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2年前の冬、中欧3カ国を旅したことがある。
ハンガリーからオーストリアへ廻り、最終地のチェコへ。
前の2カ国に比べて、チェコは何処か暗かった印象が強い。
中世の黒っぽい石造建物が、曇天の空に似合っていたし、
プラハは北緯50℃だから、結構な寒さでもあった。
聖ヴィート大聖堂やプラハ城、カレル橋などの素晴らしい
世界遺産を観光したが、一方で私の目を惹いたのは街行く
人々の、うつむいた暗い表情だった。
当時、財政危機が騒がれていたハンガリーに比較しても、
チェコの人々はひどく陰鬱で、悲し気に見えた。
何故…
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1968年の改革運動が、ソ連軍の介入で潰された『プラハの春』から
21年後の1989年、当時の共産党支配に反対、民主化を要求して学生
知識人が立ち上がった『ビロード革命』。
その舞台になったのが、ヴァーツラフ広場だった。広場というより幅広い
大通りで、多くの人が寒そうに肩をすくめて歩いていた。
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チェコは、ドヴォルザークやスメタナが活躍した音楽の国。
ソ連支配当時に禁止されたチェコ音楽を再興させようと、建設した国民劇場。
『チェコ語によるチェコ人のための劇場』チェコ人の誇りを掛けて建造された。
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カレル橋は一年中、観光客や地元の人々で賑わうプラハ旧市街の名所。
欄干には、チェコの発展に尽くした数多くの聖人たちの銅像が立っていた。
フランシスコ・ザビエル像もあったが、真っ黒で表情などはよく見えなかった。
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カレル橋では、土産品売りや似顔絵描き、ストリートミュージシャンなどが
寒そうな顔で営業中。時折り小雪が舞い落ちて、一段と寒さが募った。
彼らは今日も冴えない顔で、観光客相手の生業に精を出しているのだろうか。
今日11月17日は、無血でチェコを民主化させた『ビロード革命』が始まった日。
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