昨日の記事では、書物との出会いを人との出会いになぞらえてみました。確かに、時と場所に恵まれないとどちらも成立しないという点において両者は共通していると言えそうです。
他にどんな共通点があるでしょうか。会ってすぐに相手が理解できることもあるが、そうとはかぎらず、しばらく付き合ってみないと相手の良さがわからないこともあるという点も似ていますね。最初はよくわからなかったことが付き合っているうちにわかってくることもあります。他方、一目惚れだったけれど、時間が経つにつれ相手の欠点が目につくようになることも少なからずあります。挙げ句、もう顔を見るのも嫌だと、あれほど好きだった本と別れ、その後、別の本と出会う、あるいは出会いを求めて彷徨うということもあります。
人と書物との決定的な違いもまた明らかです。書物への愛はいつも片思いです。書物が私を愛してくれるようになることはありません。相思相愛はありえません。誤解するのもいつも読む側でのことです。もっとも、書き方に問題がある場合もありますけれど。別れもいつも一方的です。ある時はっきりと決別するにせよ、いつのまにか疎遠になるにせよ、それは読むこちら側でのことです。嫌いになれば、売り飛ばしてしまうこともできます(なんと非人道的な!)。
複数の人を同時に愛することはいろいろと問題を引き起こします。そもそもそれが可能かどうかもわかりません。不倫となればただ事では済みません。書物は何冊でも同時に愛せます。他の魅惑的な書物に目移りしてばかりいる移り気な私を書物が責めることはありません。どんなに浮気をしても、書物は私を決して責めず、書棚の自分の場所でおとなしくしています(なんと健気なことでしょう!)。倫理的・道義的・社会的に責められる心配はありません。離婚訴訟にはもちろんなり得ません(調子こいてんじゃねぇよ!)。
しかし、人であれ書物であれ、そもそもそうたくさんは深く愛せないのではないでしょうか。あれもこれもと目移りしているようでは、深く愛することはできませんよね。この点、やっぱり人と書物は似ていますね。