として、


周囲が高く盛られて、庭園を引き締めています。


明々庵百草亭露地庭



 枯山水庭園の奥に木立や石灯籠が見えます。


これが、露地庭ともいわれる由縁です。


 




 紅葉やドウダンの赤と、五


葉松などの緑のコントラストが絶妙に配されています。
 その中にある石灯籠がアクセントとなっています。


 露地庭として、山々を表し、


そこに配されている飛び石が島々や陸地なのでしょうか。


明々庵百草亭枯山水庭園の波紋



 小砂利がまかれている部分が大海を表しているのでしょう。
 そこには、幾何学的ともいえる、整然とした波が表されています。


明々庵百草亭枯山水庭園の椿



 枯山水の中に配されている、背の低い椿が一本
 その手前に、白い椿が花弁を横たえていました。


心憎い演出ですね。


 


 


 


明々庵 3 茶室「明々庵」と前庭


< 続く >


 


 



 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 山寺(立石寺)6 浄土口から四寸道まで 160180

2022-12-23 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 山寺(立石寺)6 浄土口から四寸道まで 160180

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 山形県山形市 山寺(立石寺)6 浄土口から四寸道まで

  https://www.rissyakuji.jp/

 「山寺」(やまでら)は、正式には「宝珠山立石寺」といいます。山形市より仙山線で北東方向に行った所にあります。

 奈良時代に開かれたと伝わる寺院で、東北を代表する霊山で、その岩山・絶壁に沿って多くのお堂が建てられています。途中に自然の岩肌、そして見上げる奥の院、そして五大堂からの眺望など風光明媚な景勝地として国指定名勝となっています。

 山形駅から仙山線で20分ほどで山寺駅に着きます。ホームから、堂于や岩肌が見え、思わずシャッターを切ってしまいます。参道へは、4本ほどの入り口がありますが、一番奥の参道入り口まで徒歩10分のところから登り始めます。「登山口」という立て看板があることからも、お寺参りと言うよりは登山なのだと認識した方がよろしいでしょう。

 石段を見上げますと、この先、並々ならぬ道のりであるという思いと、その背景に見える堂于に対する期待とが交錯します。石段を登り切りますと、最初に現れるのが根本中堂です。室町時代に初代山形城主・斯波兼頼が再建し、国指定重要文化財となっています。

 根本中堂から、西に向かう参道を進むと、芭蕉の有名な『閑さや 巌にしみ入る 蝉の声』という句碑や清和天皇御宝塔、日枝神社があります。その先にあるのが鎌倉時代に造られたとされる山門で、ここで入山料をお支払いします。ここから奥の院まで、1000段の石段があり、健脚な人なら30分でたどり着くと言われます。

 参道沿いにある堂宇や塚などで写真をとったりする私は、普通の参詣者の3倍の時間がかかります。

 参道のほぼ真ん中あたりにあるのがせみ塚です。そこからしばらく登りますと弥陀堂、仁王門があります。右手に修行のいわば胎内道などを山腹に見ながら、観明院にたどり着き、不徳ながら、そこの縁に腰を下ろして一休みをしました。

 その正面を見上げますと、開山堂・五大堂です。「五大堂」からの風景は絶景で、月並みな表現になってしまいますが、それまでの疲れが一気に吹き飛んだ気がします。そこでゆっくりとしたいところですが、座るところがありません。そこにあるのは、心ない人による落書きで、大変なる興ざめでした。

 半世紀前に来たときには一気に五大堂まで登ってきましたが、健脚な人なら20分ほどでたどり着けるでしょうが、私は1時間以上もかけて登りました。

 そこから、一切経堂や最上義光御霊廟に寄り道をしてから奥之院と大仏殿を参詣して下山の途につきました。

 下山口から西に進んだところに立石寺本坊があります。その手前に小さな池があり、門をくぐると本坊前の枯山水庭園が見えてきました。山々を借景にしたこじんまりとした庭園でした。

 庭園を見てから、対面石のところにある茶屋で食事をしてから、山形のホテルに戻りました。紅葉が処々に残る11月末の参詣でした。

 

■ アクセス
 

 山形駅-山寺駅 20分弱

 JR仙山線 山寺駅より参道入口まで徒歩10分

 〒999-3301 山形県山形市山寺4456-1 

 

 

根本中堂から日枝神社を参拝し宝物殿前から進むと

「山寺」の入り口、「山門」にたどり着きます。

山門をくぐると、上り坂に入り、

まずは姥堂にたどり着きます。

 

 

預天賀地蔵

 

大きな岩が、今にもずり落ちそうなところに

小さなお堂があり、

その右上に預天賀地蔵が配されています。

この大きな岩は「笠岩」といわれ、

預天賀地蔵の笠の役割を果たしているのです。

 

この辺りには、石像がゴロゴロと見られます。

 

石仏や石像、石塔には、説明書きもありません。

 

御手掛け岩

 

登山道入り口から270余段、

すなわち、ようやく4分の1を過ぎたところです。

さきは、まだまだ遠いです。

 

御手掛け岩の上に立つ観音像

 

石段は続きます。

 

石柱をひとつひとつ見ていますと

次々と抜かれて行きます。

一つ一つの石段を登ることによって、

欲望や汚れを消滅させることができ、

明るく正しい人間になることができるのだそうです。

マイペース、マイペース

 

百丈岩

 

さらに進みますと、視界が開け、

檜木立の間から大きな岩が見えてきました。

 山寺駅から見えた百丈岩です。

この上には、納経堂や開山堂、

展望随一の五大堂がたっています。

 

修行者の参道のレリーフ

 

山の自然にそってつくられたこの参道は、

昔からの修行者が歩んだ道です。

開山・慈覚大師の足跡を踏んで、私たちの先祖も子孫も登るところから、

親子道とも子孫道ともいわれます。

 

そのふもとに石像があります。

如意輪観音(右)が

神々しいと言うよりは、

微笑ましく感じられます。

 

四寸道

 

開山の慈覚大師も通られたであろう

たった14cm幅にまで狭まった道があります。

その幅が4寸であることから、

「四寸道」の名前が付けられました。

 

四寸道周囲の石像・石物

 

奥之院までは、まだ三分の一ほどしか登っていません。

 

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

 

 

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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【話材】 昨日12/22のつぶやき 労働組合法制定記念日におもう

2022-12-23 07:26:47 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日12/22のつぶやき 労働組合法制定記念日におもう

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e935e469df602698b95745f4e211ede0

晴れb2

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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