kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

2010年を総括する…PartⅠ 夢幻達成

2010年12月21日 | 日記
   
          
 2010年も残すところ10日、そろそろ一年間を振り返って総括しなくちゃ。
嬉しかったこと、そうでないこと、いろいろ有りました。
でもまぁ、“後悔”とか“反省”が似合わないkimitsukuとしては、2010年を
表わす言葉を『夢幻達成』としましょう。
 IL DIVOのプロモーションDVDを知ったのは、2009年春5月。
巨大なローマ遺跡コロッセオで歌う、映像&音楽&トークに魅せられた。
最初はプーラって何処…状態だったが、美しいアドリア海のクロアチア、
紀元前から栄えた古都と分かり、いつか行って見たい、イヤ絶対に行こう
秘かに心に決めていた。念ずれば叶う…が、信条のkimitsuku。
目の前に美味しい餌があれば、何処までも頑張っちゃいます。
     
 コロッセオで打ち合わせ中のIL DIVO。世界各地に残るコロッセオのうち
6番目の大きさを誇り保存状態も良く、かつてパヴァロッティも歌った舞台。
収録曲は、“アメージング・グレース”、“アダージョ”、“ハレルヤ”など5曲。
夕闇迫る薄暮の中で歌が始まり、フィナーレは夜空に花火が打ち上がる
演出で、いやもう凄~い迫力 アルマーニのスーツに身を包んだイケメン
四人組が熱唱する様は、実に垂涎ものであります
     
 念願のプーラを訪れたのは、2010年6月22日の午後1時。
現地ガイドの説明は殆ど耳に入らず、急ぎコロッセオ観光へ向かった。
海側を背にステージが組まれ、DVDで見覚えある石の観覧席や通路、
多分IL DIVOも歩いたであろう回廊を、バタバタ走り回って…。
あっという間の30分観光でしたワァ。 
  
 念ずれば叶う…を信じて、2011年も頑張って参りましょう。
  追記:kimitsukuの場合、後悔しないこと…とは、後悔することが無い
     …とは違います。念のため。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エミリー・ブロンテ 『嵐が丘』

2010年12月20日 | 日記
                 
              
 『嵐が丘』を初めて読んだのは、確か小学校高学年の頃だった。
学校の図書室にあった、「少年少女世界名作全集」を全て読破しようと
大それた望みを持って、『小公子』や『小公女』、『アルプスの少女ハイジ』
『秘密の花園』『若草物語』など、空想世界を彷徨いながら読み進んだが
この『嵐が丘』は、少し違った。複雑な人間関係とストーリーの特異性が、
12歳の子供には理解できなかったのだろう。
 長い年月を掛けて復讐を果たす筋書きは、『岩窟王』と共通していたが
単純明快なエドモン・ダンテスの復讐劇『岩窟王』に比べて、『嵐が丘』は、
非常に人間関係がドロドロしており、ただ恐怖心だけが記憶に残った。
              
 再び『嵐が丘』に出会ったのは、1939年製作のアメリカ映画をテレビで観て…。
主人公ヒースクリフを、ローレンス・オリヴィエが演じていた。まだ若い32歳の
オリヴィエが野性的で偏狂なヒースクリフを好演し、そのドラマ性を高めていた。
1848年に30歳で亡くなった若い女性が書いた『嵐が丘』とは、このような愛憎の
ドラマだったのかと、改めて原作者エミリー・ブロンテの才能に驚いた。
映像から荒涼たるヒースの丘や吹き付ける暴風を実感、復讐に燃える主人公
ヒースクリフの愛憎の激しさに心打たれた。
             
 1992年に製作された映画でヒースクリフを演じたのは、レイフ・ファインズ。   
オリヴィエと同じくシェークスピア劇の舞台俳優で、『嵐が丘』出演時は30歳。
ヒースクリフの哀しみを湛えた激情が画面から伝わってきて、オリヴィエとは
また違った複雑な人間像を演じた。
      
 『嵐が丘』の舞台は、イギリス北部のヒースが生い茂る荒地。
19世紀半ば、小説の作者E・ブロンテが実際に生きたのもヒースが広がる
荒涼たる大地。執筆にどのような背景があったのか分からないが、160年も
以前に、このようなドラマを考え出した稀有な才能には、感嘆あるのみ。
『嵐が丘』ただ一作を残して、E・ブロンテは1848年12月19日に逝った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスソングと言えば…

2010年12月19日 | 日記
        
 歳末商戦たけなわの街中に、クリスマスソングが流れている。
クリスマスソングと言えば、『ジングルベル』&『赤鼻のトナカイ』。
最近は、山下達郎の、『クリスマス・イブ』が一番人気らしい。 
 でもkimitsukuが懐かしく思い出すのは、ワムの『ラスト・クリスマス』
1984年に発売、世界的に大ヒットして現在でも期間限定No1の名曲。
既に解散したデュオだけれど、DVDを大事に持っているもんね…
同じワムの『ケアレス・ウイスパー』も素敵…あの頃はみんな若かった
        
 和製クリスマスソングでは、稲垣潤一の『クリスマスキャロルの頃には』。
こちらも1992年発売の古い歌だけれど、少しも古さを感じさせない、大人の
クリスマス・ラブソング。良い歌は時と共に輝きを増すものなのよねぇ。
毎年クリスマスの時期になると、必ず甦る稲垣潤一の代表曲。
        
 お待たせ~、IL DIVOのクリスマスソングと言えば『オー・ホーリー・ナイト』。
2006年発売のアルバムに収録されているコレクションの中でも、特段に彼らの
美学が感じられるクリスマスソング。
 更に言わせて頂けば、我が愛するUrsのピュアなテノールから静かに始まり、
次第に4人の声が重なり合うゴージャスな盛り上がりは、ゾクゾク鳥肌モノ。         
                 
サンタクロースや神様の存在を信じられないkimitsukuにも、クリスマスは楽しみ。
美しい歌を聴きながら頂く、ワイン&ケーキ 早く来い来いクリスマス。 
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界・わが心の旅

2010年12月18日 | 日記
         
 現在NHKテレビでBS放送10周年を記念して、『BSベスト・オブ・ベスト』を
再放送している。今日は『世界・わが心の旅』特集だった。
1993年から10年間にわたり放送された紀行番組で、各界で活躍する著名人が
それぞれ思い出の地を訪ね、現在の自分を振り返る構成になっていた。  
10年間で出演したのは約320名、訪問した国は70カ国に及んだそう。
この番組のファンだったが見逃したものも多く、今回初めて見た番組もあった。
ジャンルは違っても自分の原点を振り返り、次のステップへ繫ぐ作業は一緒。 
「温故知新」という言葉を思い出しつつ、興味深く見た。
         
 特に2000年に、ドイツを訪ねた姜尚中(カン・サンジュン)の旅が心に残った。
先日の講演でも触れていた、2年間のドイツ留学時代の親友を訪ねる旅だった。
在日韓国二世として生まれ、幼い頃から自分は周囲と違うと違和感を感じながら
成長した過程は、著書『在日』や『オモニ』にも書かれている。
在日韓国人の重みから逃れるようにドイツへ渡り、そこで知り合った在独ギリシャ
青年と、その家族の温かさに救われたエピソードが語られていた。
同じ移民二世として生きる青年の想いが、二人を固く結び付けたのだろう。
 ギリシャに戻った親友と家族に20年振りに再会、特に異郷にあってオモニと
慕った彼の母親に温かく迎えられて感極まった表情に、胸が一杯になった。
いつも冷静で『知性の塊』のように思えた姜氏に、ちょっと親しみを覚えたほど。
        
 ヨーロッパのように国々が陸続きなのと違い、一国一民族の独立した島国・
日本には移住民を受け入れる素地が、少なかったのだろう。
現在でも外国人労働者に対して様々な条件を課しているのは、その名残か。
介護人材の不足を解消するための方策も、多くの矛盾を抱えたままだ。
姜氏が、これからの日本を考える時、『移民』がポイントと話されていた。
 『世界・わが心の旅』は、著名人たちの主張や素顔や本音が垣間見えて、
様々なことを考えさせられた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川雅史コンサート情報

2010年12月17日 | 日記
 
            
    秋川雅史コンサートツアー『ファンタジスタ』情報です。

            プログラム構成
 1 慕情(一昨年のコンサートでも歌った甘く力強いバラード。
    香港を舞台に、W・ホールデンとJ・ジョンーズが共演した映画の主題歌)
 2 グラナダ(Akkiの情熱が迸る、コンサート定番のカンツォーネ)
 3 恋人よ(五輪真弓のヒット曲。kimitsukuの数少ないカラオケナンバー)
 4 蘇州夜曲(いやぁ懐かしい、歌ったのは李香蘭山口淑子
 5 ひばりの佐渡情話(今回のひばり曲はこれ、どんな風に料理するでしょう)
 6 チャンピオン(谷村新司のヒット曲、Akkiの男性的魅力に注目)
 7 昭和(これも谷村新司です、“群青”の姉妹曲かしら)
 8 日本の歌曲メドレー(お楽しみに~)
 9 禁じられた音楽(アルバムPassioneに収録のカンツォーネ名曲)
10 千の風になって(Akkiと言えば、矢張りこれは外せないでしょう
   翼をください(コンサートお約束のアンコール曲)
          
 札幌での公演は未定。ここ最近は3月末が多いけれど本当はもう少し遅い
時期がいいのよね。だって3月だと雪解けで道がぐちゃぐちゃ…お洒落な靴が
履けないのよぉ…。でもAkkiには早く逢いたいし…kimitsuku困っちゃう~
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真冬日の札幌に氷紋の花

2010年12月16日 | 日記
        
 今日の札幌は、日中の最高気温もマイナスの真冬日。うぅ~寒い
朝起きると、居間のガラス表面に厚く氷の花が咲いていた。
氷紋と言うと何だかロマンチックだが、北海道弁で「シバレ」と称する
厳しい寒さは、まだ始まったばかりの冬将軍の到来を告げていた。
新聞の天気予想を見ると沖縄は17℃で、週末には20℃を越えるらしい。
日本列島は南北に長いことを、しみじみ実感させられる。
夏は涼しい北海道で、冬は暖かな沖縄で暮らしたいわぁ…
                  
 この冬は世界的な規模で寒さが厳しいようで、先日来のニュースでは
ヨーロッパの寒波で凍死者が出たとか、空港が閉鎖したとか伝えていた。
猛暑の夏も極寒の冬も、壊れかけた地球のシグナルなのかも…。
        
 渡辺淳一の小説に『氷紋』がある。『無影燈』や『リラ冷えの街』と共に
若い頃の作で、登場人物の清冽な生き方が好きだった。
最近は、あまり読まないが初期の作品には今も心惹かれるものが多い。
『花埋み』『白き旅立ち』『阿寒に果つ』『ひとひらの雪』『うたかた』『失楽園』
魅力的なタイトルに惹かれ、思わず手を出してしまう女性ファンも多いとか…。
女性心理を突く著者と出版社のイメージ戦略に、まんまと乗せられたのは
kimitsukuも一緒でした
 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェルメール 43年の生涯

2010年12月15日 | 日記
             
 17世紀のオランダ美術に大きな足跡を残した、ヨハネス・フェルメール。
生涯、故郷デルフトから出ること無く、43年間に残した絵画は30数点のみ。
数少ない遺作の殆どが、静かな故郷の風景画と光の中の女性たち。
 2003年にフェルメールをモデルにした映画『真珠の耳飾りの少女』が作られ、
少女に扮したスウェーデン女優が、実に絵画そっくりで話題になった。
まぁ映画のような画家と少女のロマンスは、どうやら無かったらしいとか…。
さすがフェルメール作品人気No1のこの絵画は、不思議な魅力に満ちている。
        
 故郷デルフトを描いた『デルフト眺望』。絵の上半分を占める空と雲、
整然とした街並み、それらを写す水面。左下には数人の人影が配され
絶妙のバランスを保っている。
中央に描かれた教会から、鐘の音が聞こえてきそうな静謐な一枚。
             
 『牛乳を注ぐ女』は、先の2点より早い1660年の製作とされている。
フェルメールブルーと称される青い顔料が画面を引き締めて、kimitsuku
一押しの一枚。滴り落ちる白い牛乳の美しさと、そのボリューム感に驚く。
残念ながらフェルメール絵画の実物は鑑賞したことが無いが、いつの日か
アムステルダムやハーグの美術館を訪ねたいと、願っている。
 1675年12月15日、ヨハネス・フェルメールは43年の短い生涯を終えた。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走はジィバァも走ります

2010年12月14日 | 日記
      
 師走も中旬になり、そろそろクリスマスプレゼントの季節です。 
遠く長野に住む孫二人から、リクエストがありました。
日ハムグッズを希望です。オフィシャルカレンダーとか、携帯の
ストラップとか…らしいです。可愛い孫の笑顔が見たさに、早速
ジィバァは日ハムショップへ走りました。
        
 目指したショップで、もうカレンダーは売り切れ、あらぁがっかり
毎年なかなかの人気商品らしいです。
次なるプレイガイドで残り僅かな1枚をゲットして、やれやれ一安心。
keisuke少年の喜ぶ顔が目に浮かびます。
       
 marinoお姉ちゃんには、最近使い始めた携帯電話のストラップを…。
長野でファイターズファンは希少価値。マスコットのB・Bが可愛い~
斉藤佑樹グッズがあったら…と、頼まれたけれどまだ作っていないって…。
開幕間近かになったら、佑ちゃんグッズが大きな話題になるでしょうね。
        
 これも日ハムグッズに入るのでしょうか…北海道限定『北の焼そば』。
B・Bが、イェーイと格好良くポーズを決めています。      
           
 北海道限定といえば、これも忘れられない。ガラナも一緒に送りましょう。
keisukeが言うには、長野にはこんな美味しい飲み物は売っていないって…。
そうそう、スープカリーも皆の好物よね。他にはえぇ~っと…。
師ならぬジィバァが忙しく走り回った師走の一日でした。オ・シ・マ・イ 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兼高かおる 世界の旅

2010年12月13日 | 日記
 
             
 庶民にとって、海外旅行が夢だった1959年から30年以上にわたり
世界の国々を紹介してくれたTV番組、『兼高かおる 世界の旅』。
第1回の放送が始まったのは、今から51年前の1959年12月13日。
中断した時期もあったが、通算30年10ヶ月も続いた長寿番組だった。
訪れた国は160ヶ国に及び、飛び回った距離は地球180周だそう
いつ頃からか、私も毎週日曜日の午前この番組を楽しみに見ていた。
1970年代の世界情勢や各国の気候風土・歴史・文化・人々の暮らし、
全てが珍しく興味を惹かれた。流暢な言葉を駆使し、ヨーロッパの
古都からアフリカ未開の地まで、世界の今を伝える紀行番組だった。
兼高さんのバイタリティに溢れた生き方も魅力的で、これからの時代、
女性もあんな風に自由に活動的に生きられたら…と、憧れの対象だった。

     

 その兼高さんが、今月5~6日の『NHKラジオ深夜便』に出演し、最近の
若者は海外へ出ようとしないと懸念していた。『百聞は一見にしかず』…、
世界の中の日本を認識するためにも、若い人には旅が必要と…。
若い…とは言い難いが、私も海外旅から学んだことは多い。
世界中には多種多様な国があり、文化があり、人種がいて、それぞれの
価値観を大切に、日々の暮らしを営んでいることを知っただけでも収穫。
 特にイスラム圏の国々は面白かった。コーランの教えが今も生きており
社会の隅々にまで浸透していた。日々の生活に規律やマナーが守られ
古き良き日本を思い起こす旅だった。またこの夏に訪れたクロアチアは
複雑なバルカン半島の歴史を学ぶ機会となった。
 見聞を拡げるための若者旅と違って、ただのお気楽おばさん旅ながら
これからも興味の趣くまま、世界のあちこちを彷徨い歩くことにしましょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

撰ばれてあることの恍惚と不安と

2010年12月12日 | 日記
        
 上の写真は、青森県五所川原市の芦野公園に建つ太宰治の文学碑。
かつて太宰文学のファンだった私は、この芦野公園を訪ねたことがある。
『撰ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり』と、書かれていた。
原文はフランスの詩人ヴェルレーヌの詩だが、太宰は感じるものがあり
故郷の記念碑に刻んだ。かなり自意識が強かった太宰だから、青森の
旧家に生まれた境遇を、ヴェルレーヌの詩に重ねたのかも知れない。
確かに恵まれた境遇に生まれた者には、豊かな暮らしが出来る歓びと、
皆の期待に背いてはいけないと思う重圧を、併せ持っているものだろう。
太宰が、あのような生き方をせざるを得なかったのは分からぬでも無い。
       
 このところマスコミを賑わせている市川海老蔵も、『撰ばれた人』であろう。
歌舞伎の名門・成田屋の嫡男に生まれた時から、大変な重責を担っていた。
幼い頃から人々の注目を浴び、厳しい稽古に鍛えられ、仮にその代償として
甘やかされて世間知らずの傲慢な人間に育った…としても無理は無い。
歌舞伎社会では将来を嘱望される『天下の海老蔵』も、誰もがそれを認める
訳ではない。今回の騒動は一方的に海老蔵の不利益、争って勝ったところで
ナンボのものでも無い。
 これ以上、成田屋の看板に傷をつけることの無いよう願うばかりである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする