書物との出会いにも時が熟するということがあるのだろう。たとえ古典中の古典であっても、あるいは名著の誉れの高い作品であっても、それを手に取るのが早すぎても遅すぎても、自分の人生の行路を方向づけるような出会いにはならない。そして、出会いの場所も、どこでもいいというわけにはいかない。出会うべきときに出会うべき場所で出会えること、それは人との出会いだけでなく、書物とのそれであっても、人が一生のうちに必ずしも恵まれるとは限らない幸いなのだ。たとえその人の生涯が悲劇的な結末を迎えることになってしまったとしても。
パスカルの『パンセ』とのパリでの出会いを語っている箇所は、三木清の「読書遍歴」の中でも最もよく知られ、しばしば引用される箇所である。もうこれで何度目かわからないが、その一節を読み直しながら、上のようなことを考えた。この箇所、リュッケン先生は NAKAI Masakazu. Naissance de la théorie critique au Japon, Les presses du réel, 2015 の中で、その前段落と合わせて全文引用している。『パンセ』との出会いの箇所だけ引いておこう。
そうしているうちに私はふとパスカルを手にした。パスカルのものは以前レクラム版の独訳で『パンセ』を読んだ記憶が残っているくらいであった。ところが今度はこの書は私を捉えて離さなかった。『パンセ』について考えているうちに、ハイデッゲル教授から習った学問が活きてくるように感じた。そうだ、フランスのモラリストを研究してみようと私は思い立ち、先ずパスカルの全集、モンテーニュの『エセー』、ラ・ブリュイエールの『カラクテール』等々を集め始めた。ヴィネの『十六、七世紀のモラリスト』を読んで、いろいろ刺戟を受けた。私の関心の中心はやはりパスカルであった。そうだ、パスカルについて書いてみようと私は思い立ったのである。マールブルクにおけるキェルケゴール、ニーチェ、ドストイェフスキー、バルト、アウグスティヌス、等々の読書が今は活きてくるように感じた。ストロウスキーの『パスカル』、ブトルーの『パスカル』等々の文献を集めて読み始めた。『パンセ』は私の枕頭の書となった。夜ふけて静かにこの書を読んでいると、いいしれぬ孤独と寂寥の中にあって、ひとりでに涙が流れてくることも屢々あった。