■■杉浦日向子の江戸塾 10- 江戸情緒に学ぶ 江戸っ子は手料理で女性を口説く
江戸のエコや風俗習慣などから、現代人は、エコという観点に絞っても学ぶところが多いと思っています。杉浦日向子の江戸塾から学ぶところは多く、話のネタとなります。エッセイ風というと大げさになりますが、独断と偏見で紹介してみたいと思います。
私がはじめて杉浦日向子女史を知ったのは、「お江戸でござる」というNHKの番組でした。お酒が好きで、飾らない人柄、江戸時代に生きていたかのような話しぶり、そこから江戸のことを知ると、われわれ現代人に反省の機会が増えるような気がします。
杉浦日向子の江戸塾」という新しいカテゴリーを作りましたので、一層ブログのバックナンバーが見やすくなりました。
■ 江戸っ子は手料理で女性を口説く 10
江戸っ子の男は手料理を作って女性を口説いたようです。自分でそばを打ってそばを振る舞うのがベストな方法でした。
二八そばが多かったようで、そば粉八に対し、つなぎとしての小麦粉が二の割合でした。
それを薬味と共に食べたわけですが、江戸っ子は、そばにネギを入れないで、陳皮や大根おろし、七味唐辛子で食べました。
陳皮というのはみかんの皮を干したもので、今日でもネットの袋に入れて陳皮を作っている人がいますね。
陳皮は薬味として使うだけではなく、風呂に入れて入浴剤に使ったり、消臭剤として燃したりします。
江戸のそば屋は、今日でいうとパブのような存在だったようです。
そば屋では今日のような面ではなく、「そばがき」だったのです。
いきなりそばがきで食べるようになったのではなく、時代を遡ると「そば実雑炊」というのがあって、そばの実のままをゆでます。
実がそのままですから殻がついたままで、ゆでると、殻だけがはじけて浮いてきます。
それをあくと一緒にすくって捨て、味つけをしました。
時代が少し下ると、「そばがき」が誕生しました。
その後、そば粉を練って、つみれのように団子状にして、鍋で煮込むようになりました。
そば粉を練ることから発展したのが今日のような麺状のそばです。
練った物を板の上で延ばし、短冊状に細く切って食べるようになったのは江戸時代中期です。
そばと言っても、今日のようなそばになるまでは長い道のりを経てきたのですね。
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