内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

リモートな現代において独座観念を実践するための具体的行動マニュアルとしての『茶湯一会集』

2021-02-25 12:56:17 | 読游摘録

 昨日の記事で引用した井伊直弼の『茶湯一会集』の独座観念についての箇所を繰り返し読みながら次のようなことを考えた。
 客のもてなしを終えた後、客を見送り、さらにその後の余情を大切にするこうした一連の振る舞いは、リモートな生活を強いられている今こそ、なおのこと必要であり、それぞれその置かれた条件下で工夫されるべきことなのではないか。
 画面上のボタンをクリックした途端、それまでのヴァーチャルな共有空間は一瞬にして雲散霧消し、自分のいつも部屋の中に自分を見出したとき、なんとも言えぬ味気なさを覚えたことがないであろうか。それはまさに「不興千万」であった。
 茶の湯のように主人と客との振る舞い方が細かく規定されているような場合ではなくとも、単に食事に人を招いた場合でも、あるいは一緒にどこかに食事に或いは飲みに行き、しばし楽しみ、どこかで別れ、お互い帰路につくというような場合でさえ、私たちは自ずと「余情残心」を催し、その会食もまた一期一会であったと気づくことはないであろうか。
 地球の反対側にいる相手とだろうが、遠隔的に相対し、歓談し、時を同じくして飲み食いさえもできる「便利さ」が日常化している時代を今生きている私たちは、それと引き換えに、「今日一期一会すみて、ふたたびかへらざる事を観念」する時間を失ってはいないだろうか。
 しかし、遠隔が蔓延する状況下であろうが、独座観念は工夫次第で可能なはずである。田中仙堂氏が『茶の湯名言集』(角川ソフィア文庫 2010年)の中で指摘しているように、井伊直弼の『茶湯一会集』は、独座観念を実践するための「具体的行動マニュアル」であるとすれば、リモートな現代において独座観念を実践するためのヒントをそこから引き出すこともできるのではなかいかと私は思う。