八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

リハビリの意義

2012年12月29日 15時23分00秒 | 持論
以前から疑問に思っていたことだけど、あまり突きつめて考えたことがなかった。
まわりを見渡すと、運動したり一生懸命身体を動かすのがリハビリのようだ。
手っとり早く言うと、こんな感じかな。
これでよく15年ももったと思うけど、
肝心の核(コア)については雰囲気は分かったつもりでも、心底納得していた訳ではなかった。

最近つらつらと思っているんだけど、
脳に筋肉等の細部にわたる情報を教え込み、データベース(ファームウェアの1種)を再構築させるために、
毎日運動を繰り返し繰り返ししているような気がしてしょーがない。

マヒした身体を動かすことで、脳の神経伝達の迂回路の開通をうながすことは、以前から持論で言ってきたとおりだ。
しかし脳神経の迂回はハードウェアか精々で、これはリハビリの意義としては半分ではないか。
新たに脳と繋がった手足の細胞を使い、そして運動してみた結果が身体系のデータベースとして、その都度追加されて行く。
本当はこのようなサイクルで、リハビリ⇔身体(手足体幹)⇔脳は回っているのではないだろうか。
そう考えると、あれだけ練習嫌いだった私が一人で家にいる時でもサボらずに、
なぜリハビリを続けられているのかが納得できる。

失われた身体系のデータベースというファームの1種を最新状態に維持して行くために、
私は毎日リハビリをしているのだ。
このファームウェアは人間の数だけある属人情報であるため、
たとえ医者やセラピストの専門家といえども、どうしようもない領域なのだ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする