親類のおばあちゃんが、102歳で昨日亡くなった。
明治36年生まれだったという事で、現在51歳の私の、丁度二倍の時間をこの世で過ごした事になる。
もしも自分に102歳まで生きる時間が与えられるとすれば、もう一度今までの人生と同じ長さの時間を過ごす事が出来る事になる。
あと51回、盆と正月を迎え、台風襲来の恐怖を51年間体験する事になろう。
亡くなったおばあちゃんは、近代日本の一世紀間を生きていた事になる。
日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争という、私たちの世代が過去の歴史としてしか知る事が出来ないような時代背景の中での生活を、自身で体験された事になる。
今夜は、そのおばあちゃんのお通夜が、瑞穂町の「まごころ会館」という所でおこなわれた。
初めて行った民間施設だったが、その名が示すとおり、まごころのこもった落ち着きのある空間だった。
おばあちゃんの遺体は、今夜はその施設に親族と共に一泊して、明日の午前中に、すぐ近くの南高北部斎場で火葬された後に、再び「まごころ会館」に戻って葬儀が営まれる。
今頃は、先に逝った祖先や友人たちと、あちらの世界で再会していることだろう。
豊田かずき
明治36年生まれだったという事で、現在51歳の私の、丁度二倍の時間をこの世で過ごした事になる。
もしも自分に102歳まで生きる時間が与えられるとすれば、もう一度今までの人生と同じ長さの時間を過ごす事が出来る事になる。
あと51回、盆と正月を迎え、台風襲来の恐怖を51年間体験する事になろう。
亡くなったおばあちゃんは、近代日本の一世紀間を生きていた事になる。
日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争という、私たちの世代が過去の歴史としてしか知る事が出来ないような時代背景の中での生活を、自身で体験された事になる。
今夜は、そのおばあちゃんのお通夜が、瑞穂町の「まごころ会館」という所でおこなわれた。
初めて行った民間施設だったが、その名が示すとおり、まごころのこもった落ち着きのある空間だった。
おばあちゃんの遺体は、今夜はその施設に親族と共に一泊して、明日の午前中に、すぐ近くの南高北部斎場で火葬された後に、再び「まごころ会館」に戻って葬儀が営まれる。
今頃は、先に逝った祖先や友人たちと、あちらの世界で再会していることだろう。
豊田かずき