kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

ノーベル賞授与式に想うこと

2010年12月11日 | 日記
            
           
 10日ストックホルムに於いて、ノーベル賞の授与式が盛大に行なわれ
鈴木章・根岸英一両氏に化学賞が贈られたことは、喜びに堪えない。
「クロスカップリング」なるもので、社会貢献した業績を評価されたとか。
化学にも科学にも弱い身としては、よく分からないながら世界が認めた
お二人の永年にわたる研鑽に、大きな拍手を送りたい。
スウェーデン国王から賞を手渡される華やかな式典の様子が、世界中に
TV中継され歓びを共にした。
            
 同日オスロではノーベル平和賞の授与式が行なわれたが、その会場に
受賞者の姿は無かった。昨年はアメリカのオバマ大統領が受賞し、感謝の
コメントを述べていたが…。
今年の平和賞受賞者は、現在中国で服役中の作家・劉暁波氏。
受賞理由は、「中国の基本的人権確立のために、長期にわたる非暴力の
闘いを続けている」ことに依るとか。中国在住の中国人としては初めての
受賞であったが、中国が反国家犯罪で服役中の者の受賞を容認する筈が
無いのは分かりきった話。授与式に17カ国の代表が欠席したのも、止むを
得ない事情があったのろう。
 服役中の人が平和賞を受賞した例は過去に2件あり、1991年ミャンマー
平和運動家、アウンサンスーチー氏の場合は代理人が受け取った。
誰も出席しなかった例は、1935年ナチス時代のドイツ人ジャーナリスト、
カール・フォン・オシエッキー以来だそう。
無人の椅子に置かれた賞が、劉暁波氏の許に届く日は来るのだろうか。
ある意味、ストックホルムより世界の注目を集めたオスロ授与式の映像。
ゴーイング・マイ・ウェイを往く中国は、いつまで持ち応えられるだろう。
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今年の漢字は 『暑』

2010年12月10日 | 日記
       
 今年を表わす漢字は『暑』に決定。確かに暑かったぁ…納得します。
熱中症で亡くなった方も多く、農作物の出来にも影響して散々の夏だった。
チリでは、落盤事故で暑い地下に閉じ込められた作業員の救出劇もあった。
遠く地球の反対側で起きた出来事、それも地下深くからの映像が映し出され
改めて人間の科学技術や生命力、連帯などを考えさせられた。
 昨年の『新』、その前の年は『変』と、その時々の世相を漢字一文字で表わす
年末恒例行事。これも漢字の国・日本独自の文化…と言えるだろう。
                
 因みにkimitsuku予想は『騒』だったのよ。民主党政権の交代騒ぎ、その後
国会での与野党攻防騒ぎ。思いがけず日本が世界ベスト16まで進んだW杯
2010大会のブブゼラ騒音。ついでに此処へ来てEBIZOも一役かって…。
 世を騒がせたニュースは多々あったけれど、嬉しい『騒』もあった。
北海道から初めてのノーベル賞受賞者、鈴木章氏の故郷・鵡川町は大変な
フィーバーだって…。こんな『騒』は、大歓迎
 今年の夏は猛『暑』だったけれど、この冬は猛寒なんてことになりませんよう。  
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“佑ちゃん” ようこそ 北の大地へ

2010年12月09日 | 日記

     
 北海道日本ハムファイターズに、新しい仲間を迎えた。
ドラフトで1位指名した“佑ちゃん”こと、斉藤佑樹くん。
ようこそ北の大地・北海道へ。
新千歳空港に降り立ち、歓迎の人々に笑顔で応えた後、
札幌市内で正式に日ハムと契約を交わした。
小学生の時に来て以来という、北海道の印象を聞かれて
何も無い広い大自然が印象的だったそう。
何たって、でっかいどう、ほっかいどうだもんね。
     
 午後3時から、札幌ドームで異例の単独入団会見。
ドラフト会議で1番籤を引き当てた、藤井球団社長と梨田監督に
先導され、8000人のファンが待つグラウンドへ。到着時の洋服から
4年間着慣れた早稲田の学生服へ、着替えて登場。
社長と監督から歓迎の挨拶があり、続いて“佑ちゃん”の入団挨拶。
『一生懸命』という言葉を何度も使い、緊張感と初々しさを滲ませた。
インタビューで、憧れの選手はダルビッシュ有。対戦したい相手は、
打率の低い打者と笑わせていた。4年前に甲子園で対戦した、楽天
田中将大選手には、プロで活躍している先輩、早く追いつきたい…と。
その後、監督にユニフォームを着せて貰い背番号18をお披露目した。
     
 若者の旅立ちは、いつ見てもいいわねぇ…。
爽やかで誠実な人柄が、よく伝わってくる入団会見だった。
これからの野球人生、順風満帆とばかりはいかないだろうが、何かを
“持ってる佑ちゃん”だから、大丈夫
北の大地の日ハムファンが、いつも温かく見守っていますよぉ…。
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12月8日

2010年12月08日 | 日記
     
 歴史上12月8日は、ふたつの出来事を記念する日であった。
ひとつは1941年、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃して始まった
太平洋戦争の開戦記念日。その後3年6ヶ月に及ぶ戦いは1945年8月、
広島・長崎への原爆投下で終りを告げた。200万人を超える人命を失い
焦土と化した国土を今日の繁栄に導いた人々の労苦は、いかばかりで
あったろう。あの日から僅か69年しか過ぎてはいないのに、もう最近は
12月8日を迎えても、何の感慨も持たない日本人が多すぎやしないか

           
 今から30年前の1980年12月8日、ニューヨークの街中でジョン・レノンが
撃たれて死んだ。人気グループ『ビートルズ』の中心メンバーとして、また
平和運動家として活動していたが、熱狂的ファンを名乗る男によって40歳の
生涯を閉じた。日本文化を愛しジョンレノン=如雲玲音と漢字表記していた。
『イマジン』は、今も人々に歌い継がれる平和希求の名曲。
  想像してみよう 僕らみんなが 平和な人生を送っている姿を
   想像してみよう 僕らみんなで 世界の全てを分かち合っていることを

                
 昨日のブログを載せた時には知らなかった、EBIZO記者会見。
充血した左目も痛々しく1時間半もの間、謝罪の言葉を繰り返した。
『反省だけならサルでも出来る』と、ついつい意地悪く見ていたが、
端正な梨園の御曹司が何度も頭を下げる映像に、心が痛んだ。
『なんか芝居を観ているような…』と、思わないでもなかったが…。
 2010年12月8日を、新しいEBIZO再生の記念日にして欲しい。
世界に誇る日本の伝統文化、歌舞伎を愛する人々を忘れないで
公私ともども真摯に精進して貰いたい。
 いよっ成田屋待ってるよぉ
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平和ニッポンのEBIZO騒ぎ

2010年12月07日 | 日記
        
 このところ格好のTV&週刊誌ネタ・EBIZO事件。
最初は驚いた歌舞伎ファンkimitsukuも、最近は連日の報道に些か食傷気味。
いくら成田屋が、豪放磊落・荒唐無稽で知られる芸風の家柄とは言いながら
それを地でやっちゃうのは…ねぇ、矢張り不味いでしょうよねぇ。
歌舞伎の名門、成田屋の御曹司も形無し今回のEBIZO騒ぎ。それにしても
此処までバッシングが酷いとは…、日頃から余程イケナイ部分が多かった
昔から役者バカという言葉があるが、今の時代それは通用しないでしょう。
役者としてはどんなに有能でも、その前に社会人としての規範が求められる。
どういう形で決着するのか知らないが、EBIZOには高い授業料だったろう。

                  

 今回もうひとつ私の興味を惹いたのは、報道メディアのあり方。
こんな時いつも話題になる「需要と供給」、「報道の自由とプライバシー」。
求めよ さらば与えられん  他人の不幸は蜜の味
その国の政治レベルは国民のレベルに依ると、聞いたことがある。
案外この度の騒ぎに喜んでいるのは…どちら様でしょう。
平和ニッポンの年末芸能ニュース、お騒がせEBIZO事件は、まだまだ続く
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ラジオ深夜便 隠居大学

2010年12月06日 | 日記
        
 昨夜の『NHKラジオ深夜便・隠居大学』が、面白かった。
喜寿を迎えたコラムニスト天野祐吉が月1回、ゲストを招いて楽しく
お喋りするトーク番組『隠居大学』の趣旨は、“原始、隠居は遊びの
名人であり、若いモンの憧れであった。が、今やこの国で隠居は絶滅
危惧種になってしまった。これじゃいけない…ってんで、隠居養成の
ための学校を始めることにした。目指すは自由で洒脱な「遊びの達人」。
「学ぶは遊ぶ」をモットーに、達人たちとのんびりトークを繰り広げる”。 
 放送時間が毎月第一日曜日の午前1時過ぎ、興味はありながら聞き
逃したことが多かった。過去のゲスト、作家の赤瀬川原平氏や詩人の
谷川俊太郎氏の時は、ぼんやり夢うつつに聞いていた。
 昨夜のゲストは、俳人の坪内稔典氏。
正直、聞いたことの無い方だったが、話が面白く聞き入ってしまった。
俳諧とは、俳の字も諧の字も「おどける・たわむれる・こっけい」の意が
あるそうで、和歌・短歌が貴族の教養として品良く詠まれたのに対して、
俳句は一般大衆が楽しみに詠んだものとか。例えば『古今和歌集』など
貴族や武家が作った和歌に、下世話な食べ物に関するものは一首も
無いが、俳句には庶民の楽しみだった酒や嗜好品を詠んだ句が多いそう。
   
         
 夏目漱石が詠んだ句に、「鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺」がある。
その後に、漱石と親交があった正岡子規は、「柿食えば 鐘が鳴るなり
法隆寺」と詠んだ。今ならば盗作騒ぎかも…と、興味深い話を聞いた。
 また、お嬢さんが小学生だった頃のエピソードが傑作でしたねぇ。
坪内氏のおもしろ俳句「三月の 甘納豆の うふふふふ」を読んだ級友が
そんなのダメ直してあげると「三月の 雛人形の うふふふふ」と修作した。
 この甘納豆の句はシリーズもの、因みに12月の句は「十二月 どうする
どうする 甘納豆」。時々読者から、この句はどういう意味かと質問を
受けるが、実は何も考えていない。読んだ人が好きに想像して欲しい、
俳句の楽しみは其処に在る…んですって。
 今まで俳句や短歌など、いろいろ制限がある韻文は難しいと敬遠して
いたが、坪内氏の話でちょっと好奇心が湧いてきたかも…。
      


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四文字熟語に学ぶ

2010年12月05日 | 日記
              
 先日のフォーラム『歴史から学び、伝えるもの』で、姜尚中氏が話した言葉
「やろうじだい…」が、気になっていた。若い人たちに過去の歴史に対する
責任は無いと考えるが、自国の歴史を知る努力はして欲しい。過去の歴史を
知らない自己肯定は、時に「やろうじだい」になってしまう…と。
確か「やろうじだい」と言っていた、どういう字を書くの、どういう意味
 数日後、その時の講演と討論の記事を新聞で読んで、「夜郎自大」と書くと
知った。調べてみると中国の史記に出ている熟語で、「自分の力量を知らず
羽振りを利かせ尊大に構えること」とある。「夜郎」とは、漢代の異民族の一。
漢の広大なことを知らずに、自ら勢力の強大なことを頼みにしたことから…と
広辞苑に書かれていた。へぇ~知らなかったぁ
 改めて四文字熟語に興味を覚え調べてみたら、四つの漢字を種々様々に
組み合わせ、深~い意味を表わす人生訓があった。
                       
 「浅学菲才」で「厚顔無恥」の自分を顧み、「鯨飲馬食」や「無芸大食」と
ならぬよう「健康管理」に気をつけ、「花鳥風月」を愛し「行雲流水」の日々を
心掛け、「悲喜交々」の人生を「夫唱婦随」で乗り越え、いずれは「偕老洞穴」。
そんな人生…、素晴らしいけれど、今更kimitsukuには「無理難題」な話。
「羊質虎皮」と言われようと、「唯我独尊」と言われようと「問答無用」。
そんな風に、「愉快痛快」な生き方が出来たら楽しいなぁ…。
そんなことじゃ末は「因果応報」&「孤立無援」だろうって…「意気消沈」
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リーガ・エスパニョーラが面白い

2010年12月04日 | 日記
   
             
 歓喜の日から4ヶ月余、世界最高のサッカーを魅せたリーガ・エスパニョーラ。
その後、スペイン国内ではクラブチームNo1を競い激しいゲームが続いている。
現在、首位をゆくのは、バルセロナ(バルサ)とレアル・マドリード(R・マドリ)。
この両チームの戦いは、“クラシコ”と呼ばれて伝統の一戦となっている。
2010年の初戦は、11月29日バルサホームにマドリを迎えて行なわれた。
 W杯でリーガ・エスパニョーラに魅了されたkimitsuku。
試合結果はネットで知っていたけれどBS放送でしっかり観戦、バルサの強さに
圧倒されてしまった。此処まで無敗で首位だったマドリを、5:0で叩きのめした。
これでバルサは対マドリ戦に5連勝、首位を奪い取った。
        
 試合は一方的に決まってしまったが、非常にエキサイティングで面白かった。 
欧州一の収容人員98,600人を誇るバルサのカンプノウでは、勝手が違うのか
マドリの選手たちは最初から神経質になっていたようで、C・ロナウドもピリピリ。
動きが悪く、いつもの正確なシュートも出来ていなかった。
対してバルサ選手たちは伸び伸びとピッチを走り回り、パス&シュートを決める。
まるでマドリは金縛り状態…。これが“クラシコ”なのか。
 バルサファンのkimitsukuとしては嬉しい勝利だが、W杯優勝時の選手たちが
敵味方に分かれて戦っていたのには、ちょっぴり胸が痛む。
W杯で最優秀ゴールキーパー賞を得たマドリの守護神、カシージャスが5点を
奪われ戦意消失、力なく引き上げる様子が痛々しかった。
 しかし、このまま終わる訳は無い。次回の“クラシコ”は、来年4月16日マドリの
ベルナベウで行なわれる。マドリも今回の雪辱を晴らすために、必死の戦いを
挑んでくることだろう。当分、リーガ・エスパニョーラから目が離せないわねぇ。
                     
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IL DIVO ★クリスマス コレクション★

2010年12月03日 | 日記
         
           
 師走の街には“ジングルベル”が流れて、既にクリスマスシーズン。
クリスマスソングと言えば、勿論 『IL DIVO クリスマスコレクション』です。
“オー・ホーリー・ナイト”や“アヴェ・マリア”など、パワフル&ゴージャスに
聴かせます。いつもは静かで厳かな賛美歌も、オペラティックにハモルと
こんな風になるのねぇ…と、感服しつつ耳を傾ける至福のひととき。
 IL DIVOは情熱的なラテンの曲も素敵だけれど、大聖堂の宗教音楽を
思わせる此のコレクションは絶対お勧め 一度お聴きあれ。

  収録曲
      1  O HOLY NIGHT (オー・ホーリー・ナイト)
      2  WHITE CHRISTMAS (ホワイト・クリスマス)
     3  AVE MARIA (アヴェ・マリア)
     4  WHEN A CHILD IS BORN (悲しみのソレアード)
     5  ADESTE FIDELES (神の御子は今宵しも)
     6  OVER THE RAINBOW (虹の彼方に)
     7  PANIS ANGELICUS (天使の糧)
     8  REJOICE (リジョイス)
     9  SILENT NIGHT (聖しこの夜) 
     10  THE LORD,S PRAYER (主の祈り)

    
         
                         
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シルクロードへの想い

2010年12月02日 | 日記
      
 平山郁夫氏が他界して早くも一年。世界平和を願い、文化芸術を愛し、
シルクロードへの想いを作品に残した、79年の生涯であったと思う。
『仏教伝来の道』を探るために始まったシルクロードへの旅は、トルコの
カッパドキアに残る石窟寺院の壁画描写から、スタートしたとか。
そしてバーミヤンの破壊された石仏像、タクラマカン砂漠、新彊ウイグル、
敦煌莫高窟など仏の道を辿って、奈良の都へ。
 それらの資料や絵画の多くは、山梨県北杜の『平山郁夫シルクロード
美術館』に収蔵されている。
       
 美術館では2011年2月まで『栄光のペルシャ展』と『最期の風景展』が
開催されているとか…。シルクロードファンの末席を汚すkimitsukuと
しては、かつて訪れたカッパドキアや敦煌、トルファン、西安、ペルシアを
思い出しつつ、平山氏の足跡を偲びたいと願っているのだが…。
 便利な世の中、ネット上で鑑賞することも可能だが、何とか機会を作って
一度は訪れたい『平山郁夫シルクロード美術館』である。
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