ごっとさんのブログ

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無駄な会議と必要な会議

2021-01-31 10:37:39 | その他
現役のころはやはり会議が多くかなりの時間を取られていました。私の勤務先は研究所ですので一般の会議よりはましだったかもしれませんが、良くさぼって電話で呼び出されたりしていました。

ベテランのころにはこういった無駄な会議を減らすよういろいろ行動し、かなり減ってきたような気がします。こういう会議について「PHPオンライン」がうまくまとめた記事を掲載していました。

会議というと私の6,7歳上の先輩を思い出しますが、非常に仕事にも厳しい人で最後は常務まで勤めていました。先輩は会議の目的は2つしかないと断言していました。

ひとつは「決定事項を周知徹底させる」でしたが、これは納得できることで、メールで連絡されるよりは集まって聞いた方がはるかに記憶に残ります。もうひとつが「主催者が決めたことを出席者が決めたと勘違いさせること」というものでした。

つまり会議で議論の末に決定するのではなく、開催前に主催者がしっかり決定して置いた結論に導くための会議ということです。これは研究所という特殊な部署だからかと思っていましたが、この先輩は本社に移ってからもこの主義を通していたようです。

さて会議の必要性は、現場の実務者と意思決定を行うものとが異なるためとしています。またそれぞれが異なる使命を担う部門どうしで調整が必要な場合は、そのすり合わせのための会議が必要となります。

つまり決める人と実行する人が同じであれば会議の必要はなく、部門が一つで利害関係が共通していればすり合わせをする必要もないということになります。

会議でなされた決定は、現場での実行につながりますが、実行につながらない決定は必要ないことになります。実行の数を増やしていくためには、より多くの決定を迅速に行う必要があり、こうした決定こそが会議で目指すべきアウトプットになります。

そこで会議の成功の定義は、多くの決定をすることと、個々の決定のスピードを上げることになります。ここでは不要な会議として、決定に影響を与えない会議、アジェンダのない会議、集まることが目的の会議を挙げています。

少し前まで情報の共有が重要な会議の目的となっていましたが、現代では集まらなくても十分情報の共有はできなければいけないようです。本当に対面で行うべきかどうか、「決定」を伴う会議であるかどうかを熟慮して開催の有無を判断すべきとしています。

こうやって見ていくと現在行われている(私の場合は昔の会議)会議の多くは、いわば儀式のようになっている会議がかなり多かったような気がします。

オンライ会議などの新しいツールが出てきた今こそ、開催者は本当に必要かどうかを考える時期といえるでしょう。


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