【カシャリ!ひとり旅】 島根県 津和野 山陰の小京都を散策 2623
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■■ 島根県 津和野 山陰の小京都を散策
津和野町(つわのちょう)
島根県の南西に位置し、山間の小さな盆地に広がる町並みは小京都の代表格として知られています。
津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれています。
遠い昔、山紫水明 のこの地に住みついた人々は、群生する「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に魅せられ、自分たちの住む里を「つわぶきの野」・・・ 「つわの」と呼ぶようになったと伝わっています。
文豪森鴎外の出生地としてもしられています。毎年7月末に行われる祇園祭の中で、街中を練り歩く鷺舞は津和野の代名詞であり、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
2015年(平成27年)、文化庁が日本遺産の最初の18件の一つとして「津和野今昔 ~百景図を歩く~」を選定しました。
歴史は古く、縄文時代までさかのぼり、今から約9000年前の早期縄文時代から人々が住んでいたことが確認されています。町内19ヶ所で遺跡が発掘されており、石斧、土器、石器などが採集されています。
約1700年前の前期古墳時代の土器により当時、山口地方と山陰地方を結ぶ交通の要所として両方の文化が交流する重要な場所であったようです。
平安時代の前半頃(約1200年前)の土師器や須恵器、緑釉陶器とともに、4枚の承和昌宝という銅銭も発見されています。
明治維新前は、津和野藩亀井氏の城下町で、幕末期以降の廃仏毀釈と、長崎から配流されてきたキリシタンへ、改宗の強要が実施されたという歴史があります。(浦上四番崩れ)
■ アクセス
新幹線
東京駅(山陽新幹線)- 新山口駅 JR山口線 - 津和野駅
空路
萩・石見空港、山口宇部空港、大阪空港 - 益田駅(JR山口線)- 津和野駅
観光マップより
(グリーンハイライトは私の訪問地)
小京都といわれる街並み
観光地らしく人力車でも回れます
鷺舞蔵
毎年7月末に行われる祇園祭の中で、
街中を練り歩く鷺舞は津和野の代名詞であり、
国の重要無形民俗文化財に指定されています。
津和野カトリック教会
昭和6 (1931)年、ドイツ人ヴェンケレーによって建てられた
ゴシック建築の教会です。
武家屋敷が立ち並ぶ殿町で、
石造りの重厚な建物は目を引きますので
思わずカシャリ。
内部はステンドグラスが美しい
津和野駅から徒歩10分
見学可能時間 8:00~17:00
太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)
島根県鹿足郡津和野町にある神社で、
別表神社にして旧社格は郷社、
通称「津和野のおいなりさん」です。
全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記する神社といわれています。
宇迦之御魂神(稲荷神)と伊弉冉尊が祀られています。
日本三大稲荷の一つとされることがあり、
一般的には日本五大稲荷の一つに数えられ、
出雲大社に次いで島根県内2位の年間参拝客を数えます。
太皷谷稲成神社の鳥居は
伏見稲荷ほどの鳥居の多さではありませんが、
下の方まで続いています。
永明寺 ようめいじ
津和野に在する鎌倉時代創建の禅宗の古刹です。
代々津和野藩主の菩提寺となり、
江戸時代には曹洞宗の大寺院として栄えました。
森鴎外の墓、干姫事件で知られる悲運の城主坂崎出羽守の墓があります。
島根県津和野町後田口107 0856-72-0137
入場料 無料(寺宝館・庭園=大人300 1円.高校生200円.小・中学生150円)
時間 8:00~17:00 年中無休
駐車場 あり
JR山口線津和野駅から徒歩15分
永明寺に眠る森鴎外の墓所
多胡家老門 たごかろうもんおおおかかろうもん
津和野藩の藩校だった養老館前のあたりは、
かつて老屋敷が集まっていたところです。
家老職を務めた多胡家の武家屋敷門は、
当時の家老の権勢を物語っています。
津和野町後田殿町 0856-72-1771(津和野町観光協会)
見学自由 駐車場なし
JR山口線津和野駅から徒歩10分
リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm