日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

最後の一般質問

2005年09月15日 | インポート
愛野町議会9月議会定例会において、町政に対する一般質問が行われた。

午前9時に開会して、4名の一般質問者が質問を終わり、散会となったのが午前11時34分だった。

私も、愛野町議会議員としての最後の一般質問を行った。

古文書等の保存に関する事、過去における公道拡幅工事後の未分筆の土地に関する事、合併後の雲仙市に対して町長が望まれている事等について尋ねた。

合併直後の、選挙による雲仙市長が決まるまでの職務執行者として、わが町の松浦町長が決まったということだった。

町会議員にならせてもらってから、今回までに、合計で10回の議会定例会が開催され、毎回一般質問をさせてもらった。

そのことが契機となり、予算化が必要な案件に関しては予算化をして頂き、実施された事も少なくは無く、微力ながらも、地域や住民の皆様のお役に立てたのではないかと自分では思っている。

散会後に、議員同士の話し合いの時間があり、本町議会議員の中に、松浦愛野町長の雲仙市長選不出馬表明を受けて、雲仙市長選への出馬を検討中の議員がいることが報告された。

今後の状況の推移次第では、雲仙市長選への立候補者は4名になる可能性も否定できない。


豊田かずき



意向と表明

2005年09月14日 | インポート
南高来郡国見町の渡辺町長が、国見町の9月議会定例会における一般質問に対する答弁で、来月の11日に発足する雲仙市の市長選挙に、正式に出馬表明をされたという記事が今朝の毎日新聞に載っていた。

その記事の末尾に、南高来郡選出の県議も出馬の意向を示しているという記述があった。

県議の出馬の意向を示しているという表現と、渡辺町長の正式に出馬表明をしたという表現には、若干の意味合いの違いがあるはずだ。

出馬の意向を示しているという表現の中には、出馬をしないという可能性も含んでいるように解釈しても良いのだろうか。

仮にその様な事態になった場合には、既に出馬を表明されている松藤小浜町長と、渡辺国見町長の一騎打ちになるのか、それとも中央付近の3町の中から、どなたかが出馬される動きがあるのかどうかということにも興味が行く。

合併による雲仙市の初代市長であるから、市長を選ぶ側としては、選択肢は多目の方が良いように思う。

出馬の意向を示しておられる方あるいは出馬の意向を持っておられる方は、早目に態度をはっきり示して頂きたいものだ。


豊田かずき


9月議会定例会

2005年09月13日 | インポート
今日は、愛野町議会9月議会定例会の初日だった。
愛野町の議会定例会としては、最後となる議会でもある。
その内容を、以下に愛野町のホームページから転記する。

会 期   平成17年9月13日(火)~9月16日(金)
 時 間   午前 9時
 場 所   愛野町役場・議会議場
 案 件
  ○専決処分した事件の承認を求めることについて(南高北東部環境
   衛生組合への加入、平成17年度一般会計補正予算)
  ○愛野町福祉医療費の支給に関する条例の一部を改正する条例の
   制定について
  ○雲仙合併協議会の廃止について
  ○愛野町教育委員会委員の任命につき同意を求めることについて
  ○愛野町固定資産評価審査委員会委員の選任につき同意を求める
   ことについて
  ○平成17年度一般会計・特別会計(3会計)補正予算案
  ○その他  (計21議案)  
  ◎認 定  ○平成16年度(5会計)歳入歳出決算認定について
          ○新雲仙合併協議会会計歳入歳出決算認定について
  ◎報 告  ○平成16事業年度長崎県土地開発公社の経営状況
           について
  ※一般質問の日程 9月15日(木) 午前 9時から
   質問議員 : 前川 治、豊田一喜、柴田安宣、原田敬一郎
                        ( 計 4名・通告順 )
 ※ 議会はだれでも傍聴できますので、お気軽においでください。

以上が愛野町ホームページからの、9月議会定例会の内容説明。

上記の案内の通り、議会は誰でも傍聴できるのだが、本日の傍聴者はいなかった。
議会の開会の前に、議員と理事者側が、議場に着席した状態での記念撮影があった。

本日の議会は、議案の上程と、一部の専決処分案件等に関しては、質疑・討論・採決まで行い、午前中で散会となった。

明日は、議案研究日にあてられており、未採決の案件に対して各議員が研究をするための日になる。

その次の15日が、町政に対する一般質問の日程になっている。
案内の通り4名の議員が一般質問の通告をしており、私も愛野町議会議員としての最後の一般質問をすることになっている。

最終日の16日が、決算特別委員会と、本日採決されなかった案件の議案質疑・討論・採決の予定になっている。

愛野町としては、最後の定例議会なので、一人でも多くの人に傍聴に来て欲しいと思っている。


豊田かずき


結果

2005年09月12日 | インポート
衆議院議員選挙の結果が出た。

圧倒的に小泉自民党を支持するという、国民の判断だった。
自分に反対する者たちを強引に切り捨ててでも、自分の意思を貫き通すという姿勢が、多くの国民の賛同を得たことになる。

一見、郵政民営化に対する賛否投票のような構図にされてしまったようだが、実は大きな勢力や権力に対して、迎合するのかそうでないのかの選択の意味も込められていた選挙ではなかったろうかと私は思っている。

結果として、小泉自民党のやり方を肯定したことになる。
自分たちが肯定した政権であり、その政権に圧倒的多数の議決権を与えたのだから、その中で自在に法案を通されても文句は言えない。

微妙なところでバランスを保っていた政党間の勢力構造が崩れ、自民党の意のままに日本国を動かせる素地が作り上げられた。

消費税率は、小泉首相が総理大臣であるうちは上げないと断言しているのであるから、私たち庶民にとっては、せめて小泉首相が継続して首相でいてくれれば、少なくとも消費税率を上げられることは無いのではとも思える。

一政党の意思だけで日本国の方針が決定できるような構図になった事が、今後の私たち庶民にとって、どのような事を意味するのかということを、歴史が示している教訓と照らし合わせながら、冷静に考えなければならない時代に突入したような気がする。

当選された亀井静香氏の選挙後の悲痛なまでのコメントの中に、今回の選挙結果に対して、本来私たちのような庶民が抱かなければならないような、事の本質が込められているのではないだろうか。


豊田かずき


町長の辞職否決

2005年09月11日 | インポート
今朝の毎日新聞の長崎県版の見出しのひとつだ。
長崎県南高来郡深江町議会での出来事を報じていた。

以下にその記事を転記する。

 深江町の臨時議会は9日、横田幸信町長の辞職を賛成少数で否決した。しかし、地方自治法では議会の同意の有無にかかわらず20日後に退職できるため、横田町長は今月下旬に失職する見通し。
 横田町長は6日「(来年2月にも予定される)県議補選出馬のため辞職する」と表明した。議会から「選挙という個人的な事情で公職を放棄するのは無責任」「(来年3月に控えた)合併に影響する」などの反対が続出。採決に先立って議員3人が退席。辞職に賛成した議員は一人もいなかった。

以上が記事の全文。

辞職に賛成した議員は一人もいなかったという事は、当然の事として納得し理解できるが、採決に先立って議員3人が退席ということは、どういう意味の意思表示なのだろうかと思ってしまう。

意思表示をするまでも無い案件であると考えられたのか、あるいは意思表示をすると、自身にとって何か都合が悪い事でもあると考えられたのだろうか。

議員に与えられている最も重要な権限のひとつである、議決権の行使を放棄する心境が理解できない。

横田町長の辞意表明は、深江町民にしてみれば、無責任な行動であると言われても仕方が無いようなことのはずだが、その事に対して町議会議員としての意思表示をしないという事は、如何なものだろうか。

町民の意思を、議会に正しく反映していると言えるのだろうか。
反映しているからこそ退席されたのだという事も考えられるが。
親町長派の人達にとっては、反対しては欲しくなかった案件であろうから。


豊田かずき


投票

2005年09月11日 | インポート
妻と息子と共に、国民の一人としての選挙権を行使した。
20歳の息子にとっては、生まれて初めての投票だった。

生まれて初めての投票をした息子にとっては、天候と投票率の関係が気になるようだった。

学校の運動会のシーズンでもあり、晴れ模様の天候だったので、その応援に行くような人達が、選挙に対してどのような行動を取るのだろうかとか、行楽に出掛けた人達は、選挙に対してどのような行動を取るのだろうかとか、彼なりにいろいろなパターンの推測をしていた。

また、選挙公報のチラシを見て、長崎県内の選挙区のうち、自分が投票する長崎2区の範囲の区域の広さを知り、その広さのために選挙カーが廻ってくる回数が少なかったのかと納得していた。

自分に与えられた権利を、息子がきちんと行使してくれた事が、親としてはうれしい。

一人一人の権利の行使の積み重ねが、国の進むべき方向性を決める力になることは間違いない。


豊田かずき


法事

2005年09月10日 | インポート
諫早市の妻の実家で、妻の父親の7回忌の法事があった。
86歳で6年前に他界した妻の父親の趣味は、メジロの世話をすることだった。

病気で数ヶ月入院しての逝去だったが、その病気の原因が、かわいがっていたメジロの微細な羽毛と、その糞に含まれている細菌が、肺に付着した事によるものも一因だったようだという話を聞くと、動物愛護についても考えさせられるところもある。

栃木県と京都府に住んでいる、妻の兄姉とは5年ぶりに会った。
お互いに、髪の毛に白いものが多く見受けられるようになり、健康で会えた事をうれしく感じるような年齢になっている。

午前11時からの法事で、法事後の会食は、市内の温泉センターであった。
隣の席は妻の姉の旦那さんだったが、その話がおもしろかった。

料理の御膳の中に、ひじきの粉を葛粉でつないで、蕎麦のようにしたものがあった。
私は初めて見る料理だったが、食べてみるととてもおいしかった。

隣の席の、妻の姉の旦那さんが、その料理を指して、これは何かと向かいの席の妻の姉に尋ねた時に、冗談で「糸こんにゃくじゃないの。」と答えた。

妻の姉の旦那さんは、小さい時からこんにゃくが大嫌いらしく、その後その料理には箸をつけなかった。
以前は、ゼリー食品は好きだったそうだが、こんにゃくゼリーというものが商品化されてからは、普通のゼリー食品にもこんにゃくの成分が混じっているような気がして、食べなくなったという話だった。

タバコはやめないと言う。
タバコをやめる人は、意思が弱いのだと言う。
一度吸い始めたら、途中でやめるような中途半端な事はしないで、一貫して吸い続ける事が、意志の強い人の取るべき態度であるという論法だ。
一理あるようでおもしろい。

次に会えるのは、何事も無ければ13回忌の時になるはずだが、皆が元気で会えるようでありたいと思う。


豊田かずき



愛野町敬老式典

2005年09月09日 | インポート
愛野町としては、最後となる敬老式典が、愛野町中央公民館講堂で執り行われた。

例年は、午前10時からの開式だったが、今年は午前9時30分からの開式だった。

今年で70歳に到達された人は49名で、愛野町全体での70歳以上の人の総数は785名だそうだ。

また、65歳以上の人の総数は1024名ということだった。
この数字は、愛野町の総人口の21パーセントにあたると言う。
愛野町の総人口は、つい最近50年ぶりに5000人を超えたそうだ。
近隣町の中では、珍しく人口が微増している町ということになる。

5人に1人は、高齢者である町の現況だが、現在のような出生率が低下したような状況下においては、今後高齢者比率が増えるであろうことは否めない。

戦前、戦中、戦後の厳しい状況の中での生活から、現在の便利すぎるような生活までを、身を持って体験されている方々であり、生活術の知恵の宝庫のような方々が多いように思う。

そのような世代の方々が戦争によって体験された事柄を若い世代に正しく伝え、生活術の知恵を伝授してもらい継承していかねばならないと思う。

私たちのような、50歳代の者が70歳ぐらいになった時には、その生存率はどれぐらいになっているのだろうか。

飽食の時代に生きているがゆえに、余り多くは無いような気がする。

順送りで、近い将来には、私たちの世代も高齢者の仲間入りをすることになるが、誰もが皆、安穏に暮らせる社会であって欲しいものだ。


豊田かずき


無責任

2005年09月08日 | インポート
県議会議員や町長が、その任期の途中で、別の選挙による公職に就く目的で、現職を放棄するということは、如何なものだろうか。

深江町の横田町長が、来年の2月に実施されるであろう県議補選に出るために、町長としての任期を残したままで、先日、辞意を表明されたそうだ。

定例議会としての9月議会が開かれる月でもある。
町としては、とても重要な時期であるといえる。
他町の事ではあるが、町会議員の末端に席を置かせていただいている者のひとりとしては、横田町長の現段階における辞意表明は、無責任なようにも思える。

町内での、未解決の問題を残したままでの辞意表明ともなれば、なおさらのことだ。

奥村県議は、10月11日に発足する雲仙市の市長選への出馬表明をされたが、まだ県議の職は辞されてはいないそうだ。
こちらは、どのようにされるつもりなのだろうか。
出馬の時点での自動失職ということになるのだろうが、出馬までの期間の中で、まだ他の可能性も残されているという事なのだろうか。

ゆくゆくは、国政へという話もささやかれていた人物のようだが、雲仙市長をめざすとなれば、そのことは断念するということなのだろうか。
それとも、それを踏み台にして先を考えておられるのだろうか。

そもそも公職に立候補するという事は、その任期を全うするつもりで立候補しているはずである。
選ぶ方も、そのつもりで選んで投票しているものと思う。

少なくとも私は、そのような気持ちで、奥村県議に自分の一票を投じた。

健康上の理由であるとか、悪事を働いて辞めさせられるのであれば仕方が無いが、それ以外の自己的な理由で辞めるという事は、投票してくれた人達にとって筋が通らないのではないか。
無投票によって選ばれているとしても、同様の事だと思う。

選挙によって公職に就いた者が、別の選挙による公職に就こうとするならば、まず、自分に与えられた任期を全うして、別の選挙による公職の選挙の機会が到来するまで待ってから立候補すべきであると私は思う。
出馬表明のタイミングが重要であるという事は分からないでもないが。

職業選択の自由が保障されている国ではあるが、選挙で選ばれた公職に対する責任は、きちんとはたすべきであろう。


豊田かずき


堰板の行方

2005年09月07日 | インポート
昨日の台風14号による暴風雨の最中の話。
朝から強風と雨が続いていたが、1時間おきぐらいに、道向こうの千鳥川の水位を確認していた。

増水はしていたが、午前中の水位は、いつもの大雨の時の水位程度だった。

昼過ぎに見に行ったら、かなりの水位まで上昇していたので、少し不安になり、川への降り口のコンクリート製の階段のところの堰板を、はめておいた方が良いのではないかと思い、それを保管しているはずのお隣に電話した。

上の方のお隣のご主人の話では、その堰板は以前に見たような気がするが、最近は小屋の中でも見かけないという事だった。

仕方が無いので、両方の家にある木材で、堰板を作ってはめる事にした。
強い雨風の中で、お隣のご主人と二人で木材を切り、仮の堰板を作って設置してから、ビニール袋に砂を入れて土嚢を作って固定し、増水した時の水圧に耐えられるような構造にした。

設置が終わってから、上流のところの同様の箇所の事も気になったので、一人で歩いて、上流のお寺の近くの千鳥橋を渡り、右岸の道沿いに歩きながら水位を確認して、下手の龍宮上橋を渡って帰ってきた。
すると、下の方のお隣の人が、ヘルメットをかぶって、なにやら抱えていた。

話を聞くと、千鳥川の水位が上がりだしたので、堰板を設置しに持っていったら、既に設置済みだったという話。

聞いてみると、昨年の大雨の時に、川の水位が増えたので、上の隣の家で保管していた堰板を設置したのだという。

その後、その堰板をはずした時に、上のお隣の家のおばあちゃんから、下のお隣の家で保管しておくように頼まれて、下のお隣の家の人が保管していたという事だった。

だから、上のお隣のご主人が、どこかで見た事があるが最近は見かけないという話も納得できる。

一年ほど前までは、上のお隣の家の小屋の中に堰板は保管してあったが、その後は下のお隣の家の小屋の中で保管してあったということだ。

今日、その事を上のお隣の奥さんと、下のお隣の奥さんと私とで確認できたので、次からは本物の堰板を迅速に設置できる。
本物の堰板は、4枚の厚い板でできていて、マジックで「一段目」などと記入してあった。
幅が違う4枚の板で作られていた。


豊田かずき


台風14号の記録

2005年09月06日 | インポート
台風14号は、私の住んでいる長崎県南高来郡愛野町では、9月5日から強風域に入り、明日の9月7日の未明までは強風域を抜けないという。

今日の午後2時ごろ、隣の自治体である諫早市に上陸したという事だが、昼前頃の風が、このあたりでは一番強かったようだ。

台風が直撃しそうな時には、十数年前に購入した気圧計で、気圧の変化を記録する事にしている。

以下は、平成17年9月6日の台風14号接近時の我が家での記録。

午前 7時43分 985hp  25.0℃(室内温度)
午前 8時11分 984hp   25.3℃(室内温度)
午前 9時54分 980hp  25.2℃(室内温度)
午前10時18分 978hp  25.3℃(室内温度)
午前10時51分 977hp  25.4℃(室内温度)
午前11時58分 973hp   25.5℃(室内温度)
午後 1時30分 970hp  25.6℃(室内温度)
午後 1時40分 969hp   25.7℃(室内温度)
午後 2時30分 968hp   25.8℃(室内温度)
午後 2時44分 968hp   25.8℃(室内温度)
午後 6時20分 980hp  26.0℃(室内温度)
午後 7時53分 988hp   26.2℃(室内温度)

以上が我が家での記録。

テレビの台風情報によれば、午後2時ごろに隣の自治体である諫早市に上陸したとの事。
我が家での気圧変化の記録と符合する。

宮崎県や鹿児島県では大きな被害が出ているようだが、幸いにも我が家の近辺では被害らしい被害は出ていないようだ。

千鳥川の水位が、かなり上がったことぐらいだが、諫早湾干拓の潮受け堤防のおかげで、「かなり上がったぐらい」という表現で済んだ。
潮汐による潮の遡上と重なっていたならば、千鳥川の水は確実に溢れ出して、水害を引き起こしていたであろうと推定されるような水位の上昇だった。

潮受け堤防による防災効果に対して、ありがたいことだと思っている。

豊田かずき


勤勉な郵便局員

2005年09月06日 | インポート
台風の通過を待つ時には、東向きの、風が余り当たらない玄関先に椅子を持ち出して、座って外の様子を観察することにしている。

部屋の中にいると、建物に当る強風の音が増幅されて聞こえるように感じる。
同じ強さの風でも、外で聞く風の音は、あまり大きくは感じないので、台風の時には、玄関先で外の様子をなるべく眺めるようにしている。
その方が私は落ち着く。

午前10時頃も、玄関先で椅子に座って、台風14号の強風にあおられている庭木の様子を眺めていたら、雨合羽を着て赤いバイクに乗った郵便配達の人が目の前に現れた。

台風による強風の最中だったので、びっくりした。

台風の時には郵便配達はしないものと勝手に思っていたので、意外に思えた。
若い郵便配達員は、感じのいい笑顔で挨拶をして、封書を2通私に手渡してくれた。

公務員の中でも、郵便局の人達は、特に勤勉だと以前から思っていたが、今日またその思いを確認する事ができた。

私は、郵便局員には公務員のままでいて欲しいと思っている。

身内や親戚に郵便局員がいるわけではないが、長年に亘り蓄積された、公務員としての郵便局員に対する全幅の信頼感が私にはある。

そのような郵便局員を、民間企業の一員にしてしまうような郵政民営化には、私は反対の考えだ。
公務員でなければ、職務を正常に遂行できないような職種もあるという認識を、私たちは持つべきではなかろうか。

道路公団の民営化によって、果たして本当に過去の利権構造が払拭されて、改革されたと言えるのだろうか。

私は、改革などなされてはいないという見方をしている。

豊田かずき


台風から

2005年09月05日 | インポート
台風14号は、勢力が衰えずに北上を続けている。
気象衛星画像で見ると、直径の大きな目が特徴の台風だ。

時間の経過と共に、通常の台風であれば、気圧が少しずつ上がって行くのに、14号は935hpのまま北上を続けている。

無気味な台風だ。

私と同じ考え方の愛野町議会議員がいることが、午後2時ごろ国道を走ってみて分かった。
後援会の看板を、複数の人が撤去していた。

大きなスローガンを書いた看板が立っていた所では、丁度撤去作業の最中で、雨合羽を着た作業員の人たちが、機械を使って、看板を外していた。

11日が投票の国政選挙の候補者のポスター掲示板も、鹿児島県や宮崎県では、一時撤去をしていると新聞が報じていた。

アメリカのハリケーン被害の大きさを見ると、人間の平凡で安穏な日常が、ひとつの自然災害によって、いとも簡単に奪い去られるものだなという事を思い知らされる。

ブッシュ大統領が、まずすべき事は、被災した国民に対する早急な救援対策の実施であるはずだ。

戦争を仕掛ける決断は早いようだが、自国民の自然災害の被災者の救済対策に関する決断はのんびりしているようだ。

被災地の視察に、ヘリコプターに愛犬を乗せて連れて行くような状況では無いだろうに。
被災者に対する対応を見ていると、その為政者の本質が透けて見えるようだ。

豊田かずき


台風への備えと石工さん

2005年09月04日 | インポート
非常に強い台風14号(アジア名はナービー)が、九州に上陸しそうなルートで北上している。

現在は、気象衛星などのデータにより、気象予測技術が正確になり、台風通過のルートと日時まで、かなり信頼できるようになった。

台風による風雨が強くなる前に、色々と補強しておかねばならない所があったので、補強のために必要な物を買う為に、町内のホームセンターに、朝の8時少し過ぎに行ってみた。

正確な開店時間は分からなかったが、8時半だったように記憶していた。
先着の男性が一人おられた。

挨拶をして、開店までの時間に、その方といろいろな世間話をさせていただいた。
こちらの素性を名乗ると、私の父親の事を知っていた人だった。

農業を営んでいた私の父親は、20年前に他界したが、そのずっと前の事を知っている人で、石工さんだった。
父も私たちが子どもの頃の農閑期には、石切り場に行って間知石を切り出す仕事をして、私たちを育ててくれた。

以前と現在の石の切り出し方の技術の移り変わりや、日本人の石工不足で中国から石工を雇い入れている事、トラック1台に間知石180本を積んで離島などへはフェリーで運んでいる事、長崎の出島や佐賀県のお城の石垣の復元作業の事、諫早湾干拓工事への石切り山からの土砂の搬入の話、その方の諫早湾干拓の将来に対する考え方など、たくさんの興味深い話を聞かせて頂いた。

そうこうしているうちに、ホームセンターの女性従業員の方が出社されたので、開店時間を尋ねると9時からだということだったが、レジの準備が出来次第に店を開けると言われた。

しばらくして開店したので、必要な補修用品を購入して帰った。

まず、小屋の2階の瓦の棟の最上部を、ステンレスの細い針金で留める作業。
時々小雨の降る中での作業だったが、無事に終わる。

次は、小屋の2階の北東側の大きな窓の外側に、古い戸板や板を固定する作業。
これは、妻と息子の3人がかりでの作業だった。

それから、住宅の方の雨戸の付いていない北東側と南西側の1間幅の窓の外側から、以前に台風対策用として作っておいたベニヤ板を固定する作業。
これは息子と2人で実施。

最後は、以前より数箇所に立てていた私の後援会の看板の一時撤去のための作業を、息子と2人で実施。
この後援会の看板が、台風による強風で飛ばされて、人様の家屋や走行中の車などに危害を及ぼす可能性があるかもしれないので、その予防のための作業で、息子と2人で実施。

以上が、今日の台風への備えの作業の全部だ。

台風14号のルートが、太平洋側寄りに変わる事と、その勢力が弱まって、被害が最小限であるようにとただただ祈るしかない。

以前に台風17号と台風19号による被害を、たて続けに受けた体験をしているだけに、台風情報には過敏にならざるを得ない。

正直なところ、台風はこわい。

豊田かずき


散髪

2005年09月03日 | インポート
午後から少し時間ができたので、散髪に行った。
7年間ぐらい通い続けている床屋さんだが、そこへ行って散髪台に座るとゆったりとした気持ちになれる。

ご主人と、今度の国政選挙の話や、10月11日に合併によって誕生する雲仙市の市長選挙・市議会議員選挙の話などを、のんびりとした時間の中で語る。

伸びた髪の毛を短くしてもらうと、頭が軽くなり、すっきりとした気持ちになる。
シャンプーをする時も、私がどのようにしてもらったら快適に感じるのかを心得ていて、黙っていてもそのようにしてもらえる。

きわ剃り、髭剃りの時の剃刀の動きを感じながら、その心地よさで、まぶたがくっつき始める。

まぶたはくっつきながらも、顔面の皮膚の上をすべる剃刀の感触を感じながら心地よい時間が過ぎる。

床屋さんに行っての帰りには、いままでの時間をリセットできたような、新鮮な気分になれる。

豊田かずき