世の中、情報に振り回されるもので。
私だけ?いや、多くの人が無意識にやっちゃってる事だと思う。
たとえば、私、子どもと一緒にいたいから仕事を辞めた。
子どもといる時間は何千万もの価値があると思って仕事を辞めた。
でも、世の中では、仕事をする人がえらいという風潮。
子育て落ち着いたら仕事するもんだ、もしくは時間無駄にせず仕事でもしたらという風潮。
そんな中にあっては、仕事をしていない自分にすごく焦りを感じて来た。
そして今世の中は起業ブーム。
ちょっとした手作りの物を売るとかから、カウンセリングやコンサル的なものから、本格的なビジネスまで。
なんか、起業してるのがえらいかのような風潮。
「キラキラ女子です。起業女子です。月商7桁。確定申告行きました。」なんか、そんなの言ってる人がえらいかのような風潮。
しゃらくせー。
なんか違う。
なんか上っ面。
なんか皆言ってる事同じ。
うまく言えないけど、なんか違う気がして来た。
でも、資本主義の世の中って、なんかお金稼いでる人がえらいような風潮があって、そんな中で稼いでない人は肩身の狭い思いをする。
私も、元々仕事はかなりしてた方だから、やっぱ自由なお金と時間を持つためには起業かなと思ってはいたんだけど、何か起業して、勝手に勝ち組だと思ってる系の人見たら、私だってと思ってしまうわな。
私が仕事のストレスで楽になったきっかけの心屋も、起業で上り詰めた人。
そうなると、そこへの憧れもある。
心屋が好きっていうのもあるけど。
そしたら、空いた時間は、ブログ書かな、今は起業できないけど、イイネ一杯つかな、と思ってた。
焦りがあった。
子どもがいない間で当番ない日は、仕事のきっかけになる事をしないとと思ってた。
だから、自分だけ回数多く当番入れらたら、全然入ろうとしない人がいたら、苛立ってた。
焦りがあったから、苛立ってた。
子ども園もダブルスクールで通わせようかと考えてた。
それも、空いた時間に仕事の準備をするためだ。
でも、10月の締め切りで一旦辞めた時点で、生活団1本で行こうと取りあえずは思ってる。
でもさ、なんかずっと焦って、空いた時間にiPad見ては、FBにイイネやコメントついてないか、アメブロにイイネや読者登録ないか見てるのに、他の人の方がイイネ多いの見てたら、疲れて来た。
結局焦っても、イイネ多い人は多いし、少ない人は少ない。
多かったところで、それが収入につながる訳でもないと、指摘するブロガーもいる。
なんか考えたら、たいして反応ないSNSに期待して、子どもとの時間を反故(ほご)にしてるのがもったいない。
そう思うと、こんな自問が出て来た。
「もし誰とも比べなかったら、何をする?」
人がしてる事を見て、
世の中の普通とか、常識とかを見る事によって、
焦りをもとに考えたり、行動しようとするんじゃなかったら、何をする?
ここを考えて行こう。
そう思えたのも、今通ってるリベルタ学舎の「なりわいづくり講座」の講師の河合義徳さんが、FBで娘さんの誕生日に関する投稿の一節でこう書いていた。
「つまり、人間の尊厳、人間形成の育みなど、微塵もないところに、同じ土俵に乗ること自体が、我々の負けを意味し、闘って「勝ち」を得るより、戦わずに人としての「価値」を得る選択をして、一歩引く決断をした」
娘さんは大学でミニバスケをしてるそうで、そこでも絡みに関して詳しくは書かずに、過去を振り返ってこう書いていたのだけど、そう、私が上記みたいなのを最初は気にしたけど、何か違うと思った原因はこういう事もあるのかもしれない。
上っ面の売上額だけを書いて、それが評価されるべき人間だと思ってる輩。
そこを目指していいのかと。
同じ土俵に乗っていいのかと。
で、この質問が出て来た。
「もし誰とも比べなかったら、何をする?」
「もし1億円あったら、何をする?」
心屋ではよく聞く質問。
十分なお金があっても、今してる事と同じ事をする?
と自分に問い直す質問。
それもいいけど、現実味ないから、誰の評価もなかったら、私の場合、そこを考えて行ったらいいのではと思う。
(最後の方は5/27アメブロに投稿した文;それにその考えに至った経緯を追記)
私だけ?いや、多くの人が無意識にやっちゃってる事だと思う。
たとえば、私、子どもと一緒にいたいから仕事を辞めた。
子どもといる時間は何千万もの価値があると思って仕事を辞めた。
でも、世の中では、仕事をする人がえらいという風潮。
子育て落ち着いたら仕事するもんだ、もしくは時間無駄にせず仕事でもしたらという風潮。
そんな中にあっては、仕事をしていない自分にすごく焦りを感じて来た。
そして今世の中は起業ブーム。
ちょっとした手作りの物を売るとかから、カウンセリングやコンサル的なものから、本格的なビジネスまで。
なんか、起業してるのがえらいかのような風潮。
「キラキラ女子です。起業女子です。月商7桁。確定申告行きました。」なんか、そんなの言ってる人がえらいかのような風潮。
しゃらくせー。
なんか違う。
なんか上っ面。
なんか皆言ってる事同じ。
うまく言えないけど、なんか違う気がして来た。
でも、資本主義の世の中って、なんかお金稼いでる人がえらいような風潮があって、そんな中で稼いでない人は肩身の狭い思いをする。
私も、元々仕事はかなりしてた方だから、やっぱ自由なお金と時間を持つためには起業かなと思ってはいたんだけど、何か起業して、勝手に勝ち組だと思ってる系の人見たら、私だってと思ってしまうわな。
私が仕事のストレスで楽になったきっかけの心屋も、起業で上り詰めた人。
そうなると、そこへの憧れもある。
心屋が好きっていうのもあるけど。
そしたら、空いた時間は、ブログ書かな、今は起業できないけど、イイネ一杯つかな、と思ってた。
焦りがあった。
子どもがいない間で当番ない日は、仕事のきっかけになる事をしないとと思ってた。
だから、自分だけ回数多く当番入れらたら、全然入ろうとしない人がいたら、苛立ってた。
焦りがあったから、苛立ってた。
子ども園もダブルスクールで通わせようかと考えてた。
それも、空いた時間に仕事の準備をするためだ。
でも、10月の締め切りで一旦辞めた時点で、生活団1本で行こうと取りあえずは思ってる。
でもさ、なんかずっと焦って、空いた時間にiPad見ては、FBにイイネやコメントついてないか、アメブロにイイネや読者登録ないか見てるのに、他の人の方がイイネ多いの見てたら、疲れて来た。
結局焦っても、イイネ多い人は多いし、少ない人は少ない。
多かったところで、それが収入につながる訳でもないと、指摘するブロガーもいる。
なんか考えたら、たいして反応ないSNSに期待して、子どもとの時間を反故(ほご)にしてるのがもったいない。
そう思うと、こんな自問が出て来た。
「もし誰とも比べなかったら、何をする?」
人がしてる事を見て、
世の中の普通とか、常識とかを見る事によって、
焦りをもとに考えたり、行動しようとするんじゃなかったら、何をする?
ここを考えて行こう。
そう思えたのも、今通ってるリベルタ学舎の「なりわいづくり講座」の講師の河合義徳さんが、FBで娘さんの誕生日に関する投稿の一節でこう書いていた。
「つまり、人間の尊厳、人間形成の育みなど、微塵もないところに、同じ土俵に乗ること自体が、我々の負けを意味し、闘って「勝ち」を得るより、戦わずに人としての「価値」を得る選択をして、一歩引く決断をした」
娘さんは大学でミニバスケをしてるそうで、そこでも絡みに関して詳しくは書かずに、過去を振り返ってこう書いていたのだけど、そう、私が上記みたいなのを最初は気にしたけど、何か違うと思った原因はこういう事もあるのかもしれない。
上っ面の売上額だけを書いて、それが評価されるべき人間だと思ってる輩。
そこを目指していいのかと。
同じ土俵に乗っていいのかと。
で、この質問が出て来た。
「もし誰とも比べなかったら、何をする?」
「もし1億円あったら、何をする?」
心屋ではよく聞く質問。
十分なお金があっても、今してる事と同じ事をする?
と自分に問い直す質問。
それもいいけど、現実味ないから、誰の評価もなかったら、私の場合、そこを考えて行ったらいいのではと思う。
(最後の方は5/27アメブロに投稿した文;それにその考えに至った経緯を追記)