内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

講義の準備、研究の展開、全体としての有機的統一

2013-09-17 01:13:00 | 雑感

 今日(月曜日)は、プールはお休み。いくつか開いているプールもあるのだが、以前行っていた15区の50mプールは、広くて清潔で、晴れの日は天井が開くとても気持ちのいい施設なのだが、メトロに乗って片道30分かかるし、しかも12時からなので最近は行っていない。実はこのプールに午後2時過ぎに行くと、私が勝手に「水の妖精たち」と呼んでいるシンクロナイズドスイミング教室の少女たちが練習しているそのすぐ脇で泳げるという「特典」があるのだが、さすがにこう講義の準備と原稿執筆で忙しくては諦めざるをえない(無念である)。
 今日は朝から1日、明後日水曜日の「日本文明」の講義と演習のためのパワーポイントでのプレゼンテーションづくりにかかりきりだった。1年生が相手なのにちょっと凝り過ぎかなあとも思いながらの作業であったが、それもこれも彼らに日本のことをよく知ってもらいたいからという切なる気持ちからのことである。ただ一通りの教科書的な説明をするだけでも時間は足りないくらいなのだが、そんな説明は学生たちが自分で調べればいいことなので、むしろもっと日本のことを深く知りたいと思うように彼らの関心を刺激し、知識を深めるためにはどんな手段があるかを示すことの方に重点を置いている。だから写真や動画はもちろんのこと、さまざまなリンク先も紹介していく。作成したプレゼンテーションは授業の後、そのまま学生たちがネットで自由に共有できるようにする。
 今回は、海に囲まれているという地理的特徴の二重の意味と東北地方6県の現在について話す。海に囲まれているということは、孤立性と開放性という両義性を持っており、それが日本の歴史と現在を考える上で重要な観点の1つとなる。それはまた安全性と危険性という矛盾した二重性にも重なる。海によって外部からの侵略から守られていたということと、まさに海に囲まれているがゆえに外部からの侵入の危険にいつも曝されているということとは表裏の関係だと言ってもよい。現在の外交問題としての北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題についても話す。しかしまた、福島原発事故によってあからさまになったように、害悪を外部に果てしなく垂れ流すという危険性をもった日本の国際社会に対する責任という問題も避けて通るわけにはいかない。
 昨日(日曜日)無事に発表要旨を送った。原稿はこれからなのだが、9月27・28日のアルザスの研究集会が終るまではとても時間がない。しかし、その集会の発表のテーマである社会存在の実践的論理としての田辺の「種の論理」の問題とベルクソンのシンポジウムで取り上げる西田の生命論における〈種〉の概念の導入の問題とがリンクするようにプランを変更したので、アルザスでの発表とパリのENSでの発表とが両者相俟って今後のより大きな研究テーマに発展するようにできたのは幸いであった。
 このようにして自分のこれまでのさまざまな研究と教育とが一つの有機的な全体としてまとまりつつあることは、そのように特に意図してそうしてきたわけではなかっただけに、与えられた自らの召命のようなものについての自覚を私に促さずにはおかない。