kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

さあやと生活団とクリスマスに関する色々

2017年12月07日 23時52分16秒 | 成長記録
朝、起きて「アイ、アイ…」って言うから、また「アイパッド」って言うのかと思った。おもちゃで遊んでる動画見るの好きだから。
そしたら、「マルハチでアイス買って」やって。寒いのに、しかも朝から。
「アイスってアイスクリーム?」と聞くと、
「ちがう」
「なんかパクッて食べるやつ」
「棒がさしてるやつ」

アイスクリームとアイスの違い、ちゃんと使い分けてるんや。
アイスクリームは舐めるやつやもんな。

朝ご飯食べるのに、台所の席に座ってる時、生活団のクリスマス会でもらったマットを股の間から見てた。
「マット、かわいい?」と聞くと、
目を細めて「うん」と言ってくれた。

生活団のクリスマスでは、子どもからのプレゼントがあった。
子どもはお母さんに内緒にしておくよう言われてたらしい。
「さあや、生活団でハンカチ作って、よう内緒にできてたな」
「内緒にしとこうと思ったん?」と聞くと、
「だって、ないしょやもん」
4歳だと思わず喋ってしまいそうなのに、私でも内緒と言えば言われるほど喋りたくなるのに、よく内緒にしてた。
そう言えば先週生活団終わってから帰り、「ないしょやねん」とか言ってた気がする。この事やったんや。


マットの事、子どもの絵が元になってる事に気付いてほしくて、
「さあやは何でサンタさんはこのマット持って来てくれたんやと思う?」と聞いてみた。
「誰かが『落としたんちゃう』って言ってた」と言う。
いや、そこじゃなくて。

「さあやは、何でサンタさんがこのマット選んだんやと思う?」と聞く。
「あ、分かった」「やねの上にえんとつあるやん?えんとつの上からポトンと落としたんやと思う。プレゼントを。サンタさんがやねの上にのぼって、プレゼントをポトンと落としたんちゃう?びっくりさせようと思って」
「サンタさんがあいずをしていったんちゃう?」
「それでねた方が良かったんちゃう?朝やけどさ」


何故サンタさんがこの形のこの色のこの柄のマットを選んだかという私の質問の意図は分かってもらえなかったけど、さあやの考えた答えがかわいくて、記録に残しておくのに夢中だった。
サンタさんが合図をしたというのは、親子でかけ合いの歌を歌ったら、シャンシャンシャンシャンと鈴の音が玄関から聞こえて来た事を言っている。

寝た方がいいっていうのは、寝てる間にプレゼントを持って来るから、寝た方が良かったと気を遣ってるみたい。イベントは昼過ぎにあったんだけど、朝って言ってたけど。


夜お風呂で、「サンタさん、うちに来る時、プレゼント置いて、さあやかわいいから連れて行くんちゃう?」と言った。
そしたら、「ダメ―、いるー」やって。

夜寝る前、さらが学校で借りて来た「ヘンゼルとグレーテル」を2人に読んだ。
「お母さんも貧乏なったら、さら捨てるわ」と言うと、さあやが
「ダメ!バツ!まる!いる!ピンポーン」と言った。
お姉ちゃんが大切なんやな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からっぽ感2

2017年12月07日 10時21分37秒 | 気付き(自分に関する事)
最近からっぽ感を感じている。(前回のブログ11/28「からっぽ感」
どうにかしたい、前みたいに幸福感を感じる毎日にしたいと思う気持ちもある。
でも、心屋とかで分析しまくった人が言うのには、感情を感じるままにしたらいいと言う。分析しなくていいと言う。
たまには、そのまま、ありのままにしておいた。

そして、最近、湧き出して来た気持ち。


からっぽ感があると言っても、
自分にしかできない事という意味で、子育てはしてる。
でも、自己実現ができてないから、そう思うのかもしれない。


でも、からっぽ感があると言うと、今までは詰まってたのか?
元々人生ってそんな詰まってるものじゃないんじゃないか?

忙しく日常を過ごしてたから、考える余地がなくて、頭の中が何かしらで忙しかっただけで。
人間生きていくのに、基本的に暇なんじゃ?
暇がイヤで、色々しちゃうんじゃないか?
暇だと、頭の中で色々考えたり、不安になったり、寂しくなったりしちゃうから。

行動に出れば、仕事や自己実現に向けて行動するだろう。
考える事に出れば、頭の中が忙しい。
行動すると、あんまり頭で考えなくて済むんだけど、行動する事によって人間関係とか自分の心の中の不安で悩む事もあるだろうし。
行動するのが不安な場合、頭で考えてばっかりで、結局頭の中だけ忙しくなっちゃったりする。
私みたいに「納得の人」(納得するまで長いけど、納得すると早い)だと、行動する前に考えてる時間が長いけど、その分行動し出すと早いって場合もあるけど。(それでも、現実はちょこちょこ時間かかるもので、考える前にやっちゃう方が早いって側面も多々あると思う。)

じゃ、今までキラキラしてたのか?
仕事してたらキラキラしてたのか?
キラキラしようなんて時は考えてるだけで、キラキラって気付けば夢中になってて傍から見たらそういう状態って事なんじゃないか?
キラキラしてたと思ってたら、おこがましいんじゃ?

でも、同時に、私は思う。
私は、やろうと思えばできる人。かなりやり手な方だと思う。
1億5千万強売り上げて来た人。

経済を優先するあまり、生活が疎かになっていた気がする。
経済というのは、会社や社会や国家が、社会全体の経済を優先するあまり、個人の生活が追いやられて来た時代だったんだと思う。
みんなそれぞれ生活があるんだ、それが軽視されて来たんじゃないか。

(これは、ドラマ「コウノドリ」を見ていて、小さな地域での唯一の産院の医者が倒れて、それでもここで踏ん張りたいと言っていて、その息子の産科医が「隣町に行ってもらえばいいじゃないか」と言ったら、おじいちゃん医者の方が「みんな、生活があるんだ」と言った事から思った。社会がそうなれば(都会に人が集中して、田舎は過疎化したら、効率化・合理化に合わせないとという事)、それに合わせるのは仕方ないと考えるのが今の時代普通なのに反して、それ(個人の生活に合わせる事)が大事と言うのは今の時代、珍しくて、忘れてた事・疎かになりがちな事を思い出させてくれた。)

個人の生活が追いやられるというのは、
奥さんが出産する時でも、だんなさんは仕事するのが当たり前だった私達親世代の事だったり、
得意先への責任を果たすためには、個人はサービス残業が暗黙の了解だったりする私達の時代だったり、
仕事という名目の基には、生活が大きく変わる転勤が唐突に来ても対応するのが当たり前だったり。
それが楽しめる人はいいと思う。
でも、それに疑問・不満・苦痛を感じるのなら、それはおかしい事。
でも、社会皆がそれをしていたら、認めていたら、反対の声も挙げられないという事。

今は技術が進んで、私達の親世代とは全く違う時代で、私達の次の世代はまた私達の想像のつかない未来になってると言う。
でも、なーんだ、人々の心は置いてけぼりで、「周りが皆そう言うなら、個人の私の意見は言いづらい」という、戦争時代と変わってない。
人々の心は未だ戦時中。

羽仁もと子さんの友の会の考えで、「生活は簡素に 社会は豊富に」と言うけど、あれは個人を犠牲にして社会に貢献しろという事でなくて、個人個人の生活はそんなに豪勢にお金はかからないから日々簡素に過ごしたらいい、社会が豊富になれば、その分個人個人に返って来るという事なんだと思う。
だからと言って、個人の生活、家族の生活は社会の基本、社会の最小単位。
そこを疎かにすると、社会だっていずれ回らなくなる。
今は、現代社会のそこに破綻が来た状態。

だから、
まず実(じつ)でいうと、個人の生活、
精神的な事で言うと、心のあり方Be(心屋でいう)に基本をおこうって世の中なんじゃないか。
それがバランス取れてくると、また回り出す。
社会が、時代が、動き出す。

話が逸れたけど、

やろうとしてないから何も形に残ってないだけじゃ。
やろうと思ったら、できるんじゃないか。

子育てのやったは形に残らないけど、心に残る。
今はそれでもいい。
形に残す方に走ってもいい。
どちらでも自分がその都度思う方に行けばいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする