唐木順三の『中世の文学』には「兼好」と題された章があり、「一 すさび」「二 つれづれ」という二節に分かれている。
「すさび」は、大槻文彦の『大言海』から『源氏物語』での三例を挙げるところから書き起こされている。それはそれとして興味深くもあるが、それらの例について『大言海』に依拠しつつ説明した直後に、「兼好を論ずるに当って、「すさび」を云々するのは何故かということから書き始めたい」と唐木は言っているから、この文以降から同節を見ていこう。
かねてより『徒然草』の「つれづれ」について考えてきた唐木は諸家の既存の解釈のいずれにも不満を持つ。あるとき、昭和十年に刊行された斎藤清衛の『中世日本文学』のなかの一文がヒントになり、「数奇(すき)」を中心概念とした長明論をちょうど書き終えたところでもあったことから、長明の「数奇」から兼好の「すさび」へという「コース」に唐木は思い至る。それで、『大言海』の「すさび」の語義に当り、兼好論を『源氏物語』の「すさび」の用例を挙げるところから同節を始めたのだと言う。
『徒然草』のなかで「すさび」という言葉はそれほど使われているわけではなく、動詞「すさぶ」名詞「すさび」合せて四箇所に過ぎない。だから、唐木の意図は、それらの箇所についての語釈ではなく、「つれづれのという意味を歴史的にまた包括的に理解しようとして、「すさび」をとりあげているのである」。「つれづれ」が「すさび」を包括する類概念だと唐木は考えているのである。
長明が「数奇者」だとすれば、兼好はそうではない。しかし、それは数奇と無縁だったということではなく、若い頃にはひととおり数奇者として振る舞った時期もあった。その経験を通過した兼好は、『徒然草』においては、偏執や狂信や一途な数奇に対しては概ね否定的である。むしろ、「いたるところで、ひたむきに事を好むべからずこと、めだたぬこと、大げさな所作をしないことを説き、閑暇な自由を讃えている」。「よき人は、ひとへにすけるさまにもみえず、興ずるさまも等閑(なおざり)なり」(百三十七段)の「よき人」が彼の趣味の理想であった。
「すさび」の節の以下の数段落は、序論に相当する「中世文学の展開」ですでに述べられていることを、さらに詳細な歴史的事実と具体例を踏まえて敷衍しているに過ぎず、特に見るべきものはない。
むしろ、兼好の有から無への価値意識の転換を時代の変化とその認識とへと還元している点は、「すさび」を実存の一つの様態として捉えることと矛盾する。「「すさび」が彼の時代であり、また彼の生き方であった」と唐木は言うが、これではどうして兼好以外の多くの同時代人はそのような生き方をしなかったのか、なぜ兼好が同時代に対して批判精神を発揮することができたのか、説明できない。
二条河原落書が描き出す「自由狼藉世界」を目の当たりにしながら、兼好はなぜ「そういう時代をそういう時代として」受け取ることができたのか。なぜ、「気晴らし」(すさびごと)に現を抜かすことなく、「すさび」を自らの存在様態として時代を生きることができたのか。
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