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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

久し振りの雨

2005年10月28日 | インポート
夕方より少し前から、久し振りに雨が降りました。

田んぼでは稲刈りも殆んど終わり、米の作柄は平年より少なかったと言う人もいれば予想以上の収穫量だったと言う人もおります。

いろいろな自然条件や水管理、肥料のやり方によって収量に差がついたものであろうと思われます。

何十年も農業をやっている人でも、全く同じ条件が揃うという事はないでしょうから、毎年の米作りが楽しみでもあり不安でもあることだろうと思います。

その結果として、米の品質と収穫量が労働の成果となるわけですから、稲刈りの時にコンバインに貯まっていく籾の量がどれぐらいかを知る時の心境は、おそらく学校での試験の答案用紙の点数を知る時の心境に相通ずるところがあるのではないでしょうか。

しかし、試験の場合には赤点を取っても追試験を受けるという救済処置がありますが、農作物の収穫の場合にはやり直しは効きません。
農家にとっては農作物の収穫量の多い少ないは死活問題でもありましょう。

私の父は20年前に59歳で他界しましたが、生きていた時の40年以上を、米作りを主とする農業などをして私たちを育ててくれました。

私が子どもの頃は、今と違って田植えも稲刈りも手作業で処理していましたので、その農作業のきつさは今の何倍ものきつさだったはずです。

その父が、他界する2年前に、稲刈りと脱穀が同時に出来るコンバインを購入して、1シーズンだけコンバインを使った米の収穫をしました。

それ以前のいろいろな便利な農機具は、近所の人よりも早目に導入していたのですが、コンバインに関しては近所の人よりも少し遅れての導入でした。
理由は、経済的な理由から私が購入を反対していたからでした。

死去したのが9月12日でしたから、コンバインを購入してから2シーズン目の米の収穫を前にしての急逝でした。

米作りには自信を持っていた父でしたが、自分が育てた最後の米の収穫量を知らないままでの旅立ちでした。

当時、私たち夫婦と子どもは大阪で暮らしておりましたので、その年の米の収穫は親類の農家の人にお願いいたしましたが、結果は平年作以上の収穫量でした。

米の収穫が終わった後の雨降りの日には、コタツに入り肘枕をして、タバコを吸いながらのんびりとしてテレビを見ていた父の姿を思い出します。


豊田かずき